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	<title>ポツダム宣言 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>ポツダム宣言 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>民主化へのあゆみとは？　戦後の政治改革とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/946</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:42:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[ポツダム宣言]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は民主化へのあゆみについて、日本の歴史を紹介します。 民主化へのあゆみ 占領軍は、軍国主義とそれに結びついていたものを追放しながら一方では、民主主義のための改革を促していきました。 1945年(昭和20年)10月総司 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は民主化へのあゆみについて、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>民主化へのあゆみ</h2>
<p>占領軍は、軍国主義とそれに結びついていたものを追放しながら一方では、民主主義のための改革を促していきました。</p>
<p>1945年(昭和20年)10月総司令部は、ポツダム宣言にそって憲法を改正するように指示しました。</p>
<p>そして基本的人権をしっかり守る社会とするために婦人を解放すること労働組合をつくることをすすめることと学校教育を自由主義で行うようにすること民衆の生活を脅かしてきたような制度を廃止すること日本の経済を民主化することなどを幣原内閣に指示したのです。</p>
<p>これに従って日本は新しい国づくりをはじめることになりました。</p>
<h2>経済の改革</h2>
<p>改革は、まず経済の面からはじめられました。</p>
<p>これまで日本の経済は財閥といわれる特定の大資本家が日本の産業の資本を独り占めしているというかたよった姿でした。</p>
<p>これは民主主義_に背くばかりでなく軍国主義の重要な原因ともなりました。<br />
そこで、このような資本家が持っている、たくさんの株を整理させ資本を独占させないようにしました。<br />
これが財閥解体（1945年)と独占禁止法（1947年)です。</p>
<p>しかし、それは、徹底的に行われなかったのでその後、資本と生産の集中は再びすすんでいきました。</p>
<p>つぎに、これまで日本の農村では地主が広大な農地を持っていて、高い小作料で小作人を働かせてきました。</p>
<p>しかも全然その家の人が農業に関係しないでいて小作人にばかり作業をさせているという大地主も多くいました。</p>
<p>それに反し、多くの小作人の暮らしはみじめでした。</p>
<p>これでは、社会の民主化を妨げるのは当然なので総司令部は、農地改革を促しました。</p>
<p>つまり、大地主の持っている農地を解放して小作人にあてがい、たくさんの自作農ができるようにしたのです。</p>
<p>そして、はたらく農民の地位を安定させようとしました。<br />
1945年に第一次、1946年に第二次の農地改革法が成立しました。</p>
<h2>政治の改革</h2>
<p>政治の上の改革では、まず「治安維持法」「治安警察法」など言論・思想・結社に関する取り締まりの法律が、廃止されました。</p>
<p>そして、軍部の力によって潰された政党が復活し自由党・進歩党・日本祉会党が成立したほかに日本共産党が、はじめて大っぴらに登場してきました。</p>
<p>また、総司令部は、働く人々の立場を守るために労働組合をつくって活動することを奨励しました。</p>
<p>労働組合法は、1920年(大正9年)以来たびたび議会で審議されてきましたが成立せず、ついに1945年(昭和20年)にできたわけです。</p>
<p>この法律によって公務員を含めた労働者は団結すること団体で要求する行動をとることが許されました。<br />
従って、デモやストライキの自由が認められるようになったわけです。</p>
<p>そこで、労働組合が各地でぞくぞくつくられ組合運動が活発に勧められるようになりました。<br />
労働者のお祭りとしてのメーデーのデモ行進も1946年から復活しました。</p>
<p>また、同じ年の5月19日には戦後の苦しい食料事情に、30万の民衆が集まって食料メーデーが開かれました。</p>
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		<title>極東軍事裁判とは？　天皇の人間宣言とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/945</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:31:37 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[極東軍事裁判]]></category>
		<category><![CDATA[人間宣言]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
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		<category><![CDATA[ポツダム宣言]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[軍国主義]]></category>
		<category><![CDATA[無条件降伏]]></category>
		<category><![CDATA[G・H・Q]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。 連合国軍の占領 1945年(昭和20年)8月15目、日本はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏を誓いました。 八月の終わり頃、連合国軍は連合国軍最高司 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>連合国軍の占領</h2>
<p>1945年(昭和20年)8月15目、日本はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏を誓いました。</p>
<p>八月の終わり頃、連合国軍は連合国軍最高司令官マッカーサ元帥に率いられて日本に上陸し占領しました。</p>
<p>そして、連合国軍の総司令部すなわちG・H・Qが東京にわかれその指導のもとにポツダム宣言が実行にうつされることになったのです。</p>
<p>日本の降伏が、その年の9月2日東京湾上のミズリー号の上で正式に取り決められると総司令部は、次々と日本政府に命令を出して日本から、戦争を導いたものを追放し民主主義を実現せるための改革を要求してきました。</p>
<h2>軍隊の解体</h2>
<p>日本を大きな戦争へと導き多くの人々を不幸に陥れたものは軍国主義です。</p>
<p>軍国主義とは国家と国民生活を侵略戦争によって栄えさせるために戦争を進めていくのに都合がよいよう<br />
一切のものを整えていくという考え方です。</p>
<p>この軍国主義を日本から無くそうとすることが占領政策の第一の仕事でした。<br />
したがって、まず軍隊をなくしました。</p>
<p>軍人の武装を、どしどしとりはらわせ兵器を取り上げたのです。</p>
<h2>極東軍事裁判</h2>
<p>つぎに、占領軍は、戦争中に軍を指導したり戦争のための政治に、関係したような人々を捕らえて裁判にかけました。</p>
<p>このように軍国主義を推し進めた中心人物が裁かれた裁判を極東国際軍事裁判といいます。</p>
<p>裁判官は、アメリカ・中国・イギリス・ソビエト・オーストラリア・カナダ・ニュージーランド・オランダ・フランス・インド・フィリピンの11か国からでました。</p>
<p>2年半かけて、東条英機らの裁判が終わり7名が絞首刑になりました。</p>
<p>そのほか、占領軍は戦地にいた軍人が引き上げてくるとその上級の軍人とか、兵卒でも外地でそれぞれの土地の住民に対して乱暴をはたらいたものを、捉えて罰することにしました。</p>
<p>彼らは、戦争犯罪として軍事裁判にかけられ、それぞれ刑を言い渡されました。</p>
<p>また、軍人だけでなく政治家・官吏・実業家・学者など戦争中に軍と結んで活躍した人々21万人が公職から追放されました。</p>
<h2>天皇の人間宣言</h2>
<p>占領軍は、日本の軍国主義の頂点にあったのが天皇であることを知っていました。<br />
そこで、軍国主義をなくすため天皇をなくすかどうかが問題になりました。</p>
<p>しかし、日本の支配者たちは降伏して占領されるその日から天皇だけは守ろうと決心していました。</p>
<p>また、国民の中には、天皇は軍国主義による戦争に利用されだけであって直接の責任はなかったと考えるものがたくさんいました。</p>
<p>こういう有様の中で占領軍も一挙に天皇をなくすことをためらいました。<br />
天皇をなくすれば、日本の国内にたいへんな混乱が起こりかねないと判断したからです。</p>
<p>しかし、これまでのように天皇は生きた神(アラヒトガミ)だという考え方がまだ国民に染み付いているようでは困るので1946年(昭和21年)の元旦天皇自身によって「天皇は人間である」という宣言がくだされました。</p>
<p>これが天皇の人間宣言です。</p>
<p>そののち、天皇は人間として親しまれるようになるため各地をまわりました。<br />
戦災地の跡を訪ねたり戦争の犠牲になった家の人たちを慰めに周ったりしました。</p>
<p>そして国民も、直に人間としての天皇を見るようになったのです。</p>
<h2>治安維持法の廃止</h2>
<p>なお、これまで久しい間、国民は政治や社会のことについて自由な意見を述べることができませんでした。</p>
<p>治安維持法ができてからは、特にそうでした。</p>
<p>占領された頃の日本政府は皇族の東久邇宮が首相となった内閣でした。<br />
この内閣は、日本の自由主義化を主張していましたがこの自由から共産主義者を除いていました。</p>
<p>そこで、占領軍から治安維持法の廃止と政治犯人の釈放、憲兵や特高警察の廃止を指示されると総辞職しました。</p>
<p>治安維持法は次の幣原喜重郎内閣のときになくなって徳田球一、志賀義雄ら全国で2000人に及ぶ政治犯が許されました。</p>
<p>そして、しばらく抑え付けられていた共産党が党員の釈放に活気づき再び組織されることになったのです。</p>
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		<item>
		<title>ドイツの降伏とポツダム宣言とは？ 日本が敗戦した理由とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/944</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:26:15 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
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		<category><![CDATA[ポツダム宣言]]></category>
		<category><![CDATA[国際連合]]></category>
		<category><![CDATA[ヒットラー]]></category>
		<category><![CDATA[原子爆弾]]></category>
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					<description><![CDATA[今回はドイツの降伏とポツダム宣言について、日本の歴史を紹介します。 ドイツの降伏 ありあまるほどの兵器を持った連合国軍は東から南から大波のような勢いで日本本土へ押し寄せました。 1945年に入ると、アメリ空軍の空襲がひど [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回はドイツの降伏とポツダム宣言について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>ドイツの降伏</h2>
<p>ありあまるほどの兵器を持った連合国軍は東から南から大波のような勢いで日本本土へ押し寄せました。</p>
<p>1945年に入ると、アメリ空軍の空襲がひどくなり東京・大阪をはじめ全国のほとんどの都市が焼け野原となり何百万という人が死んだり焼け出されたりしました。</p>
<p>ヨーロッパでも、連合国軍の攻撃が激しくなりました。<br />
イタリアは、1943年に降伏しましたし、ドイツも国内までおしまくられていました。<br />
連合国は、すっかり自信を強くしていました。</p>
<p>1945年4月には、連合国側の50の国々がアメリカのサンフランシスコに集まって国際連合をつくる会議を開きました。</p>
<p>国際連合は、戦争が終わってから世界平和を守るための機関として考えられました。</p>
<p>第一次世界大戦のあとには平和を守る機関として、国際連盟がつくられましたが、うまく平和を守ることができず再び大戦争がおこりました。</p>
<p>そこで、今度はそういうことのないようにとアメリカ・イギリス・ソビエト連邦などが中心となって新しい国際連合の仕組みを考えていたのです。</p>
<p>こうして、戦争が終わったのちの1945年10月に生まれた国際連合は戦争が終わらない内から、どんどん用意がすすめられていました。</p>
<p>ヨーロッパではドイツが必死になって戦いました。</p>
<p>しかし、東からはソビエ卜西からはアメリカ・イギリスの大軍に押し寄せられて、ついに1945年5月、首都ベルリンがおちヒットラーは自殺して、連合国に降伏しました。</p>
<h2>ポツダム宣言</h2>
<p>戦いを続けていいたのは日本だけです。<br />
連合国は、ドイツのポツダムというところで会議を開きました。</p>
<p>そこでは、日本を降伏させたのも、どのようにして日本をおさめていくかということが問題になりました。</p>
<p>そして、この会議で連合国側が共同して宣言したものがポツダム宣言です。</p>
<p>このポツダム宣言の中には「日本に秩序が整うまで連合国が日本を占領する。日本の軍隊は解散する。戦争の責任者を裁判する。日本を平和を民主主義の国にする」という連合国の決心が述べてありました。</p>
<p>連合国は、日本がこの宣言を受け入れるならば戦争をやめるが、受け入れない場合は日本が倒れるまで<br />
攻撃を続けると言ってきました。</p>
<p>しかし、日本はこの宣言を受け入れるどころか日本人がひとり残らず死ぬまで戦うと答えました。</p>
<h2>敗戦</h2>
<p>やがて8月6日の朝、アメリ力の原子爆弾が、広島に落とされました。<br />
広島は、この一発の爆弾でたちまち焼け野原となり24万もの人が死んだのです。</p>
<p>続いて8月9日2発目の原子爆弾が長崎に落とされました。</p>
<p>同じ日、ソビエト連邦が連合国側に加わって戦争をはじめ、満州に攻め込みました。<br />
こうなってはもう戦争を続けていくことはできません。</p>
<p>軍隊はさんざんな目にあっていましたし国民も苦しさのあまり戦争に協力しなくなっていたからです。<br />
政府は、ポツダム宣言を受け入れて降伏することにしました。<br />
8月15日、天皇はそのことを国民に伝えました。</p>
<p>満州事変から14年間も続いた戦争もようやく終わりました。</p>
<p>このあいだ、日本の政治の指導者たちは一つの戦争をおさめようとしては次の大きな戦争をはじめ、次々と戦場を広げ戦争を長引かせ、坂を転がり落ちる雪だるまのように敗戦への道を進んでできたのです。</p>
<p>戦争に負けたと知ったとき国民は一時は悲しみましたがすぐに、戦争が終わったことを多いに喜びました。</p>
<p>国民は、もう戦争に懲り懲りしていたからです。</p>
<p>多くの犠牲をはらった、日本人は戦争は人々を苦しめるだけで、なに一つとして利益になることがない<br />
ということを知ったのです。</p>
<p>そして、戦争に勝つことよりも世界中の人々が仲良く平和を守っていくことのほうが大切だと考えていたのです。</p>
<div class="m30-b"></div>
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