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	<title>古墳 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>古墳 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>古墳から出土されものとは？　埴輪とは？　古墳が作られなくなったのはいつ？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/681</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 18 Jan 2014 01:01:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大和時代]]></category>
		<category><![CDATA[埴輪]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[古墳]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は古墳から出土されもの、古墳からでるものを簡単に紹介します。 それに加え、埴輪（はにわ）とは何か、それと古墳が作られなくなったのはいつ頃のことだったのか、日本の歴史を紹介していきます。 古墳の内部には死体を入れるとこ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は古墳から出土されもの、古墳からでるものを簡単に紹介します。<br />
それに加え、埴輪（はにわ）とは何か、それと古墳が作られなくなったのはいつ頃のことだったのか、日本の歴史を紹介していきます。</p>
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<p>古墳の内部には死体を入れるところが作られています。<br />
初めの頃は木や石や粘土で作った棺の中に死体を入れ棺の上にすぐ土をかぶせたり、あるいは簡単な石の囲みを作って土を被せたりしていました。</p>
<p>しかし後には棺も石をくり抜いたり、組み合わせたりして作った石棺となりました。<br />
また、棺の周りには石で部屋を作り、その上に土を被せるようになりました。</p>
<p>石棺に形もいろいろで組立式の箱のような形をしたもの、家の形をしたもの船の形をしたものなどがありました。</p>
<p>六世紀頃になると古墳の外から棺の入っている石室までせん道という通り道を掘り抜いた横穴式石室というものができました。</p>
<p>また、北九州地方では石室や棺に色とりどりの絵や模様を描いた装飾古墳は日本では北九州に多く見られ中国や朝鮮の影響があるようです。</p>
<p>棺の中やその側には銅製の鏡や勾玉・くだ玉などの玉類。<br />
それに剣など様々なものが置かれました。<br />
今でも古墳を掘るとこのようなものが堀だされることがあります。</p>
<p>鏡や玉は死んだ人が生きていたときに何時も身に付けたり、傍に置いたりしていたもので、その人が死んでからも寂しがらないようにと一緒に埋めたのです。</p>
<p>また、鏡や玉はその頃の人にとって不思議な力を持つものと考えられ支配者の力の強さを表す印ともなっていました。</p>
<p>５世紀頃になると鉄で造られた鎧・兜・剣・刀・くわなどの武器や農具が古墳にたくさん納められるようになりました。</p>
<p>その頃のヤマトの国の天皇や豪族にとって、鉄の武器や農具は大切なものだったのでしょう。<br />
それは勢いを強め暮らしを豊かにしてくれる道具だったのです。</p>
<p>だからこそ墓の中に一緒に埋めたのです。<br />
また、さらに後の古墳になると金や金銅（銅に金のメッキをしたもの）の耳飾りや冠、馬のクラやクツワ。</p>
<p>あぶみ、それに柄を金でこしらえた刀など細かい細工を凝らしたきらびやかなものが収められるようになりました。</p>
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<p>これはみな朝鮮や中国の優れた技術を使ったものです。<br />
これを見ると大陸の文化がどんどん日本に伝わり日本の技術が進んできたことがわかりますね。</p>
<p>古墳の上にはふき石が被せられ埴輪が並べられました。<br />
埴輪は粘土で作って焼いた焼き物です。</p>
<p>埴輪はもともとは盛り上げた古墳の土が崩れるのを防ぐために並べられてたものです。</p>
<p>はじめは丸い筒の形をしたものばかりでしたが後には家の形をしたもの、船の形をしたもの、そのほか人間をはじめ、馬や鳥・猿・犬などさまざまな生き物の形を表したものが作られるようになりました。</p>
<p>人間の埴輪といっても様々で男もあれば女もあり、鎧を付け兜を被って刀を下げた兵士もあります。<br />
琴を弾いている人もあれば楽しそうに歌ったりしている姿を現したものもあります。</p>
<p>こういう埴輪によって古墳時代の人々の家や着物の様子を知ることができるのです。<br />
埴輪をみると男も女も細い袖の上着を着て、合わせは紐で結んでいます。</p>
<p>男は足首の辺りを紐で結んだ太いズボンのようなものを履き、女はスカートのようなものをつけています。</p>
<p>そんな驚きと魅力をもった古墳ですが六世紀の中頃を過ぎると古墳を作ることが段々と衰えてきます。<br />
もうこの頃には大きい古墳は作られなくなり小さなものだけが作られるようになりました。<br />
そして、８世紀の初め頃までには古墳は全く作られなくなりました。</p>
<p>これは大陸から優れた文化が伝わってきて人々の考え方が進んだからです。<br />
特に仏教が伝わってきて、死体を火葬する習わしが広まったころが一番の原因ではないでしょうか？</p>
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		<title>古墳とは？　古墳の種類と古墳の分布についてまとめて解説！</title>
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		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 18 Jan 2014 00:22:16 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大和時代]]></category>
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		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[古墳]]></category>
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					<description><![CDATA[古墳と一口に言っても様々な種類の古墳があります。簡単に紹介していきます。 日本の歴史は古墳にありです。 今でも各地で木のこんもり茂った何となく、厳かな感じのする古墳を見かけることがあります。 古墳というのはヤマトの国の支 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>古墳と一口に言っても様々な種類の古墳があります。簡単に紹介していきます。<br />
日本の歴史は古墳にありです。</p>
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<p>今でも各地で木のこんもり茂った何となく、厳かな感じのする古墳を見かけることがあります。<br />
古墳というのはヤマトの国の支配者である天皇や豪族たちの墓のことです。</p>
<p>その中には棺や石の部屋があり死体がおさめられています。</p>
<p>古墳には様々な形のものがありますが最も一般的なのは円墳と前方後円墳です。<br />
円墳は上から見ると丸い形をしており前方後円墳は丸と四角を継ぎ足したような形をしています。</p>
<p>そのほか四角い形をした方墳というのもあります。</p>
<p>古墳は元々は大陸の墓を見習ったもののようですが前方後円墳は日本にはだけ発達した特別な形です。<br />
古墳の大きさも様々で前方後円墳の中には今でも大阪府にある仁徳天皇陵のように、すばらしく大きなものがあります。</p>
<p>古墳は元々、山すそや丘などの地形を利用して作られました。<br />
そうすれば、わざわざたくさんの土を盛り上げなくても住んだからです。</p>
<p>ところが後には平野に人の力で土を盛り周りに堀を作ったりするような大掛かりなものになりました。<br />
このような大きな墓を築くためには多くの年月とたくさんの人の力が要ります。</p>
<p>たくさんの人々を長い間働かせることの出来た大和朝廷の勢いはたいへん大きなものでした。<br />
ヤマトの社会はこのように力の強い少数の支配者とその下に付くたくさんの人々にわかれていました。</p>
<p>ヤマトの国の天皇や豪族たちの勢いがどんなに強かったかが、これらの古墳から想像することができます。<br />
古墳は北は東北地方の南部から、南は九州南部まで全国各地に見ることができます。</p>
<p>その中でも関東地方の北部や島根県・岡山県・福岡県・宮崎県などは特に古墳のたくさん固まってあるところです。<br />
そこでこうした地方には力の強い豪族がいたことがわかります。</p>
<p>けれども立派な古墳が数多くあるのは何といっても奈良県や大阪府など大和朝廷が直に支配していた地方です。<br />
古墳は三世紀の頃に大和の地方で初めて作られ四世紀になると各地に広まっていきます。</p>
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<p>この古墳の広まり方はヤマトの国の勢いが広まっていったのとよく時代が合っています。<br />
ヤマトの国も三世紀の中頃から勢いを広げはじめて四世紀の末頃には大体日本を統一しています。</p>
<p>つまり古墳の広まった地方は大和朝廷の勢いの届いていたところです。<br />
だから古墳の広がりはヤマトの国の広まっていった様子をよく現していると言っていいのではないでしょうか。</p>
<p>このような古墳の中でもとりわけ大きく立派なのは仁徳天皇陵や応神天皇陵という５世紀に作られた前方後円墳です。</p>
<p>仁徳天皇陵は大阪の南、堺市にあります。</p>
<p>縦の長さ475メートル、丸い部分の直径245メートル、高さ35メートルという大きさで周りには三重に堀が作られています。</p>
<p>これを調べた学者の計算によると盛り上げる土を運ぶだけでも１日に1000人の人を使って四年は掛かっただろうということです。</p>
<p>また、古墳を作り上げるためにはただ土を盛り上げるだけではたりません。<br />
周りには堀を作り土手を築き形を整えなければなりません。</p>
<p>そのほか古墳の上にはふき石というものを被せ丘の周りには埴輪も並べます。<br />
仁徳天皇陵のふき石はその近くのものではなくて、かなり遠くの川から運ばれたもののようです。</p>
<p>それはトラックで運んでも何千台かが必要なほどのたいへんな数だと言われています。<br />
また丸い筒の形をした埴輪が丘の周りや堀に沿ってぎっしり並べられていますがその数は二万以上にもなるだろうと言われています。</p>
<p>古墳を造る仕事がどんなにたいへんだったかがわかるりますね。<br />
仁徳天皇陵のような大きな墓を作るにはたいへんな人手と年月が掛かります。</p>
<p>ですからこうした墓は天皇のまだ生きている内から作りはじめられました。<br />
その頃の人々はこのように大きな古墳を見て天皇や豪族たちの勢いの強さにさぞ驚き恐れたことでしょう。</p>
<p>また天皇や豪族たちはヤマトの国の盛んな勢いをこの古墳によって外国の人に見せようとしたものかもしれませんね。</p>
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