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	<title>文明開化 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>文明開化 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>大正の文化とは？　教育の広まりと学問の発達とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/929</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 11 Oct 2014 06:57:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[大正の文化]]></category>
		<category><![CDATA[明治維新]]></category>
		<category><![CDATA[鎖国]]></category>
		<category><![CDATA[文明開化]]></category>
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		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は関東大震災について、日本の歴史を紹介します。 明治維新以来、我が国は西洋の文化を次々に取り入れてヨーロッパの国並みの文化を身につけようと一生懸命努力しました。 それは、長い間鎖国をしているうちに、すっかり世界の様子 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は関東大震災について、日本の歴史を紹介します。</p>
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明治維新以来、我が国は西洋の文化を次々に取り入れてヨーロッパの国並みの文化を身につけようと一生懸命努力しました。</p>
<p>それは、長い間鎖国をしているうちに、すっかり世界の様子が代わってしまい、このままでは、日本はとても独立国として立つことはできないと考えたからです。</p>
<p>そこで、なにもかも西洋と同じようになることはできないので、せめて形だけでも同じようにしたいと考え政治や経済の仕組みはもちろん文化の上でも、西洋文化をやたらに取り入れました。</p>
<p>ですから、そこには、行き過ぎもあり奇妙な姿かたちでてきたわけです。</p>
<p>しかもそれは、「日本橋の文明開化」などといわれたように都会では、新しい文化の姿があっても田舎では、昔と同じ姿が生活の中に残っていたわけです。</p>
<p>このような新しい文化が都会だけでなく全国にまで行き渡り、また日本の古い文化と溶け込んで借り物でなく、本当の日本の新しい文化が生まれるためには、何十年かの年月が必要だったのです。</p>
<h3>大正の文化</h3>
<p>文化が進むためには政治や経済などが進歩しなければなりません。<br />
文化には、こうした政治や経済の動きが、よく映し出されるのです。</p>
<p>大正の文化の特色は一口で言えば、日本の新しい文化がようやく固まって、民衆の文化となったということです。</p>
<p>民衆の文化となるためには、まず民衆の生活が、高まることが大切です。</p>
<p>明治以来幾度かの苦しい時代を通って日本は大正に入ると第一次世界大戦のときの好景気により一時的に日本の経済が豊かになりました。</p>
<p>民衆の生活は高まり民主主義の考え方が盛んに唱えられ、それに刺激されて日本で、はじめての本格的な<br />
政党内閣ができたり普通選挙が行われるなど確かに明るい空気がみなぎっていました。</p>
<p>もちろんそれは基礎のしっかりしたものではなかったため、そののち、暗い空気に変わってしまいましたがともかく、明治以来の努力が一応実って花を咲かせたときだったと言えます。</p>
<h2>教育の広まりと学問の発達</h2>
<p>この時代は、学校の数がたいへん増えました。<br />
とくに、中学校や女学校の増え方は著しく大正時代だけで、両方合わせて363校も増えました。</p>
<p>このことは、教育が一層広く国民の間に行き渡ったことを示しています。</p>
<p>また、大学・高等学校・専門学校(旧制)などの増えたことによって世の中に多くのインテリが生みだされ<br />
大正デモクラシーも、これらの人々によってより深く理解されました。</p>
<p>いっぽう教育の広まりとともに学問のほうも非常な発達を遂げ外国の真似から抜け出すようになりました。</p>
<p>とくに、化学・物理・工学など自然科学の研究は一段と進み、この時代の重工業や、化学工業の発達に<br />
たいへん役立ちました。</p>
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		<title>文明開化とは？　太陽暦・散切り頭とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/870</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 11 Jul 2014 08:03:49 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[明治時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[文明開化]]></category>
		<category><![CDATA[散切り頭]]></category>
		<category><![CDATA[太陽暦]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は文明開化とは？　太陽暦・散切り頭について、日本の歴史を紹介します。 政府が、進んで西洋の文化を取り入れたので人々の生活も、急に変わってきました。 太陽暦の採用 その中で、国民に最も大きな影響を与えたのは政府が太陽暦 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は文明開化とは？　太陽暦・散切り頭について、日本の歴史を紹介します。<br />
政府が、進んで西洋の文化を取り入れたので人々の生活も、急に変わってきました。</p>
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<h2>太陽暦の採用</h2>
<p>その中で、国民に最も大きな影響を与えたのは政府が太陽暦を採用したことです。<br />
それまでは、月の満ち欠けをもとにした太陰暦が使われていました。</p>
<p>太陰暦は、旧暦とも言われ今でも私たちの生活に残っているものがあります。<br />
八十八夜とか、ニ百十日などがそれです。</p>
<p>しかし太陰暦には、不便なことがあります。<br />
実際の季節と、暦の月日があわなくなってくることです。<br />
そのくるいを治すために度々、閏月がおかれます。</p>
<p>そのために、一年が22か月になるのです。<br />
例えば、1868年(明治元年) には四月が二度、1870年(明治三年) には10月が2度ありました。</p>
<p>すでに、ヨーロッパやアメリカでは太陽暦を使っているのに日本だけが違った暦を使っているのでは外国との付き合いが盛んになった明治の世には、たいへん不便でした。</p>
<p>そこで政府は、1872年(明治五年)12月2日限りで、太陰暦を止めました。<br />
そして、翌日を1873年(明治六年)1 月1日としました。</p>
<p>私たちが今使っている暦はこのときに定められたのです。<br />
暦の上でも、日本は外国の仲間入りをしたわけです。</p>
<p>た、1日の時間も、それまでは12時にわけて子刻・丑刻などと読んだり、あるいは、六つ時・七つ時などと呼んだりしていました。</p>
<p>これを改めて、1日を24時間として今使っているように何時何分と言う呼び方にしました。<br />
さらに、外国と同じ七曜制を用いて週間を七日とし、日曜日を休日としました。</p>
<p>また、このころ新しく祝祭日が定められました。</p>
<p>神武天皇が即位した日(後の紀元節)と天長節(今の天皇誕生日) だけが祝日に決められました。</p>
<h2>散切り頭</h2>
<p>新しい生活の中で最も目に見えて変わったのは人々の服装や習わしでした。<br />
政府は1871年(明治四年)チョンマゲを切ってもよい刀をささなくてもよいという布告を出しました。</p>
<p>そこで、この頃から散切り頭が増えてきました。<br />
チョンマゲを切ったあとの頭を散切り頭というのです。</p>
<p>当時の風俗を詠った流行歌に、散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がするチョンマゲ頭を叩いてみれば因循姑息の音がするというのがあります。</p>
<p>因循姑息というのは、先のことは考えず古いものをただ有り難がって、ぐずぐずしていることです。<br />
このように、形だけでも西洋風にしていれば文明開化といって、もてはやされたのでした。</p>
<p>洋服は活動するのに便利でしたから江戸時代の末に、軍隊の制服として用いられていました。</p>
<p>しかし、明治の世になっても役人は政府の儀式には直垂や、狩衣など、江戸時代の儀式の服装を用いていました。</p>
<p>そこで政府は、1872年(明治五年) に、この習わしを止めて、儀式のときの役人の服装も洋服にすることに決めました。</p>
<p>そのため、まず役人や先生が普段も洋服を着るようになりました。<br />
また、散切り頭が流行るにつれて帽子を被り、靴も履くようになりました。</p>
<p>この他、こうもり傘も広まりました。<br />
服装ばかりでなく食べ物もたいへん変わってきました。</p>
<p>これまで嫌われた牛肉も東京では、これを食べさせる、すきやき料理屋も出来てきました。<br />
また、バター・パン・コーヒー・牛乳なども人々に親しまれるようになりました。</p>
<h2>西洋風の建物</h2>
<p>衣・食ばかりでなく、住のうえでも西洋風の建物が増えてきました。<br />
それにつれて室内の調度品も西洋風になって椅子・机などが備え付けられました。</p>
<p>また、行灯に代わってランプも使われるようになりました。<br />
西洋風の建物で最も有名なのが銀座通りです。</p>
<p>これはイギリス人の技師の階設計で1878年(明治11年)に出来ました。<br />
両側には、れんがづくりの建物がならび、車道と人道との区別もありました。</p>
<p>道端には、松・桜などの並木が植えられ人道には、れんがが敷かれました。</p>
<p>通りには明るいガス燈が灯り、やがてレールの上を馬にひかせる鉄道馬車が走るようになりました。</p>
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		<item>
		<title>文明開化とは？ 学校制度（学制）の導入！ 外国人の先生や海外留学生も！</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/867</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 11 Jul 2014 06:27:19 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[明治時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[文明開化]]></category>
		<category><![CDATA[横浜毎日新聞]]></category>
		<category><![CDATA[明六雑誌]]></category>
		<category><![CDATA[クラーク]]></category>
		<category><![CDATA[津田梅子]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は文明開化について、日本の歴史を紹介します。 教育の普及 長い間、外国との付き合いが禁じられていたために日本はヨーロッパの国々やアメリカなどに比べ ずっと文化が遅れていました。 外国の文化を取り入れて日本を進んだ国に [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は文明開化について、日本の歴史を紹介します。<br />
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<h2>教育の普及</h2>
<p>長い間、外国との付き合いが禁じられていたために日本はヨーロッパの国々やアメリカなどに比べ<br />
ずっと文化が遅れていました。</p>
<p>外国の文化を取り入れて日本を進んだ国にするには、まず教育を盛んにする必要がありました。<br />
そこで政府は教育の普及に力を尽くしました。</p>
<h2>学校制度</h2>
<p>1872年(明治五年)政府は学校の制度(学制)を決めました。<br />
これまで、学問は職業や身分によって制限されており武士には武士らしい学問が教えこまれました。</p>
<p>商人には町人らしい学問また農民には農民の身分に相応しく、そして農業に差し支えないような学問に限られ決して身分不相応な学問は許されませんでした。</p>
<p>それが、新しい学校制度では職業や身分に関わりなく国民全部が教育を受けられるようになったのです。<br />
新しい学校制度はフランスやアメリカの制度をもとにしてつくられました。</p>
<p>政府は、学区制を取り入れて全国を八大学区にわけ区ごとに一つの大学をおき一大学区を32中学区にわけ区ごとに一つの中学校をおき一中学区を210小学区にわけ、区ごとに一つの小学校を、おく方針でした。</p>
<p>従って、制度の上ではハつの大学と256の中学校と5万3760の小学校が、出来るわけでした。</p>
<p>しかし、費用などのてんからこれを完全に行うことは出来ませんでしたが、それでも、1873年には8000の小学校ができこのほか私立の小学校も合わせると、その数は1万2000ほどにも昇りました。</p>
<p>こうして、男の子も女の子も六才になると、小学校に入学する決まりがたてられました。</p>
<h2>外国人の先生</h2>
<p>政府は、小学校ばかりでなく中学校・師範学校・農学校・大学などの上級の学校を造ることにも力を入れました。</p>
<p>そして、ここで学校の先生や役人や技術者をつくりあげて彼らを世の中の指導者にしようとしました。<br />
それには、上級学校で教える立派な先生がいります。</p>
<p>そのため、1872年(明治五年)には214人の外国人の先生が政府の招きを受けて、日本の学校で教えるようになりました。</p>
<p>オランダ人の宣教師フルベッキもそのひとりです。</p>
<p>彼は長崎でキリスト教を広めていましたが東京に大学をつくるから力を貸してくれるようにという政府の頼みで、学校の経営にあたりました。</p>
<p>これが大学南校(今の東京大学)でフルベッキは1871年から数年の間、その教頭をつとめました。</p>
<p>また、1877年(明治10年)学生たちに、「少年よ、大志を抱け」という有名な言葉を残して去ったクラークも、アメリカから政府に頼まれてきた札幌農学校(今の北海道大学)の教頭でした。</p>
<p>学校だけでなく、政府が造った工場へも新しい技術を教えるために大勢の外国人が招かれました。</p>
<p>これらの外国人たちは「お雇い教師」とか、「お雇い外国人」などと呼ばれて、国民から多いに尊敬されたものでした。</p>
<h2>海外留学生</h2>
<p>外国の文化を取り入れる近道は留学生をおくることです。<br />
そこで政府は多くの学生を外国に留学させて西洋の学問を学ばさせました。</p>
<p>1871年、岩倉具視が大使としてアメリカやヨーロッパの国々へ出かけたとき多くの留学生がついていきました。</p>
<p>中に最初の女子留学生として津田梅子(当時8才)ら五人の少女が混じっていました。<br />
津田梅子は、後に東京に津田英学塾(今の津田塾大学)という女子の学校を開きました。</p>
<p>これまで、軽く見られてきた女子の教育にも次第に力が入れられるようになったのです。</p>
<h2>新開と雑誌</h2>
<p>学問や教育を盛んにするために、また国民の知識を広くするために新聞や雑誌が、日本で盛んに出されるようになったのは明治時代になってからです。</p>
<p>江戸時代には、瓦版といって町の中の小さな出来事を知らせるものがありました。<br />
また幕末には新聞と呼ばれるものもありましたが月に五、六回くらいしか出ませんでした。</p>
<p>その後、印刷所の発達につれ1870年(明治三年)はじめて日刊の新聞が出されました。</p>
<p>これが「横浜毎日新聞」です。</p>
<p>毎日出るというので名前も「毎日新聞」と付けられたのです。<br />
1879年、本社は東京にうつされ「東京横浜毎日新聞」と改められました。</p>
<p>新聞とならんで雑誌もでるようになりました。</p>
<p>1874年(明治七年)三月森有礼・福沢諭吉らがつくった文化団体「明大社」の機関紙「明六雑誌」が出されました。</p>
<p>これは、毎月二回ないし三回の発行で第一年度で、毎号平均3205部も売れました。<br />
そして、西洋の進んだ考え方や学問を国民に知らせるのに大きな役目を果たしました。</p>
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		<item>
		<title>明治時代のあらまし！ ざっくり言うと明治時代ってどんな時代？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/858</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 11 Jul 2014 03:33:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[明治時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[明治維新]]></category>
		<category><![CDATA[文明開化]]></category>
		<category><![CDATA[富国強兵]]></category>
		<category><![CDATA[廃藩置県]]></category>
		<category><![CDATA[四民平等]]></category>
		<category><![CDATA[あらまし]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は明治時代のあらましについて、日本の歴史を紹介します。 新しい政治 1868年、年号は明治と改められ五か条の誓文をもとに新しい政治が行われるようになりました。 新政府は、廃藩置県・四民平等富国強兵の制作を実行しました [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は明治時代のあらましについて、日本の歴史を紹介します。<br />
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<h2>新しい政治</h2>
<p>1868年、年号は明治と改められ五か条の誓文をもとに新しい政治が行われるようになりました。<br />
新政府は、廃藩置県・四民平等富国強兵の制作を実行しました。</p>
<p>しかし、このような新しい政治に対しては反対の意見もでました。<br />
国の財政を整えようと地租改正をしたときには農民が一揆をおこして反抗しました。</p>
<p>また、もと武士であったものは新しい政治によって自分たちの生活が苦しくなり出世の道が閉ざされていくことに不満でした。</p>
<p>これらの不満や反抗がすっかりきえるようになったのは政府のつくった新しい軍隊が西南戦争で勝利を得てからです。</p>
<h2>文明開化</h2>
<p>明治になってから西洋の文化がどんどん輸入されました。<br />
そして、大都市を中心に人々の生活の姿も大きく変わっていきました。</p>
<p>義務教育の制度が出来たこと交通・通信の設備が整ったこと新聞・雑誌が広まり暦は太陽暦が採用され新しい建築や服装がおこってきたことなど目まぐるしいほどの変わり方でした。</p>
<p>人々はこれを文明開化といってもてはやしました。</p>
<h2>議会政治の初まり</h2>
<p>明治になってから、次第に広まった自由平等・自由民権の考え方は、やがて「国会を開け」という運動になって盛り上がりました。</p>
<p>この結果、1889年(明治二二年)には我が国で初めての憲法がつくられ、翌年には、第一回の帝国議会が開かれました。</p>
<p>このときの憲法は天皇の強い権力を認めたものでした。<br />
また、議会は衆議院と貴族院にわかれ貴族院議員は天皇によって選ばれました。</p>
<p>今の憲法に比べればとうてい民主的なものとはいえません。</p>
<p>けれども我が国ではこれ以来憲法に基づいて政治を行い国民の選んだ代表者が国の政治について相談するという道が開かれたのです。</p>
<p>このことを考えれば日本の歴史の上で大きな進歩だったと言えます。</p>
<h2>伸びる国力</h2>
<p>やがて近代産業の目覚しい発達もあって国力は次第に充実してきました。<br />
特に、日清・口露の戦いに勝ったことは日本の実カを世界に知らせる結果になりました。</p>
<p>長い間、問題になっていた不平等条約の改正がこれ以来すらすらと進むようになったのも国力の充実が、土台にあったからだと言えます。</p>
<h2>明治の文化</h2>
<p>新しい時代に相応しい新しい文化も次々におこってきました。<br />
夏目漱石や森鴎外に代表される近代文学あるいは西洋音楽、新しい演劇、さらには医学や物理・化学などの新しい学問。</p>
<p>これらは、全て明治時代になってから急に進んだものです。</p>
<p>このほか生活の面でも野球・テニスなどの新しいスポーツが広まり映画の楽しみも味わえるようになりました。</p>
<p>このように考えてくると明治時代は、私たちの生活や社会の最も大きな基礎になった時代であったといえます。</p>
<p>しかもそれは西洋に比べて100年以上も遅れていた日本が一挙にその遅れを取り戻そうとしてがむしゃらに進んでいった時代でもあったのです。<br />
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