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	<title>御朱印船 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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		<title>御朱印船の人々とは？　南洋の日本町とは？</title>
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		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 05 Jul 2014 03:10:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[江戸時代]]></category>
		<category><![CDATA[御朱印船]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は御朱印船の人々とは？　南洋の日本町について、日本の歴史を紹介します。 街朱印船の人々とは？ 御朱印船とは、今の船にすれば100トンから1000トンくらいの大きさで乗組員も50人から400人もの大勢が乗り込んでいまし [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は御朱印船の人々とは？　南洋の日本町について、日本の歴史を紹介します。<br />
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<h2>街朱印船の人々とは？</h2>
<p>御朱印船とは、今の船にすれば100トンから1000トンくらいの大きさで乗組員も50人から400人もの大勢が乗り込んでいました。</p>
<p>毎年20そうくらいの船が遠く南から、カンボジア・ジャム・マティ・ジヤワ・ボルネオ・ルソンなどへ出かけていきました。</p>
<p>儲けが大きかったので商人の他に、加藤清正や細川忠興・松浦鎮信・有馬晴信・鍋島勝茂・島津家久のような大名まで貿易に携わりました。</p>
<p>朱印船貿易で活躍した商人には呂宋助左衛門・角倉了以・後藤宗叫などが、挙げられます。</p>
<p>呂宋助左衛門は、堺の大商人で苗字を魚屋（ととや）といい先祖は倭冠の仲間でしたが助左衛門は朱印状を受けてフィリピンに渡り、ここを根城に貿易を行なっておりました。</p>
<p>あるとき、茶人の喜ぶルソンの壺50個を輸入し秀吉に差し上げました。</p>
<p>秀吉はこれを独り占めにしようとしましたが茶人の利休と相談して各地の大名たちに売りました。<br />
おかげで助左衛門は大儲けをしました。</p>
<p>角倉了以は、京都の人で、その頃の人から「ただものでない」と言われていました。<br />
彼は、息子の与一と一緒に盛んに貿易をし、その船は角倉船として有名でした。</p>
<p>貿易の傍ら、運河をいくつか作り、また、角倉版とか嵯峨本という世界にも誇れるほどの美しい本をいろいろつくりました。</p>
<h2>南洋の日本町とは？</h2>
<p>大勢の日本人が御朱肌船や外国船に乗って海外に出かけていきました。</p>
<p>その中には、奴隷として売られたりあるいは、兵隊や商館の手伝いなどに雇われたり、さらにキリスト教が禁止されて厳しい刑罰が行われるようになると、その信仰を守りぬくために海外へ渡った人がたくさんあります。</p>
<p>恐らく、寛永の鎖国(1639年)までに海外へ渡った人は10万人くらいになるでしょう。<br />
その人々の何パーセントかは日本へ帰らずに行った先々で住み着きました。</p>
<p>これらの人々はたいてい日本人ばかり固まって住み着きましたので、そこは、しぜん日本町ということになりました。</p>
<p>そして、こういう日本町がインドシナ半島や、シャム・フィリピンの各地にできました。<br />
安南では、ツーランや、はフェフォという町に日本町がありました。</p>
<p>ツーランでは、港の近くに日本町ができ二階建ての店が、道を挟んで両側に三町(約330メートル)も続いていたそうです。</p>
<p>店には、着物・屏風・蒔絵の箱などが並べてあり町には、かみしもを付けた武士の姿や十字架のメダルを首にさげたキリスト教信者の姿も見られました。</p>
<p>カンボジアにも、日本町がありました。<br />
そのころの都をウドンといいましたが日本町は、その都の近くにニか所ありました。</p>
<p>一つは、今の首府であるプノンぺンにあともう一つは、その北六里(約24キロ)あまりのビニヤルにありました。</p>
<p>シャムでは、バンコクの北のアユチャに日本町がありました。</p>
<p>山田長政は、はじめ、このアユチャに住み着き日本人の頭として、活躍しましたが後に、日本人の兵隊を率いてシャムの国王に仕え、手柄をたてました。</p>
<p>そして、リゴール王という高い位を貰いその地方をよく治めました。<br />
フィリピンではマニラに日本町がありました。</p>
<p>日本人は、どこでも日本の着物を着て、日本の週刊を守り、神社やお寺を建てて、日本での生活を忍びました。<br />
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		<title>御朱印船とは？ 徳川家康と外国貿易と豊臣秀吉の外交の違いとは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/815</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 04 Jul 2014 01:46:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[江戸時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[鎖国]]></category>
		<category><![CDATA[御朱印船]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は御朱印船とは？　徳川家康と外国貿易について、日本の歴史を紹介します。 豊臣秀吉の外交とは 室町時代の末には大陸に近い九州や中国地方などの大名たちは朝鮮や、中国や、琉球の国々と盛んに貿易を行なって、豊かになり非常に大 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は御朱印船とは？　徳川家康と外国貿易について、日本の歴史を紹介します。<br />
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<h2>豊臣秀吉の外交とは</h2>
<p>室町時代の末には大陸に近い九州や中国地方などの大名たちは朝鮮や、中国や、琉球の国々と盛んに貿易を行なって、豊かになり非常に大きな勢力となったものもありました。</p>
<p>また、倭冠といって遠方では、南中国の方まで出かけていき相手が大人しく商売に応じないときは、たちまち、強盗になると、乱暴な日本人もいました。</p>
<p>秀吉は、国内を統一すると大名や商人たちが勝手に貿易することを取り締まり、その頃、盛んに活躍した海賊を取り締まるために証明書を作りました。</p>
<p>そして、この証明書を持った船だけが国外へ出かけることを許しました。</p>
<p>また、秀吉は、いつも世界地図を描いた扇を持っていたといいますが国内を統一したら、海外へも手を伸ばそうとしていました。</p>
<p>秀吉は、早くから朝鮮に目をつけ続いて、「唐入り」を夢見ていました。<br />
「唐入り」というのは中国に攻め入ることです。</p>
<p>そして、秀吉は「唐入り」の次には「天竺南蛮」にまでもと思っていました。<br />
「天竺南蛮」というのはインドや南の国々という意味です。</p>
<p>そこで、秀吉は、天竺（インド)、ルソン(フィリピンの一部)、高山国(台湾)の国々へ手紙で頭から、日本に降参して貢物を出すようにいってやりました。</p>
<p>しかし、これは外国の様子をよく調べないでやることですから、いくら秀吉でもうまくいくはずがありません。</p>
<h2>徳川家康と外国貿易</h2>
<p>家康は、幕府の力を経済の方からも強めようと考え儲けの多い外国貿易については非常にカを入れました。</p>
<p>そこで、家康は、秀吉が外国貿易に対して乱暴な制作をとったのと反対に親しく付き合う制作をとりました。</p>
<p>そして、ルソン・安南(ベトナムの北部)、ジャム(タイ)・カンボジアなどと貿易を行い、貿易船には秀吉のやり方にならって朱印状という証明書を持たせました。</p>
<p>朱印状には「日本よりもどこどこの国へ行く船である」ということが書いてあり海賊船でないことをはっきり示しました。</p>
<p>この貿易船を御朱印船といいます。</p>
<p>また、家康は中国とも正式に貿易をしたいと思いました。</p>
<p>そこで、前から来ていたポルトガルやスぺインの船を通して中国の品物を手に入れなければなりませんでした。</p>
<p>1600年(慶長五年)関ヶ原の戦いが始まった年の春、リーフデ号というオランダの船が豊後国(大分県)の海岸に流れつきました。</p>
<p>この船には、アダムスというイギリス人とヤン＝ヨースチンというオランダ人がのっていました。<br />
家康は、この2人を取立てて幕府の外交についての相談役にしました。</p>
<p>2人はそれぞれ日本橋に屋敷をもらい、ことに、アダムスは三浦按針という日本名を名乗りました。<br />
三浦というのは彼が相模国(神奈川県) の三浦郡に領地をもらったからで按針とは、今の言葉でいえば水先案内のことです。</p>
<p>やがて、オランダ・イギリスと貿易の道が開け平戸(長崎県)に商館を建てて活動をはじめました。</p>
<p>そのころ、ポルトガル・スペイン・イギリス・オランダなどが東洋へ来て貿易をするといっても西洋の品物ばかり取り扱ったのではなく東洋の各国の品物も数多く扱いました。</p>
<p>彼らは儲かる品物ならなんでも各港で買いいれて、すぐまた他の港で売りました。</p>
<p>日本へは、中国や南方の港で仕入れた生糸・ラシャ・毛皮・鮫の皮・砂糖・香などを持って、日本の特産物である銀・銅・刀剣・金銀細工・海産物屏風・扇子などを仕入れて帰りました。<br />
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