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	<title>問屋 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>問屋 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>小売屋と問屋とは？ 金座・銀座とは？ 蔵屋敷とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/829</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 06 Jul 2014 21:49:45 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[江戸時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は小売屋と問屋とは？　金座・銀座について、日本の歴史を紹介します。 小売屋と問屋とは？ 商店には、店へ買いにくるお客に品物を売る小売屋と小売屋へ品物を卸す問屋とがあります。 問屋には、大坂の方から船で運んできた荷物を [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は小売屋と問屋とは？　金座・銀座について、日本の歴史を紹介します。<br />
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<h2>小売屋と問屋とは？</h2>
<p>商店には、店へ買いにくるお客に品物を売る小売屋と小売屋へ品物を卸す問屋とがあります。</p>
<p>問屋には、大坂の方から船で運んできた荷物を扱うものもあれば江戸の周りの土地から運んできた品物を扱うものもありました。</p>
<p>これらの問屋は、仲間同士で組合をつくっていました。<br />
この組合は株仲間と呼ばれました。</p>
<p>風問屋・茶問屋・紙問屋・木綿問屋などさまざまな問屋の組合がありました。</p>
<h2>栄える大商人</h2>
<p>小売商は問屋から品物を卸して貰って売るのですから問屋より小さいわけですが中には大きな商人もいました。</p>
<p>越後屋という呉服店は三井家で経営していました。</p>
<p>越後屋ではあらゆる種類の呉服が用意されお客さんの注文に応じて一尺(一尺は30.3センチ) でも二尺でも切って売ってくれました。</p>
<p>また、この頃は品物を売っても帳面へつけておいて盆と暮れ(大晦日)の二度にお金を受け取るのが普通でした。</p>
<p>それから品物には正札(正しい値段を書いた札)が付けてなく実際より高い値段を言った上で幾らか儲けて売るのが普通でした。</p>
<p>ところが越後屋では全て現金で売ることにし正しい値段で売るようになりました。<br />
このため、越後屋は信用を増し、たいへん繁盛しました。</p>
<p>大丸や松坂屋も古くから続いている呉服店です。<br />
商人の中には仕事が上手くいってたいへんお金を儲けた人もありました。</p>
<p>儲けたお金を人に貸して利子を取り、さらにお金を儲けた人もあります。</p>
<p>また畑を開墾してそれを売って儲けた人もあれば、その田畑を小作人に造らせ小作料をとって、お金を蓄えた人もいました。</p>
<p>三井家では江戸・京都・大坂で呉服店を開き金貸しを行い、新田も開くというように、ますますお金を儲け天下の大富豪となりました。</p>
<h2>貨幣とは？</h2>
<p>徳川氏は、1601年(慶長六年)貨幣制度を整え慶長金銀を発行しました。<br />
その後商業の発達に伴って元禄の頃になると貨幣は全国に行き渡るようになりました。</p>
<p>江戸時代の貨幣は金貨・銀貨・銅貨の三種類ありました。<br />
金貨は大判が10両、小判が1両でした。</p>
<p>初めの頃の金貨は質がよいもので小判には金が84パーセント入っていて、あとは銀でした。<br />
一両には金が約15グラム含まれていたわけです。</p>
<p>今の金の値段は1グラム約4000円ですから一両は約6万円になります。<br />
もっとも、後になるとだんだん金を少なくして銀を多くするようになりました。</p>
<h2>金座と銀座とは？</h2>
<p>金貨や銀貨を発行したのは幕府ですが、それを造ったのは金座、銀座という商人の組合でした。<br />
家康は後藤光次という者に小判一分判を造らせました。</p>
<p>その後、後藤氏は慶長金銀が定められると貨幣を造る仕事の長となり造る所は金座と呼ばれるようになりました。</p>
<p>金座のあった位置は今の日本銀行のところです。</p>
<p>銀座は、はじめ伏見についで駿河に設けられましたが後に、伏見の銀座は京都に、また駿河の銀座は江戸に移されました。</p>
<p>今の東京の銀座は、これが地名として残っているものです。</p>
<h2>蔵屋敷とは？</h2>
<p>大名は、年貢として取立てた米などを大坂へ送り、それを売り払ってお金に換えました。</p>
<p>また大名たちは大坂に蔵屋敷という邸宅をおき、そこの蔵へ米を閉まっておいて必要に応じて売ったのです。</p>
<p>はじめは武士が直接売り捌いていましたが後には商人に頼むようになりました。<br />
そういう商人を蔵元といいました。</p>
<p>蔵元になるような商人はお金をたくさん持っている大商人でしたから大名は、お金に困ると、それらの商人から借金をしました。</p>
<p>そこで、後には武士も大商人には頭があがらないようになりました。<br />
蔵屋敷の蔵米は入札で高い値段の者に売り渡されました。</p>
<p>それを買った仲買商人は大坂の堂島の市場で売買しました。<br />
その頃、大坂は「天下の台所」といわれ大名の蔵米のほか全国から米やその他の産物が集められました。</p>
<p>堂島の米市場は全国一の大きなもので、そこの米の値段は全国の米の値段に影響を与えました。<br />
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		<title>室町時代の商業と手工業とは？ 市・問屋・座とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/779</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 18 Jun 2014 06:53:48 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[室町時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[手工業]]></category>
		<category><![CDATA[問屋]]></category>
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		<category><![CDATA[商業]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は室町時代の商業と手工業について、日本の歴史を紹介します。 商業と手工業 農業が進歩するにつれて林業・漁業・鉱業・手工業も発達してきました。 そしてこれらの生産物を集めたり運んだり、売りさばいたたりするために商業が非 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は室町時代の商業と手工業について、日本の歴史を紹介します。<br />
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<h2>商業と手工業</h2>
<p>農業が進歩するにつれて林業・漁業・鉱業・手工業も発達してきました。<br />
そしてこれらの生産物を集めたり運んだり、売りさばいたたりするために商業が非常に進歩しました。</p>
<p>また、室町時代には、商業と並んで手工業も目覚しく発展しました。<br />
手工業を営んだものとしては農民があげられます。</p>
<p>農民たちは必要なものは、自分たちで作るためにそれぞれの家で、手工業を営みました。</p>
<p>それに、京都の貴族や神社・寺院を領主とする荘園には、たくさんの職人がおり手工業によって、暮らしをたてていました。</p>
<p>彼らは、やはり荘園内の商人と同じようにそれぞれ座とよぶ同業組合をつくっていました。</p>
<h2>市と店</h2>
<p>室町時代には、このように様々な産業が発達したため都だけでなく、農村にも市がたくさんたち、そこで、色々な品物が売り買いされました。</p>
<p>市には、タツの市・トリの市、のように決まった干支の日にたつものが多かったようです。<br />
また、神社や寺院の門の前にも市がたちこれらは門前市と呼ばれていました。</p>
<p>月に何回か、決まってたつ定期市も増えこれは、三日市・五日市などと言われました。</p>
<p>貨幣は、鎌倉時代にも使われていましたが室町時代になると、さらに行き渡り、お金さえ出せば、なんでも買えるようになりました。</p>
<p>人口の多い都市では、毎日たいてい、どこかで市がたち、やがてその場所には、いつでも品物の買える店が、たくさん出来てきました。</p>
<p>京都の三条、四条の店は、鎌倉時代の初め頃から賑わっていましたが、奈良の門前町の店は応仁の乱のころから盛んになってきました。</p>
<h2>問屋</h2>
<p>市や店が発達し、品物の取引が激しくなると都市の市場では、小売り商人に品物を卸す卸売り商人がでてきました。</p>
<p>そして、卸売り商人が出入りする卸し売り市ができそこへ商品を卸す問屋があらわれました。</p>
<p>問屋は、はじめ、たんに問とか問丸といって領主に送る荘園の年貢米を預かったりこれを都に送る仕事をしたりしていました。</p>
<p>そのため問屋は最初、主に交通の便利な港町に発生しました。</p>
<p>はじめ、問屋の栄えたところとしては兵庫(神戸市)・堺(大阪府)・敦賀(福井県)・大津(滋賀県)などがあります。</p>
<p>ところが、その内に京都や奈良のような商業の中心地にも、多くの問屋が現れ地方の商品を、卸売りするようになりました。</p>
<h2>座</h2>
<p>このころの商人や職人は、自分たちの利益を守るために勢いの強い貴族や、大きな神社・寺院などの保護を受け同業者の組合をつくっていました。</p>
<p>これを座といいます。</p>
<p>座の人々は、これらの貴族・神社・寺院などに座銭というお金や品物を納めたり座役という仕事な請け負ったりしました。</p>
<p>その代わり、座に入っていない人々が自分たもと同じ商売が出来ないようにしてもらったのです。<br />
座に加わっている人々を座人といいます。</p>
<p>彼らは、京都や奈良などの都市それに荘園内の決まった区域で商売をしたり品物なつくつたりする権利を、独り占めにしました。</p>
<p>また、商売をしたり、市にでたり関所を通るときなどに払う税を免れれました。<br />
そして、このような権利は、代々その子孫が受け継いだのです。</p>
<p>室町時代には、奈良の興福寺の大乗院や一乗院の保護を受ける座だけでも80以上あったということです。</p>
<h2>さまざまな職人</h2>
<p>この時代には、手工業が、非常な勢いで発達してきましした。</p>
<p>都にほど近い貴族・神社・寺院の荘園では手工業が特に盛んになり、その仕事も細かくわかれてきました。</p>
<p>例えば、土器をつくる人、銀細工をする人屋根をふく人、木に彫り物をする人塗り物をする人など、さまざまな職人がいました。</p>
<p>これらの職人は、商人の場合と同じように同業者の組合をつくっていました。</p>
<p>これな職人の座といいます。</p>
<p>職人の座は、やはり荘園領主の保護を受けました。<br />
その代わり、商人の座と同じようにいろいろの義務もありました。</p>
<p>このような座としては、奈良の東大寺や興福寺のふきく座(屋根をふく人の座)、ちく座(木に彫り物をする人の座)、ぬし座(塗り物をする人の座)などが、特に有名です。</p>
<h2>各地の特産品</h2>
<p>このように、いろいろな仕事をする職人の数が増えるに連れて手工業の技術も進歩してきました。<br />
そして、各地に手工業の中心地ができ地方ごとに特産品がつくられるようになります。</p>
<p>これらの特産品の中には刀剣類のように、明(中国)へ輸出されたものもありました。</p>
<p>特産品は、その後、だんだん数が増えどこの国の名物はなに、と評判になるようになっていきます。</p>
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