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	<title>日本の歴史 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>日本の歴史 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>これからの日本</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/955</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 13:28:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日米安保条約]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
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					<description><![CDATA[今回はこれからの日本について、日本の歴史を紹介します。 これからの日本 世界の強国は、核爆発の実験をしばしば行なっています。 広島・長崎で原子爆弾の苦い経験のある日本の政府も国民もこうした世界人類の平和・生存を脅かすよう [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回はこれからの日本について、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>これからの日本</h2>
<p>世界の強国は、核爆発の実験をしばしば行なっています。</p>
<p>広島・長崎で原子爆弾の苦い経験のある日本の政府も国民もこうした世界人類の平和・生存を脅かすような核武装に対して強く反対しているのですがアメリカもソ連も中々その廃止に踏み切らずにいます。</p>
<p>その上、イギリス・フランスにつづいて中国までも1964年(昭和39年)に核実験を行いました。</p>
<p>人類を死滅に導くかもしれない恐ろしい核兵器の持ち方について強国同士の話し合いも行われはしますが<br />
なかなかまとまりません。</p>
<p>日米安保条約を結んでいる関係で日本には、アメリカの科学兵器が持ち込まれそうになり、たびたび国論を沸騰させてきました。</p>
<p>1964年（昭和39年)には原子力潜水艦が日本に寄港することで国内は大騒ぎになりました。</p>
<p>これが立ち寄るだけでも、大きな被害があり危険を伴うと考える科学者たちは政府にその寄港を、断るよう申し入れをしました。</p>
<p>けれども、結局、予定通り日本へ寄港してきました。<br />
政府のほうでは、これは安全なものだといったわけです。</p>
<p>とにかくこのように安保条約を結んでいる日本としては自由に立場を主張しきることもたいへん難しいことです。</p>
<p>わたしたちは、人類が大きく目を開いて地球上での競り合いをやめてアメリカだろうと共産国だろうと<br />
いずれとも仲良く付き合っていこうという理想を持つべきだと思います。</p>
<p>しかしこれは現実離れのした夢のような考え方だといわれます。</p>
<p>けれども人間として持つべき理想は結局、そこにあるのであって、そのために、私たちはお互いのどこが<br />
ほかの国を刺激するのか、話し合い譲り合っていくよう、世界に呼びかけるべきでしょう。</p>
<p>それには、日本の国内自体でも力ずくでなく人間だからこそできるはずの話し合いで、ものごとを改めていこうという態度をめいめいがしっかり身につけていくことを必要とします。</p>
<p>日本が世界に対して大きな発言力を持つようになるためには国力が充実していなければなりません。<br />
国力といえば、昔の日本では武力、軍事力と考えられがちでした。</p>
<p>しかし今日ではそれは・経済力、文化力だといえます。</p>
<p>日本の産物が、世界の人びとに広く高く評価され大いに活用されるようになるためにはどうしたらよいか<br />
日本の産業技術を、しっかりした土台の上に開発させていくことが大切です。</p>
<p>世界に進出する大企業ばかりを助けて土台の中・小の産業や国民大衆の生活を進めることをおこたってはならないのです。</p>
<p>また学問でも芸術でもとにかく日本人の文化の程度が高く磨きのかかったものであり、しかも個に富んだものであることを実際に示すのでなければなりません。</p>
<p>それは歴史の伝統をよく生かしながら世界に関するものをつくることです。</p>
<p>幸い、日本の産業界では造船・トランジスター・その他の精密工業などで全世界にその評価を高めています。</p>
<p>そして、まだまだ科学や芸術、さらに平和産業を通して日本の地位を高める道はいくらでも開かれているのです。</p>
<p>日本人は自信を持って進むべきです。</p>
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		<title>アジアの緊張とは？　現在の日本の姿とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/954</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 13:24:43 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[マスコミュニケーション]]></category>
		<category><![CDATA[オリンピック]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。 アジアの緊張 対外的には、日米協カの関係はいよいよ深められました。 第一次世界大戦後、正式国交を回復しなかった大韓民国との間にも日韓基本条約を196 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>アジアの緊張</h2>
<p>対外的には、日米協カの関係はいよいよ深められました。</p>
<p>第一次世界大戦後、正式国交を回復しなかった大韓民国との間にも日韓基本条約を1965年(昭和40年)に<br />
取り交わすところまで進みました。</p>
<p>しかし朝鮮は、南北に二分したまま南の大韓民国と、北の朝鮮民主主義人民共和国とは対立を深めています。</p>
<p>したがって、その一方の大韓民国とだけ国交をはかることは非常に問題を残すのではないかと国会では野党の強い批判を受けました。</p>
<p>アジアではまた南ベトナムで、北ベトナム系の民族解放戦線(ベトコン)が激しく政府軍を攻撃し続けていましたが、これに武力介入をしたアメリカはしきりにベトコン・北ベトナム攻撃に力を入れだしました。</p>
<p>1965年(昭和40年) 頃からそれが本格的になると安保条約を結ぶ日本の米軍基地もなにかと騒がしくなりました。</p>
<p>ことに沖縄は、本来日本民族の居住するところで住民は早く祖国に復帰したいと願ってきましたが、まだアジアに勢力を保っておこうとしているアメリカにとっては、手放せないもののようです。</p>
<p>沖縄とともに、第二次世界大戦後アメリカ軍に管理されていた小笠原諸島は1968年(昭和43年)6月に<br />
東京都に復帰しました。</p>
<p>沖縄の日本返還要求は最近急に強くなってきましたが、それを可能にさせる条件は、ベトナムの平和回復<br />
アジアの国に際関係の安定です。</p>
<p>1968年4月にアメリカのジョンソン大統領はベトナムの平和回復をはかる交渉をはじめるという宣言をし<br />
フランスのパリで会談がはじめられました。</p>
<p>そのほか、ソ連との間に溝を大きくして独自に共産主義国としての発展に努めている中国と、アメリカとの関係はまだまだ穏やかならぬものがあり、アジアの緊張は中々緩みそうもありません。</p>
<h2>現在の日本の姿</h2>
<p>マスコミュニケーションの広がりで国民大衆一般の文化水準は、近年高まっています。<br />
家庭の中に、テレビが備えられる率もぐんぐん上がり、出版・報道機関の活動も盛んです。</p>
<p>交通・通信の発達が仕事の能率を急速に高め人々は、国際的な視野で物事を判断するようになりました。</p>
<p>1964年(昭和39年)には世界の人類をひとつに結ぶスポーツの祭典、第一八回オリンピック競技大会が東京で開かれ94か国から5500人あまりの選手が集まりました。</p>
<p>そしてこれを機会に、国内の観光事業は交通機関の発達とともに多いに整備されてきました。</p>
<p>また、日本の技術の素晴らしさがオリンピックのような機会に時かに世界の人々に認められるようになりました。</p>
<p>そして、そのもとになる科学的頭脳もいろいろな学界の交流活動で世界に知られるようになりました。<br />
1965年(昭和40年)には湯川博士について朝永振一郎博士がノーベル物理学賞をうけました。</p>
<p>しかし、科学技術の進歩、文明の開発の著しい反面には、激しい交通戦争が人命をそこねることがあったりして問題になっています。</p>
<p>また、大都市の急速な伸びが自動車の排気ガス、工場の煙などによる公害問題を大きくしています。<br />
国民の社会生活にはまだなにかと矛盾が多く釣り合いの取れていないところがあるのです。</p>
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		<item>
		<title>宇宙時代とは？　日米安全保障条約の改定とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/953</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 13:21:17 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[ウォストーク]]></category>
		<category><![CDATA[人工衛星]]></category>
		<category><![CDATA[人間衛星]]></category>
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		<category><![CDATA[日米安全保障条約]]></category>
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		<category><![CDATA[日本史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は宇宙時代とは？　日米安全保障条約の改定について、日本の歴史を紹介します。 宇宙時代と二つの世界 ソ連はアメリカに一歩さきんじて1957年、人工衛星の打ち上げに成功し1961年には、人間衛星の打ち上げをも成し遂げまし [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は宇宙時代とは？　日米安全保障条約の改定について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>宇宙時代と二つの世界</h2>
<p>ソ連はアメリカに一歩さきんじて1957年、人工衛星の打ち上げに成功し1961年には、人間衛星の打ち上げをも成し遂げました。</p>
<p>ウォストーク一・二号に続いて翌六二年には同じく三、四号を打ち上げ六三年には五、六号を打ち上げました。</p>
<p>さらに六四年10月ちょうど東京オリンピックの真っ最中に三人乗りの人間衛星船ウォスホート(日の出)号の打ち上げにも成功したのです。</p>
<p>いっぽうアメリカでもソ連に負けまいとやっきになって人工衛星打ち上げの実験を繰り返し1961年に、人間の宇宙飛行に成功しました。</p>
<p>以来、ソ連を追いかけるように打ち上げを試みて、しだいにその差を縮め今ではある面ではソ連がある面ではアメリカが優れているといわれています。</p>
<p>とにかく、科学技術の開発に懸命に勤めている両国の争いは、いよいよ激しくなっていくことでしょう。<br />
もはや、世界は科学時代というよりも宇宙時代にまで進んだのです。</p>
<p>このような時代に地球の上でたくさんの国々がひしめき競いあっているのは馬鹿らしいという考えが強くなってきました。</p>
<p>また、原子力兵器の発達はたちまち戦争を大きくして人類を滅しきってしまうだろうと予想されます。<br />
そこで、平和をもとめる声がいちだんと強くなってきました。</p>
<h2>日米安全保障条約の改定</h2>
<p>それにも関わらず、現実はまだ国と国との間がしっくりせず侵略に怯えているところがあります。</p>
<p>アメリカは、日本との協力により共産王義諸国の勢力を封じ込めるための陣営を強めるために日米安全保障条約を改定することをもとめてきました。</p>
<p>前に定めた条約では条約の期限がはっきりせず、また日本とアメリカがお互いに受け持つ義務が漠然としていましたが、これらの点をはっきりさせて、いっそう同盟の形を明らかにしようとしたのです。</p>
<p>その改定は、1960年(昭和35年) に行われました。</p>
<p>しかし、このような条約を結んでは共産主義の国を刺激して世界の平和を乱し戦争に巻き込まれことになる</p>
<p>と考える国民の間に、激しい反対運動がおこりました。</p>
<p>これに対して岸信介内閣は共産主義の侵略を受けないようにしっかりと守りを固めるためには条約改定はぜひ必要だとして国会内外の強い反対を押し切って、この条約の改定を実現させました。</p>
<p>しかし、反対の声を無視して、この条約を成立させた岸内閣に対する批判は厳しく、ついにその年の7月には総辞職し池田勇人内閣に代わりました。</p>
<h2>経済成長とその歪み</h2>
<p>安保改定をめぐる騒動がおこったころ一方でも、日本経済が大きく成長するようになりました。<br />
輸出がいちだんと増えて各企業の利益が増し、国民生活にもゆとりがでてきました。</p>
<p>ことに交通の開発は著しく進んで鉄道も、自動車もスピードアップが際立ってきました。<br />
高速自動車道路も各所に開通するようになりました。</p>
<p>池田内閣になってからはとくに経済の成長が著しく政府は貿易促進政策を推し進める一方自衛隊の力を充実させました。</p>
<p>また民間の企業では、生産を高めるためにしきりに、設備の拡大をはかり労働者を増やすことに努めました。</p>
<p>しかし、このために必要な資本の多くは借金でまかなわれていたため商品の売れゆきが少しでも滞ると<br />
企業は倒産の憂き目をみます。</p>
<p>1963年(昭和18年)頃から現れはじめた不景気は佐藤内閣に代わった1964年(昭和39年)になっても収まらず中小企業の倒産や物価高の傾向はますます激しくなっていきました。</p>
<div class="m30-b"></div>
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		<item>
		<title>戦後の文化・科学の進歩とは？　スポーツ界も目覚しく活気を帯びる！</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/952</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 13:12:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[日本学術会議]]></category>
		<category><![CDATA[ノーベル物理学賞]]></category>
		<category><![CDATA[湯川秀樹]]></category>
		<category><![CDATA[羅生門]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は戦後の文化・科学の進歩について、日本の歴史を紹介します。 科学の進歩 戦争中、また戦争が終わってしばらくの間は科省学をはじめ、文化活動ものびのびとはできませんでした。 やがて落ち着きを取り戻すとともに自由な学問の研 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は戦後の文化・科学の進歩について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>科学の進歩</h2>
<p>戦争中、また戦争が終わってしばらくの間は科省学をはじめ、文化活動ものびのびとはできませんでした。</p>
<p>やがて落ち着きを取り戻すとともに自由な学問の研究がすすみ文学・芸術も新しい考え方に沿って活発に行われるようになりました。</p>
<p>戦争のために力を貸すような学問の研究をやめ自由な研究を守ろうとする動きが出来て日本学術会議が成立しました。</p>
<p>これは、学問を国民生活と行政に映し出される交わりを持っていくことになりました。</p>
<p>湯川秀樹博士のように1949年、日本人としてはじめてノーベル物理学賞を受けたものもありまた、南極観測事業にも加わって国際協力をするなど、日本の科学は世界的地位にまで高められました。</p>
<p>人間や社会についての学問も非常に進みしかも、多数の学者が一つの問題について、それぞれの力をふるって研究し、これを総合するという組織が整うようになりました。</p>
<h2>文学・芸術の新しい動き</h2>
<p>戦後しばらくふるわなかった文学も谷崎潤一郎・永井荷風といった老大家の活躍につれて新しい人々が続々登場してきました。</p>
<p>言論の自由が認められたことによって現実社会をするどく描いた文学もあらわれ新しい文学の開拓を目指して文学界は活発な動きを見せています。</p>
<p>また、芸術の方面でも同じことが言えます。</p>
<p>演劇では、新劇が流行し歌舞伎にも優れた後継者がでて古い伝統を保っています。</p>
<p>映画では、技術が著しく向上し「羅生門」のように国際的な賞をもらうほど芸術的に優れた作品が、出来るようになりました。</p>
<p>音楽・バレー界では外国の名高い演奏家・舞踊家を次々と招いて戦争前以上に盛んになっています。</p>
<h2>輝かしいスポーツ界</h2>
<p>スポーツ界も目覚しく活気を帯び国際的にも優れた選手を出しています。<br />
そして、一般人々もスポーツをただ見て楽しむだけでなく自分でもすすんでするようになってきました。</p>
<p>その結果、国民全体の体力・体位はぐんぐん向上しています。</p>
<h2>明るい暮らし</h2>
<p>景気の立ち直りとともに暮らしのほうも、非常によくなってきました。</p>
<p>まず、科学の成果を日常の暮らしに溶け込ませて家庭の電化がはかられ一般の家庭は明るく衛生的になりました。</p>
<p>そして、テレビの普及は、国民の教養を高め娯楽を豊かにさせています。<br />
衣生活のほうでは、洋服が広く行き渡り最近では、世界の流行をおって目まぐるしいばかりです。</p>
<p>このように、戦後の文化はテレビ・ラジオ・新聞・雑誌などのマスコミュニケーションの発達によってますます複雑化しています。</p>
<div class="m30-b"></div>
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]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>講和後の日本と世界とは？　日本の国連加盟とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/951</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 12:03:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日米安全保障条約]]></category>
		<category><![CDATA[太平洋戦争]]></category>
		<category><![CDATA[講和条約]]></category>
		<category><![CDATA[メーデー]]></category>
		<category><![CDATA[労働運動]]></category>
		<category><![CDATA[破壊活動防止法]]></category>
		<category><![CDATA[鳩山内閣]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。 講和後の日本と世界 太平洋戦争が終わるとまもなくフィリピン・インド・パキスタン・ビルマなど、かつて西洋人の支配を受けていた植民地の民族が独立し東南ア [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>講和後の日本と世界</h2>
<p>太平洋戦争が終わるとまもなくフィリピン・インド・パキスタン・ビルマなど、かつて西洋人の支配を受けていた植民地の民族が独立し東南アジア諸国の団結も強められました。</p>
<p>1957年にはヒマラヤ連邦が独立し翌年にはアラブ連合共和国ができしだいに西のほうのアフリカにも新しい波がおよび、1960年にはフランス領のアフリカが独立しました。</p>
<p>こうして、アジア、アフリカ一帯にはアメリカや、ソビエト連邦の仲間とは別の勢力ができていったのです。</p>
<p>「ニつの世界」から「三つの世界」へという動きの中でアメリカは以前とし日本を味方に引き入れつつ<br />
ソ連・中共と対抗しょうと、がんばっています。</p>
<p>こうした態度は、講和条約にも日米安全保障条約にも、はっきり示されました。</p>
<p>日本の中にはこれは戦争をさそうようなものだからというわけで反対する運動も強まってきました。</p>
<p>講和条約により、アメリカの占領が表向きとけた年のメーデーには今までのアメリカの圧力に対する反感が爆発して血を流すような騒ぎもありました。</p>
<p>政府は、労働運動のすさまじくなったのに対して1952年(昭和27年) 破壊活動防止法を施行し、暴力をふるう団体の解散および破壊的と見られる社会活動の取り締まりをしようとしました。</p>
<p>そのほか新憲法が認めた様々の国民の権利をあれこれと制限する法律を定めていきました。<br />
そして、教員が政治について批評したり考えを述べる行動についても抑える法律を定めました。</p>
<p>日本の民主主義をもっともよく盛り込んだ憲法がまず軍備の問題からはじまって、このようにいろいろと由来できたので世論は騒がしくなりました。</p>
<p>憲法を改正しようとする意見も強まりましたが、これは絶対に守るべきだという声も強く議論がたえません。</p>
<h2>日本の国連加盟</h2>
<p>アメリ力を中心とする国々ソ連を中心とする国々とのあいだの関係もあるときは緊張し、あるときは平和的になるというふうで一進一退でした。</p>
<p>こういう世界の動きの中で日本がアメリカと軍事協定を結びながらソ連と国交を回復していないということは非常に危険なことでした。</p>
<p>そこで、鳩山内閣は国民の願いに答えて、ソ連との国交回復につとめ1956年(昭型21年)日ソ両国間の戦争状態を終わらせる共同宣言の調印が行われました。</p>
<p>また、同じ年に日本は国際連合への加入を認められました。<br />
1945年にできた国際連合は前の国際連盟と異なり、アメリカ・ソ連が加わっています。</p>
<p>しかも、最近ではいわゆる小国の力も見逃せないようになり、新しいアジア・アフリカ諸国の動きが<br />
大切なものになりつつあります。</p>
<p>こうした中で同じアジアの一員である日本の果たす役割は非常に大切なものがあり、今後の国連での活躍が期待されます。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<div class="m30-b"></div>
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		<title>平和条約と国連加盟とは？　講和条約とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/950</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:58:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[日米安全保障条約]]></category>
		<category><![CDATA[講和条約]]></category>
		<category><![CDATA[平和条約]]></category>
		<category><![CDATA[国連加盟]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は平和条約と国連加盟について、日本の歴史を紹介します。 講和条約 大戦が終わっても、まだ平和条約が結ばれていなかったので、これをもとめる声は、各国の間に高まっていました。 しかし、アメリカとソ連など共産主義国との間が [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は平和条約と国連加盟について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>講和条約</h2>
<p>大戦が終わっても、まだ平和条約が結ばれていなかったので、これをもとめる声は、各国の間に高まっていました。</p>
<p>しかし、アメリカとソ連など共産主義国との間がしっくりしないため太平洋戦争の交戦国のすべてが参加する講和は難しい有様でした。</p>
<p>日本の中にはそうした二つの世界の一方とだけ講和するのはよくないという学者たちの意見も強かったのですが結局、1951年(昭和26年)9月にアメリカのサンフランシスコでソ連・中共などを除いて講和条約が結ばれました。</p>
<p>この条約によって、日本は主権を回復し連合軍の占領を免れる立場になりました。<br />
しかしその条約の内容はつぎのようなものだったので日本の本当の独立は、難しいものになりました。</p>
<ol>
<li>日本は朝鮮の独立を認め台湾・千島列島・南樺太などのもとの領土を手放す。</li>
<li>琉球諸島などは国際連合が預かり、その政治は、なおアメリカがみる。</li>
<li>連合国軍の軍隊はすぐ日本から引き上げる。しかし、日本と特別の約束をした国の軍隊は留まっていても構わない。</li>
<li>日本は連合国に賠償金を払う。</li>
</ol>
<p>賠償金の額については、それぞれの国と、別に相談して決める。<br />
このサンフランシスコ条約の調印に続いて日本はアメリカと日米安全保障条約を結びました。</p>
<p>この条約は、武力によらなければならないが、あいにく日本は武力を持ち合わせていないからアメリカ軍になお引き続いて日本に留まってもらい日本の安全を守ってもらおうというものでした。</p>
<p>もちろん、これはソ連・中共などの共産主義勢力の攻撃を予想しての条約です。</p>
<p>このような一方の勢力とだけ結び日本を再軍備化するような内容を持つ条約には日本でも反対するものが多くしたがって講和条約・安保条約(日米安全保障条約の略)を認めるかどうかで国会はもめました。</p>
<p>社会党は、これを巡って二派にわかれてしまいました。</p>
<p>しかし、とにかく安保条約は成立しさらにこれを受けて、日米行政協定が決められアメリカ軍が、日本に留まることについての条件が細かく決められたのです。</p>
<p>その結果、各地にアメリカ軍の基地がでてきました。</p>
<p>しかし、行政協定は国会で承認をもとめられなかったため国民の反感を強め、各地の基地を巡っても今でも続いています。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<div class="m30-b"></div>
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]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>朝鮮戦争とは？　特需景気とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/949</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:54:19 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[朝鮮戦争]]></category>
		<category><![CDATA[大韓民国]]></category>
		<category><![CDATA[朝鮮民主主義人民共和国]]></category>
		<category><![CDATA[特需景気]]></category>
		<category><![CDATA[軍国主義者]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は朝鮮戦争について、日本の歴史を紹介します。 朝鮮戦争 中共の成立で、南朝鮮の大韓民国はアメリカと結ぶ仲間の一番前線に立つことになりました。 その韓国と朝鮮民主主義人民共和国との間についに1950年(昭和25年)戦争 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は朝鮮戦争について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>朝鮮戦争</h2>
<p>中共の成立で、南朝鮮の大韓民国はアメリカと結ぶ仲間の一番前線に立つことになりました。<br />
その韓国と朝鮮民主主義人民共和国との間についに1950年(昭和25年)戦争がおこりました。</p>
<p>かねてから、南朝鮮を助ける構えを問うていたアメリカは、ただちに軍を出動させました。</p>
<p>そして、日本はアメリカ軍の軍隊・兵器・物資輸送の中継ぎ地・補給基地として使われるようになり戦争に必要な軍需品の製造が再びはじめられました。</p>
<p>その結果「特需景気」といって日本は素晴らしい戦争景気に見舞われることになりました。</p>
<p>ところが、総司令部は朝鮮戦争のはじまる前後に日本国内の共産党幹部を追放した労働運動の自由を束縛するようになりました。</p>
<p>そして、反対に占領直後のいろいろな政策を緩めるようにしていったのです。<br />
戦犯が釈放され、軍国主義者で巡放されていたものも大勢許されました。</p>
<p>資本家は、また自由に活動できるようになりました。<br />
また、総司令部は、その年に7万5000人の警察予備隊をつくらせました。</p>
<p>これは、軍備を持たないと決めた新憲法に背くかどうかで、たいへん問題になりました。</p>
<p>しかしこの警察予備隊は1952年(昭和27年)には保安隊にさらに1954年(昭和29年)には自衛隊になり隊員の数も増え、兵器もたくさん新しいものが入れられて軍隊同様のものになりました。</p>
<p>こうして、外から与えられたものにしても民主的国家として歩みはじめた日本は1950年ごろから、次第に違った動きを示すようになりました。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<div class="m30-b"></div>
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</script></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>戦後の生活とは？　共産主義と占領政策とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/948</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:51:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[ストライキ]]></category>
		<category><![CDATA[蒋介石]]></category>
		<category><![CDATA[共産主義]]></category>
		<category><![CDATA[金日成]]></category>
		<category><![CDATA[下山事件]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[三鷹事件]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[松川事件]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[国鉄労働組合]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[インフレーション]]></category>
		<category><![CDATA[インフレ]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は戦後の生活について、日本の歴史を紹介します。 苦しい生活 戦争に負けて、日本の領土は本州・四国・九州・北海道と近くの島々だけになりました。 明治のはじめごろとほぼ同じくらいの広さです。 このせまい国土に約8000万 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は戦後の生活について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>苦しい生活</h2>
<p>戦争に負けて、日本の領土は本州・四国・九州・北海道と近くの島々だけになりました。<br />
明治のはじめごろとほぼ同じくらいの広さです。</p>
<p>このせまい国土に約8000万の国民が住むことになったのです。<br />
戦争のために壊された、たくさんの家もおいおい復興していきました。</p>
<p>しかし、戦争の終わり頃から不足していた食料事情は、ますます悪くなって、しばらくは毎日の食べ物に困る国民が田舎へ食料の買い出しに出かける風景が続ききました。</p>
<p>また、食料だけでなく衣服のほかの日用品のなにからなにまで不足して国民の暮らしは本当に息苦しいようでした。</p>
<p>しかし、とにかく戦争は終わっているのですから国民は未来に明るい希望を抱いて一生懸命働きました。<br />
アメリカも、ときどき日本の経済を助けました。</p>
<p>ところが、なによりも困ったことは物資が乏しいだけに、物の値段がどんどん上がってお金の値打ちが下がってきたことです。</p>
<p>こういうことをインフレーション、略してインフレといいます。<br />
そして、国民の生活はインフレによって一層苦しくなりました。</p>
<h2>共産主義と占領政策</h2>
<p>激しいインフレになると当然労働運動やストライキが盛んに行われるようになりました。</p>
<p>1947年(昭和22年)2月1目全国の労働者が一斉にストライキをすることになったとき、その直前、総司令部はこれを禁止しました。</p>
<p>そのころ、日本の共産主義者の活躍は目覚しく労働者を力強く指導し国会議員としても進出しました。</p>
<p>共産主義国の勢力は、世界でもアメリカを中心とする自由主義国の勢力に対立するほどのものとなっていました。</p>
<p>中国では、蒋介石の国民政府に対抗し朝鮮にも共産主義が入り込んできたりしたので総司令部は、日本の共産主義に対して警戒しはじめたのです。</p>
<p>そして、同時に共産主義に結びつきやすい労働運動をも厳しい態度で見るようになりました。</p>
<p>実際に中国では、1949年(昭和24年)人民解放軍が国民政府を台湾に追いやって大陸に毛沢東を頭とする<br />
中華人民共和国を成立させました。</p>
<p>また朝鮮でも北部に1948年(昭和23年)朝鮮民主主義人民共和国ができ金日成が首相に選ばれました。</p>
<p>こうして共産主義の全国が日本列島にごく接近するとアメリカは、日本を自分のほうにひきつけようと<br />
とくに努力しだしました。</p>
<p>そして、日本の経済の復興のために、いろいろ面倒をみるようになりました。</p>
<p>国民の暮らしにだんだん生気が蘇ってきたころ総司令部は、日本の共産党に、なにかと辛く当たるようになり1949年(昭和24年)第三次吉田内閣のころにはとりわけ、それが際立ってきました。</p>
<p>そして、インフレを抑えるための経済政策に基づいて官公庁労働者の大規模な首きりが行われるようになると下山事件・三鷹事件・松川事件という奇妙な事件があいついで起こりました。</p>
<p>ところが、これらの事件がいかにも国鉄労働組合や共産党員が起したかのように宣伝されて次第に労働運動は抑えられていきました。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<div class="m30-b"></div>
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</script></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>日本国憲法とは？ 教育勅語に代わって教育基本法が大元を定める！？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/947</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:47:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[帝国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[教育勅語]]></category>
		<category><![CDATA[教育基本法]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。 日本国憲法 戦後のさまざまな改革の中で特に重大であったのは、憲法の改正です。 日本の憲法を新しく作り直すにあたってまず問題になったのは天皇のことでし [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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</script></p>
<h3>日本国憲法</h3>
<p>戦後のさまざまな改革の中で特に重大であったのは、憲法の改正です。<br />
日本の憲法を新しく作り直すにあたってまず問題になったのは天皇のことでした。</p>
<p>明治の帝国憲法では、神聖な万世一系の天皇が大日本帝国を統治するということになっていましたが新しい憲法では主権が国民にあり天皇は、日本国と日本国民のまとまりを丁度、紀章のようにあらわす象徴ということになりました。</p>
<p>また、主権を持つ国民の意見を代表して政治を行う国会は国の最高の機関ということになりました。</p>
<p>そして、国会は衆議院と参議院の二院からつくられ20才以上の男女は、誰でも平等に議員を選挙できるようになりました。</p>
<p>また、25才以上ならば誰でも衆議院の議員に、立候補できることとなりました。</p>
<p>このほか、新憲法には人間の自由と権利を重んじ、男女は平等であること日本は軍備を持たず、戦争を永久にしないことがはっきり記されています。</p>
<p>この憲法は、第一次吉田茂内閣のもとで1946年(昭和21年)11月3日に公布され翌年5月3日から施行されました。</p>
<p>そして、日本は正式に民主主義国家としてあゆみはじめることになったのです。<br />
憲法の考えかたにしたがって1947年(昭和22年)から六三制の北城教育がはじまりました。</p>
<p>教育勅語に代わって教育基本法が教育の大元を定めました。</p>
<p>小学校6年、中学校3年を義務教育としその上に高等学校3年、大学4年の課程を設けてさらに教養を積み学問を深めるようにさせたのです。</p>
<p>そして、男女共学の原則がつくられ男女は希望しだいで同等の勉強ができることになりました。</p>
<p>また、都道府県・市町村には、それぞれ教育委員会ができて教育のことを、一般の行政と切り離して独立に計画実施する建前となりました。</p>
<p>民法も、憲法の精神に基づいて改められました。</p>
<p>それまで家というものは父子を中心にしてきましたが新しい民法正では、夫婦が中心となるように改められました。</p>
<div class="m30-b"></div>
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		<title>民主化へのあゆみとは？　戦後の政治改革とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/946</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:42:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[学校教育]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は民主化へのあゆみについて、日本の歴史を紹介します。 民主化へのあゆみ 占領軍は、軍国主義とそれに結びついていたものを追放しながら一方では、民主主義のための改革を促していきました。 1945年(昭和20年)10月総司 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は民主化へのあゆみについて、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>民主化へのあゆみ</h2>
<p>占領軍は、軍国主義とそれに結びついていたものを追放しながら一方では、民主主義のための改革を促していきました。</p>
<p>1945年(昭和20年)10月総司令部は、ポツダム宣言にそって憲法を改正するように指示しました。</p>
<p>そして基本的人権をしっかり守る社会とするために婦人を解放すること労働組合をつくることをすすめることと学校教育を自由主義で行うようにすること民衆の生活を脅かしてきたような制度を廃止すること日本の経済を民主化することなどを幣原内閣に指示したのです。</p>
<p>これに従って日本は新しい国づくりをはじめることになりました。</p>
<h2>経済の改革</h2>
<p>改革は、まず経済の面からはじめられました。</p>
<p>これまで日本の経済は財閥といわれる特定の大資本家が日本の産業の資本を独り占めしているというかたよった姿でした。</p>
<p>これは民主主義_に背くばかりでなく軍国主義の重要な原因ともなりました。<br />
そこで、このような資本家が持っている、たくさんの株を整理させ資本を独占させないようにしました。<br />
これが財閥解体（1945年)と独占禁止法（1947年)です。</p>
<p>しかし、それは、徹底的に行われなかったのでその後、資本と生産の集中は再びすすんでいきました。</p>
<p>つぎに、これまで日本の農村では地主が広大な農地を持っていて、高い小作料で小作人を働かせてきました。</p>
<p>しかも全然その家の人が農業に関係しないでいて小作人にばかり作業をさせているという大地主も多くいました。</p>
<p>それに反し、多くの小作人の暮らしはみじめでした。</p>
<p>これでは、社会の民主化を妨げるのは当然なので総司令部は、農地改革を促しました。</p>
<p>つまり、大地主の持っている農地を解放して小作人にあてがい、たくさんの自作農ができるようにしたのです。</p>
<p>そして、はたらく農民の地位を安定させようとしました。<br />
1945年に第一次、1946年に第二次の農地改革法が成立しました。</p>
<h2>政治の改革</h2>
<p>政治の上の改革では、まず「治安維持法」「治安警察法」など言論・思想・結社に関する取り締まりの法律が、廃止されました。</p>
<p>そして、軍部の力によって潰された政党が復活し自由党・進歩党・日本祉会党が成立したほかに日本共産党が、はじめて大っぴらに登場してきました。</p>
<p>また、総司令部は、働く人々の立場を守るために労働組合をつくって活動することを奨励しました。</p>
<p>労働組合法は、1920年(大正9年)以来たびたび議会で審議されてきましたが成立せず、ついに1945年(昭和20年)にできたわけです。</p>
<p>この法律によって公務員を含めた労働者は団結すること団体で要求する行動をとることが許されました。<br />
従って、デモやストライキの自由が認められるようになったわけです。</p>
<p>そこで、労働組合が各地でぞくぞくつくられ組合運動が活発に勧められるようになりました。<br />
労働者のお祭りとしてのメーデーのデモ行進も1946年から復活しました。</p>
<p>また、同じ年の5月19日には戦後の苦しい食料事情に、30万の民衆が集まって食料メーデーが開かれました。</p>
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