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	<title>仏教 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>仏教 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>日本の宗教の歴史とは？ 奈良時代から明治時代の流れと変化とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/755</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 20 Feb 2014 16:47:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[日本の宗教の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[キリスト教]]></category>
		<category><![CDATA[宗教]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[氏神]]></category>
		<category><![CDATA[新興宗教]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は日本の宗教の歴史について、日本の歴史を紹介します。 人間は、いろいろわからないことを、わかるまで調べようとするものです。 何千年という長い間の人間のこの努力のために科学や技術が進み、文明も栄えてきたのです。 しかし [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は日本の宗教の歴史について、日本の歴史を紹介します。<br />
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人間は、いろいろわからないことを、わかるまで調べようとするものです。<br />
何千年という長い間の人間のこの努力のために科学や技術が進み、文明も栄えてきたのです。</p>
<p>しかし、人間の頭の中には、まだわからないことがなにか残っているような感じです。<br />
例えば、人間が生きる、または死ぬということを人の知恵では説明できない、不思議なことだという人もいます。</p>
<p>死ぬことを恐れている人はたくさんいます。<br />
このような人たちの気持ちは、科学や技術だけでは満足できません。</p>
<p>人間の命の問題や、生活の不安などを、どのように考えたら安心できるだろうかといったことを教えるものが宗教です。</p>
<p>このようにして、宗教は文明の発達した国々においても人々に求められ、信じられているのです。<br />
大昔には、人間の知恵が発叢していませんでした。</p>
<p>そのため、自分の周りの山・川・草・穂・石など、全ての自然物に神が宿っていると考えました。<br />
そして、人々は神の言葉通りに動き自分たちの体や生活が安全であるよう神に祈りました。</p>
<p>農業が始まると、水の神・田の神などという、農業の神が考えだされ、人々はそれに祈ることによって農業が盛んになるように願いました。</p>
<p>神水の神や田の神は、本家や分家の集まりによって祀られました。<br />
そうした神が氏神です。</p>
<p>氏神には、山の神や、先祖の魂や、他にもいろいろの神がありました。<br />
やがて、大陸から仏教が伝わりました。</p>
<p>人々は丁度、氏ごとに氏神を拝んでいたように、氏寺を建てたり、氏ごとに寺の行事をしたりしたのです。</p>
<p>仏教が盛んになったのは、聖徳太子の頃からでした。<br />
しかし時代によって、いろいろ性質が違ってきます。<br />
奈良時代の仏教は、国の政治に力をつける教えと考えられました。</p>
<p>仏教を信仰することが、そのまま国の守りとなり国を平和にするものだと言われるようになったのです。<br />
奈良に大仏がつくられたり、諸国に国分寺や国分尼寺が建てられたのもそういう考えかたがもとになっていました。</p>
<p>また、寺は学問のための大学であるとも考えられていました。</p>
<p>一方、神社のそばに神宮寺が出来たり、寺の鎮守の神が祀られたりしたように、神と仏とは接近していきました。</p>
<p>平安時代には最澄・空海が天台宗や真言宗を広めました。<br />
この僧たちは、もっと人々の暮らしの中で、仏教の教えを生かそうと考えいろいろのまじないや、お祈りをするようになりました。</p>
<p>ところが、平安時代も半ばを過ぎると、貴族は生活に段々自信が持てなくなりました。</p>
<p>荘園の収入は充分でなく、また同じ貴族でも、藤原氏の本家ばかりに力があって、分家や藤原氏以外の貴族はたいして良い位にもつけません。</p>
<p>そういう貴族は、だんだん、この世が嫌になるのです。<br />
この不安な気持ちを救ってくれるのが、浄土の教えでした。<br />
浄土教というのは源信や空也によって、広められた教えです。</p>
<p>念仏を唱え、阿弥陀を信じれば、死んでから極楽にいって、不安の無い暮らしができるという教えです。<br />
これが平安時代の末に、おおいに流行りました。</p>
<p>鎌倉時代には、この浄土教をもとにして法然が浄土宗を、その弟子、親驚が浄土真宗をおこしました。<br />
浄土真宗は民衆の間にも広まっていきました。</p>
<p>元が攻めて来た頃、日蓮が今までの宗教はみな間違っている、もっと法華経を信仰せよと鎌倉の町々な説教して周り、法華宗を初めました。</p>
<p>また、鎌倉時代には、禅宗がたいへん喜ばれました。</p>
<p>禅宗は行事や学問に頼ったりせずに、じっと座禅を組んでで自分のカで、心の迷いを捨てよ、といった教えでした。</p>
<p>このように、鎌倉時代には、いろいろの仏教が新しくおこりました。<br />
これらの仏教は、天台宗や真言宗と違ってあまり、お金が無くても信仰できましした。</p>
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<p>そのために、広く民衆の間にも、広まっていきました。</p>
<p>とくに、親鸞の浄土真宗は、室町時代には、民衆の力を集めてたいへん大きな勢いを持つようになりました。</p>
<p>鎌倉・室町の時代は、仏教が広まった時代といえます。<br />
そのため神社の方でも、このままではいけないと考えるようになりました。</p>
<p>神社とは何か？　神とは何か？　と言うようなことをもっと深く考え直そうという人たちが現れててきたのです。</p>
<p>また、仏教と神道とは、どんな繋がりがあるかということも議論されました。<br />
初めは、神は仏が姿を変えたものだという考えもありました。</p>
<p>やがて、神が仏に変わったのだという意見が強くなりました。<br />
日本の神道は、こうして次第に形を整えてくるのです。</p>
<p>室町時代にはフランシスコ＝ザビエルが日本へキリスト教を伝えました。<br />
それ以後、キリスト教を信仰する人は、段々増えていきとくに西日本では、熱心な信者がたくさん現れました。</p>
<p>キリスト教は次第に江戸幕府の政治の上に邪魔になってきました。<br />
幕府は、張り付けや火炙りなどの刑罰をもってキリスト教を押さえつけました。</p>
<p>さらに、キリスト教を禁じるために、外国との付き合いをしていては駄目だということになり将軍徳川家光のときに鎖国が行われました。</p>
<p>幕府はキリスト教の取り締まりのため、檀家の制度をつくり、寺と民衆を結びつけました。<br />
これは、誰でもどこかの寺に名前をおきその寺へお参りしなければならないという制度です。</p>
<p>この制度で安心した寺は、仏教を広め人々の信仰を強くするような努力をあまり行わなくなりました。<br />
寺は戸籍を預かり、葬式をするだけのものになっていきました。</p>
<p>江戸時代の前まで仏教と結びついた、いろいろな芸術や学問が盛んでしたが江戸時代から後は、仏教と芸術との繋がりも切れてしまいました。</p>
<p>ところが、江戸時代も末になると、世の中は非常に不安になりました。<br />
例えば、百姓一投などがおこり幕府はだんだん弱くなりました。</p>
<p>こういう不安な世の中で、金光教とか天理教などの新しい神道の宗派がおこりました。<br />
明治の初めには、神道が盛んでした。</p>
<p>明治維緋の力となった学問が、神道と深く繋がっていたからです。<br />
しかし、文明開化の世になると、キリスト教が流行しました。</p>
<p>やがて、憲法で信仰の自由が謳われましたが、本当の自由は、太平洋戦争後の憲法によって決まったのです。</p>
<p>太平洋戦争に負けた後、人々は大きな不安に落ち込みました。<br />
江戸時代の末に新しい宗教が生まれたようにこのときにも、新しい宗教がぞくぞく生まれました。</p>
<p>古くからの宗教が形だけ整っていて、人間の心に触れるものが無くなるとこうした多くの新興宗教が栄えるのです。</p>
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		<title>法然と親鸞ってどんな人？ 禅宗・日蓮・時宗とは？ 鎌倉時代に生まれた新しい仏教とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/754</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 20 Feb 2014 15:45:31 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[鎌倉時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[法然]]></category>
		<category><![CDATA[親鸞]]></category>
		<category><![CDATA[禅宗]]></category>
		<category><![CDATA[時宗]]></category>
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		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は法然と親鸞　禅宗、日蓮、時宗　鎌倉時代に生まれた新しい仏教について、日本の歴史を紹介します。 平安時代の末、源氏と平氏の激しい戦いが続きました。 人々はこうした騒がしい世の中に安心して生きていられる心の拠り所を仏教 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は法然と親鸞　禅宗、日蓮、時宗　鎌倉時代に生まれた新しい仏教について、日本の歴史を紹介します。<br />
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<p>平安時代の末、源氏と平氏の激しい戦いが続きました。<br />
人々はこうした騒がしい世の中に安心して生きていられる心の拠り所を仏教に求めました。</p>
<p>ところが、多くの僧たちは政治と結びつき、自分たちの勢力を伸ばすことたけを考え世の中の人を救おうとはしませんでした。</p>
<p>しかし、まじめな僧は寺を離れて、山村などで厳しい修行を積み仏の道に励みました。<br />
鎌倉時代の新しい仏教は、そうした僧の間から生まれたのです。</p>
<p>そして、貴族ではなく武士や一般の人々に迎えられました。<br />
平安時代の末、法然いう僧がでて、浄土宗を開きました。</p>
<p>一心に「南無阿弥陀仏」と唱えれば、救われるという教えです。</p>
<p>浄土宗の信者は、貴族や武士から一般の人々にも行き渡り、東海・北陸地方にまで、広がっていきました。</p>
<p>古い仏教の僧たちが浄土宗を非難したので、朝廷も黙っておれず、浄土宗を厳しく押さえつけました。<br />
そのために、法然は讃岐国(香川県)に4年ほど流されました。</p>
<p>法然の弟子親鸞も、越後国(新潟県)に流されましたが、5年ほど経って許されました。<br />
その後、親鸞は常陸国(茨城県)の稲田に住み、教えを広めました。</p>
<p>親鸞の教えは、法然の浄土宗を一歩すすめたもので、浄土真宗、またはたんに真宗とも言われます。<br />
それまで、僧は肉を食べたり、妻を持つことは許されませんでした。</p>
<p>ところが親鸞は、肉な食べてもいい妻を持ってもいいとして自らも結婚しました。<br />
彼は、民衆と同じ立場にたって、その上で、仏の道に励もうとしたのです。<br />
親鸞は武士や一般の人々の心に、深い理解を持っていました。</p>
<p>彼らの中には、自分の犯した罪のために、とうてい救われないだろうと思っている人もありました。</p>
<p>武士が戦いに出て人を殺したり、猟師が生きものを殺したり商人が金儲けのために安い物を高く売りつけたりする罪を、親鸞は生きていくためには仕方の無いことだとしました。</p>
<p>そして、自分こそは本当の悪人だと深く悟れば救われると説きました。</p>
<p>親鸞の教えは、彼の書いた「教行信証」や、弟子が親鸞の言葉を集めて作った「歎異紗」などに載っています。</p>
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<p>禅宗は宋(中国)から伝えられたもので、栄西が伝えた臨済宗と、道元が伝えた曹洞宗のニつがあります。<br />
栄西は二度も宋に渡り、5年間修行して、1191年(建久二年)日本へ帰ってきました。</p>
<p>そして、博多に留まって臨済宗の教えを説きました。<br />
栄西はまた、幕府の助けを借りて、京都に建仁寺を建てました。</p>
<p>道元は建仁寺に栄西を訪ね、教えをこいました。<br />
そして、1223年(貞応一年)宋に渡り、厳しい修行の後、日本へ帰ってきました。</p>
<p>道元は、1243年(寛元元年)、越前国(福井県の一部)に移り、永平寺を建てて教えな広めました。<br />
道元は立派な社会をつくる理想を持っていました。</p>
<p>そこで、僧たちの行いを厳しく取り締まり、仏の教えを、しっかりと守らせました。</p>
<p>禅宗の教えや修行は、非常に厳しいため武士たちの生活に良く合い、広く信じられました。<br />
臨済宗は北条時頼や北条時宗のような上流武士にまで広がり、曹洞宗は、主に地方の豪族の間に迎えられました。</p>
<p>日蓮は鎌倉や比叡山で仏の道に励んでいましたが法華経たけが本当の教えだと信じるようになりました。<br />
日蓮は「南無妙法蓮華経」を唱えて、法華経を世に広めたらこの世の人を救うことができると考えました。</p>
<p>日蓮は、.禅宗や浄土宗を間違った教えだとして、これらの教えの広がっている国々は、必ず災いが起こると予言しました。</p>
<p>そのため、日蓮は他の宗派のものや幕府から圧迫を受け襲われたり、島流しにされたりしました。<br />
佐渡へ流された日蓮は、そこでも多くの信者を得ました。</p>
<p>1274年（文永11年)、許されて帰った日蓮は、法華宗(日蓮宗)を広めました。</p>
<p>法華宗の信者は、初めは上流の武士が多かったのですが領主のすすめで、農民にも信者が増えていきました。</p>
<p>商人や職人の間に日蓮の教えが信仰されるようになるのは、室町時代になってからです。<br />
浄土教の1つである時宗を始めた智真は、一遍上人の名で知られています。</p>
<p>一遍は、シャカが定めた僧としての行いを厳しく守り住所も定めず、ほうぼうを歩き周りました。<br />
一遍は、全てを捨て、命を投げ出して一般の人々を救おうと決心しました。</p>
<p>そして、自分の家や田を手放して、全国いたるところ、足の向くまま歩き周り、人々に念仏をすすめました。</p>
<p>一遍の信者は次第に増え、彼とともに念仏を唱えながら集団となつく各地をまわりました。<br />
こうして、信者は武士・農民・商工業者のべつなく広がりました。</p>
<p>鎌倉時代の終わり頃から室町時代にかけて、浄土教のいろいろな宗派の中では、時宗がもっとも勢力がありました。<br />
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		<title>帰化人とは？ 日本に漢字が伝わったのはいつ頃？ 日本に仏教が伝わったのは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/683</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 18 Jan 2014 06:50:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>
		<category><![CDATA[漢字]]></category>
		<category><![CDATA[帰化人]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は帰化人とは何か、日本に漢字が伝わったのはいつ頃のことなのか、 日本に仏教が伝わったのはいつ頃のことなのか？ この3点について、日本の歴史を紹介します。 大和の国は朝鮮を通じて大陸の優れた文化を取り入れようとしました [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は帰化人とは何か、日本に漢字が伝わったのはいつ頃のことなのか、<br />
日本に仏教が伝わったのはいつ頃のことなのか？<br />
この3点について、日本の歴史を紹介します。</p>
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<div class="m30-b"></div>
<p>大和の国は朝鮮を通じて大陸の優れた文化を取り入れようとしました。<br />
そのために朝廷ではいろいろな産物を日本に取り寄せるだけでなく学問や技術に優れた朝鮮の人々をたくさん呼び寄せました。</p>
<p>その中には百済の人が多く戦争を避けて日本に住み着く人もかなりありました。<br />
こういう人々を帰化人と呼びます。</p>
<p>帰化人はその頃の産業や文化の発達に大きな役割を果たしました。</p>
<p>日本にやってきた帰化人たちは部（べ）の仕組みに組み入れられ、それぞれの持っている技術によって朝廷に仕えました。</p>
<p>この人々の伝えた技術は実に様々でした。</p>
<p>例えば蚕を飼い、糸を紡ぎ、はたを織る技術、綾や錦（どちらも布の一部）の織り方、馬のくらを作る技術、鉄の鍛え方、陶器の作り方などです。</p>
<p>こうして中国や朝鮮の進んだ技術がいろいろと伝えられました。</p>
<p>帰化人の中でも勢いのあったのは東漢氏（やまとのあやうじ）と秦氏（はたうじ）でした。<br />
東漢氏は今の奈良盆地の南部に、秦氏は京都府に住み、それぞれの地方で大いに勢いを伸ばしました。</p>
<p>帰化人は技術の面ばかりではなく、学問の発達の上でも大きな役割を果たしました。<br />
ことに大切なのは帰化人が漢字を使い、文を作るのに慣れていたことです。</p>
<p>もともと日本には自分の文字というものがありませんでした。</p>
<p>ところが朝鮮や中国と交わりを結んでいくためには漢字で書かれた文章をやり取りしなければなりません。</p>
<p>しかし漢文を書いたり、読んだりすることは慣れない日本人にはたいへんでした。<br />
そこで、こういうことに慣れている帰化人がたいへん便利がられてその仕事を任されました。</p>
<p>大和の国の勢いが盛んになり、国の仕組みが大きくなってくると政治の仕事も簡単にはいかなくなってきます。</p>
<p>様々な文章を作ったり、計算をしたりする必要ができてきます。<br />
読み書きに優れた帰化人はこの方面でも大切な働きをしました。</p>
<p>読み書きの面で働いたのは東漢氏や西文氏（かわものふみうじ）などでした。<br />
また、国々から朝廷の倉庫に納められる貢物の取り扱いにも帰化人が活躍しました。</p>
<p>この面で有名なのは秦氏です。</p>
<p>こうして文章を書いたり、読んだりする仕事は初めの内は帰化人ばかりがしていたようです。<br />
しかし、日本人も段々漢字を覚え始め実際に使うようになりました。</p>
<p>熊本県の江田船山古墳から掘り出された刀は、５世紀に作られたものですがこれには漢字で文が刻みつけられています。</p>
<p>また和歌山県の隅田八幡宮に残っている銅の鏡は六世紀初めに作られたものですが同じように文字が刻みつけられています。</p>
<p>このことから５世紀にはもう日本で漢字が使われていたことがわかります。<br />
日本人が漢字を読んだり、書いたりすることができるようになったために外交や政治の仕事がすらすら進むようになりました。</p>
<p>そればかりではりません。漢字で書かれた書物を通じて日本人は大陸の進んだものの考え方や、学問・宗教などを学び取るようになりました。</p>
<p>そして、人々の暮らしが楽になり人々の考え方も進んでくると大陸の優れた思想や宗教を取り入れようとする気持ちが次第に固まってきました。</p>
<p>朝鮮からは様々な産物と一緒にたくさんの書物が日本に運ばれて来ました。<br />
中国の儒教という教えもこうした書物によって日本に伝わりました。</p>
<p>儒教とは、孔子という人が政治をするときの心構えや立派な人間になるための行いを示した教えです。<br />
百済からは五経博士という儒教の学者も日本に渡ってきたようです。</p>
<p>また、占いや暦・医術などの学者も日本に来ました。<br />
仏教が日本に伝わったのも丁度この頃のことです。</p>
<p>仏教というのは紀元前５世紀の頃、インドばかりでなく北の方では中央アジアを越えて中国にまでも伝わり広く行き渡りました。</p>
<p>中国で広まった仏教はやがて朝鮮に伝えられ六世紀には海を渡って遥々日本にも伝わってきたのです。<br />
仏教がいつ日本に伝わってきたのかはっきりとはわかりません。</p>
<p>けれども538年、百済の聖明王という国王が仏教とお経を送ってきたのがその始めとされています。<br />
それまでの日本人はたくさんの神を信じていました。</p>
<p>太陽や月、山や川、雷や嵐のようなものから、鳥や獣のような動物にまでも神がいると思っていました。<br />
八百万の神という言葉を耳にしたことがあるのではないでしょうか？</p>
<p>そして神を祀り占いやまじないをしました。</p>
<p>そういう神しか知らなかった日本人は金色に輝く仏教を見てお経に書かれてある仏教の深い教えを聞いてどんなに驚いたことでしょう。</p>
<p>実際、仏教ほど日本人の考え方に大きな影響を与えた教えは他にないといってもよいでしょう。<br />
仏教の教えは次第に深く日本人の心に入り込み、やがて飛鳥時代の見事な仏教文化を生み出したのです。</p>
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