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	<title>民主主義 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>民主主義 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>普通選挙とは？　民主主義の広まりと実現した普通選挙とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/932</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 11 Oct 2014 09:23:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は普通選挙とは？　民主主義の広まりと実現した普通選挙について、日本の歴史を紹介します。 普選運動の中断 日露戦争のあと普選運動は一層高まりを見せました。 そして、議会でも取り上げられ1911年(明治44年)には、はじ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は普通選挙とは？　民主主義の広まりと実現した普通選挙について、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>普選運動の中断</h2>
<p>日露戦争のあと普選運動は一層高まりを見せました。<br />
そして、議会でも取り上げられ1911年(明治44年)には、はじめて衆議院が普選に賛成しました。</p>
<p>ところが、貴族院が反対したため駄目になりました。<br />
それどころか、その前の年1910年(明治43年)におこった大逆事件から社会主義運動や普選運動に対する<br />
政府の取り締まりが厳しくなり普選運動も、一時やめなければなりませんでした。</p>
<h2>民主主義の広まり</h2>
<p>大正時代に入ると、民主主義の考え方が国民のあいだに広まり政治は国民のために国民が中心となって行わなければならないと主張するようになりました。</p>
<p>役人や軍人が、勝手に政治を行うことに対し強く反対するようになったのです。</p>
<p>1918年(大正7年) の8月から9月、10月と国に広がった米騒動のあと労働者も、農民も、学生も、婦人も<br />
みな普選をもとめて一斉に立ち上がりました。</p>
<p>しかし、そのときの原敬内閣は政党内閣であるにも関わらず普選には、賛成しませんでした。<br />
ただ、制限をゆるめて3円以上の国税を納めている人に選挙権を与えることにしました。</p>
<p>国民は、この改正に満足せずいっそう強く普選をもとめました。</p>
<h2>実現した普通選挙</h2>
<p>こうした国民の運動は、1925年(大正14年)憲政会という政党の総裁加藤高明の内閣ではじめて、その願いを遂げることができました。</p>
<p>普通選挙の法律が議会で認められたのは1925年2月であり、はじめて普選が行われたのは1928年(昭和3年) 2月です。</p>
<p>しかし、ここで行われた普選も本当の意味での普選ではなかったのです。<br />
といいますのは、第一に女子は全く選挙権が与えられませんでした。</p>
<p>第二に、男子でも24才以下のものはやはり選挙権がありませんでした。</p>
<p>第三に、同じところに6か月以上すんでいるという取り決めがあったため、いつも出稼ぎに出ているような労働者なども選挙権を持つことができませんでした。</p>
<p>このように、多くの制限が付いていたのですから、やはり制限選挙であったのです。<br />
ただ、財産の制限がなくなったという意味で普選といったのです。</p>
<p>本当の普選は太平洋戦争のあとの新憲法の制定によって、実現しました。</p>
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		<title>大正時代の文化の動きとは？ 女性の活躍や社会主義文学の広まりとは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/930</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 11 Oct 2014 08:25:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[民主主義]]></category>
		<category><![CDATA[自由主義]]></category>
		<category><![CDATA[武者小路実篤]]></category>
		<category><![CDATA[白樺派]]></category>
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		<category><![CDATA[昭和]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は大正時代の文化の動き　女性の活躍について、日本の歴史を紹介します。 文学の動き 文学を見ても、大正のはじめには民主主義や自由主義の考え方が映し出されています。 武者小路実篤・志賀直哉・有島武郎などの白樺派といわれる [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は大正時代の文化の動き　女性の活躍について、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>文学の動き</h2>
<p>文学を見ても、大正のはじめには民主主義や自由主義の考え方が映し出されています。</p>
<p>武者小路実篤・志賀直哉・有島武郎などの白樺派といわれる人々は、この時代の最も人気のあった作家たちでした。</p>
<p>彼らは、大正デモクラシーの空気を文学にうつして人間の自由な心、自然の意志を尊重し文学に、はつらつとした生命力を注ぐことを理想としました。</p>
<p>この白樺派の人々に対し芥川竜之介・菊池寛などという人々は複雑な現実の社会に生きる個人の悩みや<br />
生き方を取り上げて、小説に書き、世のインテリ階級に訴えました。</p>
<p>いっぽう、社会主義の連動が盛んになるとともに、これらに代わって社会主義文学が次第に広まってきました。</p>
<p>また、新聞や雑誌が広く行き渡り、名作や大衆小説が、次々に出版されて多くの人々に読まれるようになりました。</p>
<h2>文化生活</h2>
<p>この時代になると、都会の人々の中にようやく、借り物でない西洋文化が入ってきました。<br />
文化住宅といって、家の中に洋間を取り入れたり洋服も男子はもとより女子にまで用いりはじめました。</p>
<p>また民衆を楽しませるものとして宝塚の少女歌劇や浅草オペラ・活動写真(映画)などがありました。<br />
また、レコードは1914年(大正3年) に蓄音機が国内でつくられはじめてから全国に広まりました。</p>
<p>1925年(大正14年)はラジオが東京放送局から放送され日本人の生活文化の上に大きな変化を与えました。</p>
<p>もちろん、文化生活とはいってもやはり都会で見られたものであり農村や、漁村では、なお古い生活が続いていました。</p>
<p>しかし、農村・漁村も少しずつ新しくなっていき農具なども、わずかながら機械を用いるようになりました。</p>
<h2>のびる女性</h2>
<p>教育が広まることによって女性も次第に自分の立場を考えるようになりました。</p>
<p>そして、古い家族制度によってがんじがらめにされていた自分たちの姿に目覚め女性も解放されなければならないと唱える人々が出てきました。</p>
<p>平塚雷鳥を中心にしてできた「青鞜社」という団体も女性の解放を叫んで女性の地位の向上に尽くしました。</p>
<p>しかし、このような動きもごくわずかの婦人たちに限られ一般の女性は、まだ古いしきたりの中に眠っておりました。</p>
<p>いっぽう、この時代には職業婦人として女性で職業について独立するものが多くなってきました。<br />
看護婦・事務員・バスや市電の車掌などに女の人の活躍が目立ちました。</p>
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		<item>
		<title>民主主義の考えとは？ 第一次世界大戦後の日本の人々の変化とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/927</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 11 Oct 2014 06:39:19 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[民主主義]]></category>
		<category><![CDATA[吉野作造]]></category>
		<category><![CDATA[デモグラシー]]></category>
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		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は民主主義の考えについて、日本の歴史を紹介します。 民主主義の考え ヨーロッパを戦場として各国とも非常な犠牲を払った第一次世界大戦が終わると人々は心から平和を喜び合いました。 そして、これをきっかけに民主主義の考えが [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は民主主義の考えについて、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>民主主義の考え</h2>
<p>ヨーロッパを戦場として各国とも非常な犠牲を払った第一次世界大戦が終わると人々は心から平和を喜び合いました。</p>
<p>そして、これをきっかけに民主主義の考えが、にわかに広まってきました。</p>
<p>それは、ざイッやpツアの古い皇帝の政治がたおされたこと、また民族自決主義という考えかたが、バリの講和会議で大きくとりあげられ、ポーランドや、チェコスロバキアなどの国々が独立したことなどが、大きく影響したのです。</p>
<h2>民本主義とは？</h2>
<p>このような民主主義の考え方は日本にも及んできました。</p>
<p>大戦の中で、景気はよくなり人々の生活が高まるとともに日本の社会にも民主主義を取り入れ古い日本を立て直すべきだということを唱える人が出てきました。</p>
<p>その中でも、吉野作造はとくに有名です。</p>
<p>彼は東京大学の政治学の先生でしたが1916年(大正5年)ある雑誌に論文を書き、民本主義(デモグラシー)とはどのようなものか発表しました。</p>
<p>彼の主張する民本主義とは今日の民主主義のことですが内容は少し違います。<br />
吉野作造は、政治の根本は世論を村長したものでなければならない。</p>
<p>そのためには、当時限られた人たちだけしか持つことのできない選挙権をもっと広く一般の人にも広げなければならないと説きました。</p>
<p>この考えは、社会の多くの人々の賛成を得てたいへん流行しました。</p>
<p>丁度都会には、文化生活という新しい暮らし方が盛んになり始めた頃でしたので都会の若い人々は、好んでこの言葉を使いまた文学にも、こういう空気を写したものがつくられはじめました。</p>
<p>そして、このような民主主義の空気は、やがて人々に、その頃の日本の政治のやり方を批判させ、正しい議会政治のあり方について真剣に考えきせるようになりました。</p>
<p>しかし、この民主主義の波もやがて襲ってきた不景気の暗い空気の中でカの弱いものとなり、戦争とともにかき消されてしまいました。</p>
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		<item>
		<title>天皇と政治の歴史とは？ 大和朝廷から現代までの途切れることなく続く！</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/762</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 22 Feb 2014 20:24:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[天皇と政治の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[民主主義]]></category>
		<category><![CDATA[天皇]]></category>
		<category><![CDATA[神]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は天皇と政治の歴史について、日本の歴史を紹介します。 大和朝廷が日本をまとめてから天皇の位は現代まで途切れることなく続いています。 こういう例は、日本のほかにはあまりありません。 はじめ、天皇は神のことを聴き、それを [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は天皇と政治の歴史について、日本の歴史を紹介します。<br />
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大和朝廷が日本をまとめてから天皇の位は現代まで途切れることなく続いています。<br />
こういう例は、日本のほかにはあまりありません。</p>
<p>はじめ、天皇は神のことを聴き、それを人々に伝える役をしていました。<br />
大和朝廷の初めの頃は、政治も人間の思うようには出来ませんでした。</p>
<p>占いによって神の言葉を聴きそれに従って政治をしたのです。<br />
神の命令を聞くために、占いができるのは天皇だけでした。</p>
<p>五世紀頃になると、豪族がより集まって政治をするようになりました。<br />
中でもち蘇我氏は、政治のカを1人で握り天皇よりも強い勢いになりました。</p>
<p>しかし蘇我氏が、豪族全体のことを考えず、勝手な政治をしたので中臣氏が中大兄皇子と力を合わせて蘇我氏を滅しました。</p>
<p>皇子と中巨氏は、天皇を中心にした強い国家をつくろうと考えました。</p>
<p>これが大化の改新です。</p>
<p>大化の改新で活躍した中臣氏は、後に藤原氏となります。<br />
藤原氏は、改新の後、天皇をずっと高い位におしいただきました。</p>
<p>天皇は神であるという考えも、この頃から表れてくるのです。<br />
やがて藤原氏は、政治の上でも、たいへんな力な持つようになりました。</p>
<p>そうなると天皇は、ただ儀式に出るだけで、政治には何の力もありませんでした。</p>
<p>しかし、実際に政治を動かしているものでも自分のカだけでは、思うように他人や、国民を抑えてはいけないと感じると、いつでも天皇を後ろ盾にして、自分の力を強めようとしたのです。</p>
<p>貴族と繋がりのない、農村出身の武士たちでも、天皇を後ろ盾にしました。</p>
<p>全ての武士を率いるものは、やはり天皇から征夷大将軍の位を貰ったものでなければならないとされました。</p>
<p>このことは、南北朝の争いに、はっきりとあらわれます。</p>
<p>京都と吉野にふたりの天皇がおり、新田氏とか楠木氏などは南朝の後醍醐天皇をいただいて、旗印とし足利氏は別の天皇に偽の三種の神器をもたせて、自分の旗印としたのです。</p>
<p>三種の神器というのは、皇室に古くから伝えられた剣・玉・鏡の三種で、天皇の位を示す印になるものです。</p>
<p>このようにして、天皇をいただいて、自分の威勢を強めようという考えが、これらの武士にもあったのです。</p>
<p>これは、悪く言えば、天皇を利用しようという考えです。<br />
戦国時代の地方の大名たちが、早く京都に出たいと考えたのもそのためです。</p>
<p>つまり、京都で天皇に仕えることによって、自分の力を強くしようと考えたのです。<br />
これに成功したのが、織田信長と豊臣秀吉です。</p>
<p>秀吉は、自分の別荘の聚楽第に天皇を招き、多くの大名を呼びました。</p>
<p>そして、自分は天皇に仕える大臣である天皇を尊ぶと同じように、この秀吉にも、尊敬の気持ちを持つようにということを大名たちに、わからせようとしたのです。</p>
<p>この後、江戸幕府ができると幕府は、大名たちを京都に近づけないようにしました。</p>
<p>というのも、大名が天皇に近づいて、天皇を利用したりするのを恐れたからです。</p>
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<p>幕府はさらに、天皇を皇居の奥深く押し込めて武士と全く違った暮らしをしてもらおうと考えました。</p>
<p>天皇と大名の間が、このように遠ざけられたため天皇を利用して幕府と競争しようとするものもなく江戸幕府は長く続くことができました。</p>
<p>ところが幕府の力が衰えると、皇室を尊敬する学者や身分の低い武士、町人の中から、天皇をあがめる勤王の志士があらわれます。</p>
<p>この人たちが、明治維新によって、天皇を中心とし政府をつくったのです。<br />
新しい政府は、天皇が自分で政治を行うという建前をとりました。</p>
<p>しかし、実際の政治は、やはり大臣たちがしました。</p>
<p>明治のはじめは、言論の自由ということも強く言われていましたし、政治もそれほど、天皇が神聖だとは言いませんでした。</p>
<p>ところが、それでは、だんだん政治がやり難くなってきました。<br />
政府は、天皇をもっと高い地位に上げ、神聖なものにしようと考えました。</p>
<p>政府が行う政治は、この神聖な天皇の命令によるのだということにしようとしたのです。</p>
<p>この考えでつくられたのが大日本帝国憲法です。</p>
<p>そして、大日本帝国は、神聖な天皇の国である、ということになり天皇は神のように尊いものであるという考えが国民の間に広められました。</p>
<p>子どもたちにも、天皇は神として教えられました。</p>
<p>昭和になると、軍部の力がだんだん強くなり政治も軍人が動かすようになりました。</p>
<p>そして軍人のカに引きずられ、日本は中国と戦争をはじめさらにアメリカ・イギリスなどとも戦争をはじめました。</p>
<p>軍部は、自分たちが勝手に政治をし、勝手に戦争をはじめておいて、それがみな天皇の考えであるというように、国民に信じこませました。</p>
<p>太平洋戦争が激しくなり、国民の暮らしが苦しみのドン底に落ちようとしたとき、それまでじっと我慢していた天皇が自分から進んで、戦争を止めようと言い出しました。</p>
<p>軍部は、慌てました。</p>
<p>しかし、それまで天皇の命令だからと言って、国民を動かしてきたのですから、その天皇の命令には軍部も逆らうわけにはいきません。</p>
<p>こうして長い戦争も、やっと終わりました。</p>
<p>戦後、民主的な政治の仕組みが整うとともに、天皇の地位もかわりました。<br />
新しい憲法では、天皇は、日本というまとまりを表す象徴(しるし)と決めらました。</p>
<p>しかし、これから先でも、天皇をもっと高い地位におかねばならぬと考える人があらわれるかもしれません。</p>
<p>昔のような乱暴者が天皇の名を利用して民主主義を壊し国民を押さえつけるようなことがないとはいえません。</p>
<p>しかし、日本が正しい民主主義国になれば天皇は政治になんの繋がりもなく、日本人と日本の国が持つ長い歴史の記念として、国民に親しまれながら、伝わっていくでしょう。</p>
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