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	<title>朝鮮 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>朝鮮 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>日清戦争とは？　朝鮮の開国とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/885</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 08 Oct 2014 07:47:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[明治時代]]></category>
		<category><![CDATA[ペリー]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[日清戦争]]></category>
		<category><![CDATA[日鮮修好条規]]></category>
		<category><![CDATA[朝鮮]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は日清戦争について、日本の歴史を紹介します。 日清戦争は、日本と清国とがそれぞれ朝鮮に、勢いを伸ばそうとして始めた戦争です。 朝鮮の開国 朝鮮で勢いを伸ばそうとして日本が朝鮮に注意を払うようになったのは江戸時代の末頃 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は日清戦争について、日本の歴史を紹介します。</p>
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日清戦争は、日本と清国とがそれぞれ朝鮮に、勢いを伸ばそうとして始めた戦争です。</p>
<h2>朝鮮の開国</h2>
<p>朝鮮で勢いを伸ばそうとして日本が朝鮮に注意を払うようになったのは江戸時代の末頃からです。</p>
<p>そして、1873年(明治6年)に征韓論がおこってからはいっそう大きな注意が朝鮮に向けられるようになりました。</p>
<p>そのころの朝鮮は丁度ペリーがやって来たときの日本と同じように鎖国をしていました。</p>
<p>アメリカやフランスなどの欧米諸国は日本を開国させたと同じように朝鮮を開国させようといろいろ力を尽くしましたが、まだ、どの国も成功していませんでした。</p>
<p>1875年(明治8年)日本は欧米諸国に先立って朝鮮を開国させ、朝鮮に日本の勢いを伸ばすきっかけをつくりだそうとしました。</p>
<p>そこで1875年9月日本は雲揚という軍艦を朝鮮の西海岸に派遣し江華島沖から漢江を遡って測量を行いました。</p>
<p>よその国の軍艦が、朝鮮の領域の中に断りもせずに、入ってきたのですから朝鮮の軍隊は、もちろん<br />
日本の軍艦めがけて発砲しました。</p>
<p>しかし、これは日本にとっては待ち設けていたことです。</p>
<p>日本の政府はあくる1876年(明治9年)の二月、六せきの艦隊を伴い黒田清隆・井上を全権として朝鮮におくり朝鮮政に開国を迫りました。</p>
<p>幕末に、ペリーが日本に対して行ったことを今度は日本が朝鮮に対して行おうとしたのです。</p>
<p>アメリカの大使は、日本の代表が上手く朝鮮を開国させることができるよう「ペリーの日本遠征記」という本を日本の代表に渡しました。</p>
<p>これには、ペリーが日本に対して開国を迫ったときのことが書いてあります。</p>
<p>日本の代表は、交渉に成功し日鮮修好条規(江華島条約)という条約を結んで朝鮮を開国させてしまいました。</p>
<p>こうして、日本は朝鮮に勢いを伸ばす足場をつくりました。<br />
清は、これを黙って見ていることは出来ません。</p>
<p>こののち朝鮮を挟んで日本と清との間に激しい争いが続きました。</p>
<p>しかも1885年(明治18年)日本の力を借り清の勢力を朝鮮から追い出そうとした会玉均や朴泳孝の独立運動が失敗してからは日本の立場は清にくらべて、たいへん悪くなりました。</p>
<div class="m30-b"></div>
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		<title>倭寇と勘合貿易の関係とは？　明・朝鮮との国交はあったの？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/764</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 17 Jun 2014 05:36:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[室町時代]]></category>
		<category><![CDATA[勘合貿易]]></category>
		<category><![CDATA[倭寇]]></category>
		<category><![CDATA[明]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[朝鮮]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は室町時代に起こった、倭寇と勘合貿易について日本の歴史を紹介します。 明・朝鮮との国交 我が国と、中国や朝鮮半島との間には商船の行き来こそありましたが、正式の国交は平安時代の中頃から途絶えたままでした。 ところが、こ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は室町時代に起こった、倭寇と勘合貿易について日本の歴史を紹介します。<br />
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<h2>明・朝鮮との国交</h2>
<p>我が国と、中国や朝鮮半島との間には商船の行き来こそありましたが、正式の国交は平安時代の中頃から途絶えたままでした。</p>
<p>ところが、この頃中国では元にかわって明がおこり朝鮮半島では、高麗のあとに朝鮮という国がおこりました。</p>
<p>義満はこれらの国々と国交を開きました。<br />
というのも、一つには、室町幕府が貿易をしたいと望んだこともあります。</p>
<p>しかし、もう一つには、明や朝鮮のほうでも日本と国交を開いて、その頃、激しかった倭寇の乱暴を、日本に取り締まってもらいたいと考えたからでもあります。</p>
<h2>倭寇</h2>
<p>鎌倉時代の末頃から、南北朝時代にかけて、我が国から、中国や朝鮮の海岸地方に押しかけて、海賊をするものがでてきました。</p>
<p>中国や朝鮮ではこの海賊のことを、倭（日本)の海賊という意味で、倭寇と呼んでいました。</p>
<p>倭冠は、主に九州や瀬戸内海の島々からでたもので米や品物を奪い、農民をさらってきては、奴隷にしたりしました。</p>
<p>中国や朝鮮では、この倭冠をたいへん恐れ、それを防ぐのに手こずりました。<br />
高麗や元が衰えたのも一つには、倭冠の乱暴が元でした。</p>
<p>元や高麗が滅び明や朝鮮がおこってからも倭冠は止みませんでした。<br />
そこで、明も朝鮮も国交を開いて貿易をしようと申し込んできたのです。</p>
<h2>勘合貿易</h2>
<p>明と国交が開けたといっても両方が対等に付き合うのではありません。</p>
<p>義満は、明の国王の家来と名乗って幕府の使いの船が明に貢物をもっていき貿易はそのついでにするというやり方だったのです。</p>
<p>幕府の使いの船は、倭冠と間違えられないように明から幕府によこした勘合符というものを持っていきました。</p>
<p>そこで、この船のことを勘合船といい、この貿易のことを勘合貿易といいます。<br />
この勘合船には、幕府の使いの他に、大勢の商人が、銅・硫黄・刀などの商品を積んで乗り込んでいました。</p>
<p>そして、明から銅銭・生糸・絹織物などを、買いいれて帰り、たいへんな利益を得ました。</p>
<p>そして、その利益の一部分は幕府や細川・大内などの大名、それに大きな寺や神社の収入になりました。<br />
この貿易の利益は、室町幕府の大切な収入になったのです。</p>
<p>勘合貿易は、義満のときから戦国時代まで、どうやら続ききましたが、幕府が衰えてからは大内氏が勘合符を取り扱うようになりました。</p>
<p>しかし、その大内氏も滅びてしまうと勘合貿易は絶えてしまいます。<br />
勘合貿易が絶えると、またまた倭寇が暴れだしました。</p>
<p>しかし、この頃の倭冠には、かなリ多くの中国人が加わっていました。<br />
貿易は、朝鮮とのあいだにも行われました。</p>
<p>これも勘合符に似たものを使って貿易な行い大内氏や対馬の宗氏、北九州の商人などが活躍し、木綿織物などを買いいれました。<br />
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		<title>大和時代に朝鮮への進出！ 任那の日本府とは？ 神功皇后ってどんな人？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/679</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 17 Jan 2014 22:53:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[朝鮮]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は大和時代（古墳時代）の頃に朝鮮へ進出したときの日本の歴史を紹介します。 朝鮮への進出について紹介します。まずは４世紀頃の朝鮮ついてです。 四世紀以前の南朝鮮は楽浪郡（朝鮮の北部）を主な根拠地とする中国の王朝の勢いに [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は大和時代（古墳時代）の頃に朝鮮へ進出したときの日本の歴史を紹介します。<br />
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<p>朝鮮への進出について紹介します。まずは４世紀頃の朝鮮ついてです。<br />
四世紀以前の南朝鮮は楽浪郡（朝鮮の北部）を主な根拠地とする中国の王朝の勢いに押されて小さな国々にわかれていました。</p>
<p>一方、北朝鮮では一世紀頃から高句麗という国がおこり次第に日本海側に勢いを伸ばしていきました。<br />
そして、四世紀の初めにはその勢いは南に伸びてとうとう楽浪郡を滅ぼしてしまったのです。</p>
<p>また同じ頃南朝鮮では百済と新羅という2つの国がおこり、それまであった小さな国々をほとんど従えました。</p>
<p>こうして、四世紀の初めには朝鮮は高句麗・百済・新羅の3つにの国にほぼまとめられました。<br />
高句麗の勢いは楽浪郡を滅ぼした後も益々盛んでした。</p>
<p>ことに四世紀の終わり頃の好太王という国王のときはたいへん領土を広げました。<br />
西は満州の南の地方から、東は日本海の沿岸にまで領土を広げ、さらに海岸沿いに北へ勢いを伸ばしました。</p>
<p>高句麗の勢いは南朝鮮にも伸び百済に迫ってきたのです。<br />
ところが南朝鮮にはすでにヤマトの勢いが入り込んでいました。</p>
<p>日本は百済と力を合わせて北から南へと勢いを伸ばしていた高句麗と激しく戦うことになりました。<br />
今、中国と朝鮮の国境にあるヤールー川の傍に好太王の碑と呼ばれる大きな石碑がたっています。</p>
<p>これは好太王の子の長寿王が父の手柄を記念して、その都のあったところに建物で高さが7メートルもあります。</p>
<p>この石碑の表面には好太王の建てた数々の目覚しい手柄のことがぎっしりと刻みつけられています。<br />
その文をみると日本の軍隊は高句麗の軍隊と14年もの長い間、何度となく激しく戦ったことがわかります。</p>
<p>あるときには日本軍は高句麗の領土の奥深く北朝鮮のピョンヤンの辺りにまで攻め込んだようです。<br />
このように長い間、たくさんの軍隊を朝鮮の奥深く送り込んだほどですからヤマトの国が日本の国内を<br />
大体統一していたろうということも考えられます。</p>
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<div class="m30-b"></div>
<h2>任那の日本府</h2>
<p>任那というのは朝鮮でも一番南の端の地方で昔からたくさんの日本人がここに移り住んでいました。<br />
ですからヤマトの国の勢いが朝鮮に伸び始めると、その根拠地としてここに日本府が置かれました。</p>
<p>日本府はまた任那の宮家とも呼ばれました。</p>
<p>日本府にはヤマトの国から遣わされた役人がいて任那の地を治め百済や新羅などの国々との外交の仕事をしました。</p>
<p>また城を築いて軍隊が守りを固めていました。<br />
けれども盛んだったヤマトの国の朝鮮進出も５世紀の終わり頃になると次第に上手くいかなくなりました。</p>
<p>高句麗の勢いは益々盛んになり、その上新羅の力もだんだん強くなってきたのです。<br />
しかも、日本の方では外交の失敗や将軍たちの仲間割れが続くという有様でした。</p>
<p>さらに六世紀になると北九州に勢いを持っていた磐井という豪族が新羅と組んでヤマトに背くという事件が起こりました。</p>
<p>磐井は朝鮮に渡ろうとするヤマトの軍隊を一年以上も防ぎ止めましたがついにヤマトの軍隊に敗れました。<br />
こうして、200年も続いた任那の日本府も六世紀の中頃にはとうとう新羅のために滅ぼされてしまうのです。</p>
<h3>神功皇后</h3>
<p>神功皇后は第１４代仲哀天皇の皇后と言われています。<br />
天皇とともに九州へクマソ征伐に行ったとき皇后に神が乗り移り「まず、海の向こうの新羅を討て」と天皇に言いました。</p>
<p>しかし、天皇はこのお告げに従わなかったので神の怒りを受けて急に死んでしまいました。<br />
皇后は神を男のようにみずらにゆい、たくさんの軍隊を率いて船に乗り勇ましく新羅征伐に出かけました。</p>
<p>新羅の王は驚いて「東の方には日本という神の国があり天皇という方がいると聞いていました。<br />
神の国の兵にてむかっても、とても勝てません」と言って降伏しました。</p>
<p>皇后は新羅王に毎年、貢物を持ってくることを誓わせ日本に帰って九州で応神天皇を生んだということです。</p>
<p>この話は事実かどうかわかりませんが四世紀の末頃、日本の力が朝鮮の南部にまで伸びていたことは確かです。</p>
<p>だから、この頃朝鮮問題に熱心な皇后がいて、それが神功皇后の話のもとになったのかもしれませんね。</p>
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