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	<title>和同開珎 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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		<title>奈良時代の都の生活・暮らしとは？　お金がつくられた？</title>
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		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 23 Jan 2014 18:51:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[奈良時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は奈良時代での都の生活・暮らしについて、日本の歴史を紹介します。 都には、・役人や坊さんばかりでなく、商人や手工業をする人も、たくさん集められました。 町の東西には賑やかな市がたちました。 左京に東市、右京に西市が、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は奈良時代での都の生活・暮らしについて、日本の歴史を紹介します。<br />
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<p>都には、・役人や坊さんばかりでなく、商人や手工業をする人も、たくさん集められました。<br />
町の東西には賑やかな市がたちました。</p>
<p>左京に東市、右京に西市が、おのおの八条の地に開かれました。<br />
市の広さは、おのおの東西一七四メートル、南北二六一メートルもあり、多くの商人が市に集まり、地べたにいろいろな商品を広げて売っていました。</p>
<p>商品は米・麦・大豆などの穀類、大根・つけ菜・栗・柿などの野菜や、果物類、塩・酢・味噌・油などの調昧料、その他、筆・墨・紙・鍋・ひつ・鎌・薪・炭などの雑貨類、武器・馬具・玉・鍵などに至るまで、様々なものがありました。</p>
<p>また、絹や麻などの織物は、種類も多くあったことは、次の歌からも、伺われます。</p>
<p>西の市にただひとりいでて目ならず<br />
買いにし絹の商じこりかも</p>
<p>(ひとりで西の市にきて、絹を買おうとしたら、あまりにいろいろあるので、目移りがして、つい詰まらない品物を買ってしまった。)</p>
<p>また、座って売る人ばかりでなく、歩きながら物を売る商人もいました。</p>
<p>市場での買物には、お金が支払われました。<br />
日本で初めてお金が造られたのは、708年(和銅元年) だと言われます。</p>
<p>これは和同開珎(和同開珎とも読む)と名づけられ、銀と銅の両方が造られましたが、銀銭はまもなく廃止されました。</p>
<p>和同開珎から、958年(天徳二年)の乾元大宝まで、12種銭が造り代えられたので、この間のお金を、皇朝十二銭といっています。</p>
<p>和同開珎がでた始めの頃、人々は銭の使い方がわからず使おうとしませんでした。<br />
そこで、政府は銭を貯めた人に位をあたえたり、役人の給料に物でなく銭をあたえたりしました。</p>
<p>また政府は、田の売買には必ず銭を使うよう命令しました。<br />
こうして都やその周りの土地で、銭が使われるようになりました。</p>
<p>ところが、悪い人が勝手に銭を造って、政府を困らせるようなことがおきてきました。<br />
政府はこれらの人々を、厳しく罰しましたが、中々なくなりませんでした。</p>
<p>そのために、お金の値打ちが下がり、物の値段がどんどん上がったので、人々はたいへん困りました。<br />
また、地方の有力者のなかには、多くの銭を蓄え、政府や寺に寄付して高い位をもらう者もあらわれてきました。</p>
<p>奈良時代の都の人ロは約20万人位いたようでさす。<br />
役人だけでも一万人、その家族や召し使い・奴婢(どれい)また全国から集められた衛士(兵士)や仕丁(税金のかわりに役所で働かさされる人)も何万人といたはずです。</p>
<p>坊さんも数千人いました。</p>
<p>そのほか商売なする人や大工・職人もたくさんいました。<br />
なお当時の日本の全人口は5、6百万人と推定されます。</p>
<p>都に住む多くの人々のなかで、貴族は、とくに贅沢な暮らしをしていました。<br />
広々とした都大路を、美しい着物を着た貴族たちは、馬に乗ったり、ゆうゆうと歩いたりしていました。</p>
<p>ももしきの大宮人の暇あれや<br />
梅をかざして今日も集える</p>
<p>(宮廷の貴族たちは、暇なのだろうか、今日も頭に梅の枝をさして集まっている。)</p>
<p>この歌からも、当時の貴族たちの華やかな生活を送っている様子が、目に浮かんできます。<br />
奈良時代には、朝廷をはじめ民間でも、毎年決まった日に、決まった行事が行われるようになりました。</p>
<p>正月の元日には、役人たちは年賀のために宮中へいきました。<br />
同じ正月の半ばには、人々が歌を歌いながら足拍子を鳴らして歩く、踏歌の節会が催されました。</p>
<p>そのほか、三月には曲水の宴、四月に仏生会、五月にしょうぶの節句、七月に相撲や、七夕、お盆などの行事が続きました。</p>
<p>曲水の宴は、庭に細い水の流れをつくりそれに酒の入った盃を流し、盃が自分の前にこないうちに、歌をつくるあそびです。</p>
<p>また仏生会というのは、シャ力の誕生日を祝う花まつりです。<br />
この時代には、貴族たちの間で、唐から伝わったあそびが、盛んに行われました。<br />
青年らしい、勇ましい遊戯として、・打球がありました。</p>
<p>馬に乗った競技者が2組にわかれ、馬上から杖を使って、まりを自分のゴールに入れる遊戯です。<br />
室内の遊戯としては、碁・すごろく・弾碁（たぎ）・投壷（とうこ）などがありました。</p>
<p>碁は、今と同じように、縦横19の・線を入れた361の目の上で黒白の石を戦わせるのです。</p>
<p>すごろくは、長方形の盤の中央に太い線と左右に21の目を入れ、その上に黒白おのおの15個の石を置き、2つのさいを振り、出た数だけ石を進め、早く敵陣にいれた方が勝ちです。</p>
<p>弾碁は、すごろくの盤に似た21の目の盤の上に、数個の黒白の石を撒き散らしておき、指で弾いて、当て合いをするあそびです。</p>
<p>投壺は、左右に耳のついた壺に少し離れたところから矢を投げこんで、数を争う遊戯です。</p>
<p>これらの遊戯は今でも遊んだりしますよね。</p>
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