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	<title>満州事変 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>満州事変 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>日華事変とは？ 盧溝橋事件とは？ 国家総動員法とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/939</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:02:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[国家総動員法]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。 盧溝橋事件 満州事変がおこってから1年半経って満州での戦いは、ほぼ完全に終わりを告げました。 しかし、日本軍は満州国の国境を守るという理由で国境を越 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>盧溝橋事件</h2>
<p>満州事変がおこってから1年半経って満州での戦いは、ほぼ完全に終わりを告げました。<br />
しかし、日本軍は満州国の国境を守るという理由で国境を越えて中国本土へ進んでゆきました。</p>
<p>1937年(昭和21年)7月7日北京の近くの盧溝橋というところで日本軍と中国軍とが争いをおこし、とうとう日本と中国との戦争がはじまりました。</p>
<p>これが日華事変といわれるものですが名前は事変でも、実際には戦争でした。<br />
中国の中心でおこったこの戦争は満州事変とは、全く違ったものになりました。</p>
<p>なぜなら中国が非常に強い反抗をしたからです。<br />
戦場は中国の北部から中央部へと、だんだん広がっていきました。</p>
<p>日本軍は各地の戦いで中国軍を破っていきました。<br />
しかし、なにしろ広い中国大陸です。</p>
<p>ところどころの戦いに勝手も戦争はいつ終わるのか見当がつきません。</p>
<p>中国側の激しい反攻の影には日本の無茶なやり方に憤りを感じて、あくまで戦いぬこうとする中国国民と<br />
中国共産党との強い力がはたらいていたのです。</p>
<p>そのころの中国は蒋介石の率いる国民政府が納めていましたが、国民政府のやり方に反対する中国共産党は毛沢東を中心に、日に日に強い力をたくわえていました。</p>
<p>共産党と国民政府とは互いに反対の立場に立ちながら日本軍に対抗するというてんでは1つになって、ますます激しく反攻したのです。</p>
<h2>国家総動員法</h2>
<p>戦いがはじまると軍部と政府(近衛文麿内閣)は国内の組織を全て戦争のために作り替えようとしました。<br />
1938年4月に出された国家総動員法がそれです。</p>
<p>これは政府が自由に国の経済活動や国民生活を支配できる法律です。<br />
政治はまず、戦争に反対するものを片っ端から捕らえて、監獄に放り込みました。</p>
<p>労働者や農民の運動も抑えられ後には、労働組合や農民組合は解散させられました。<br />
組合があっては、戦争を続けていくのに邪魔になるからです。</p>
<p>また政党も解散させられました。<br />
議会はありましたが政党のない議会はもはや議会ということはできません。</p>
<p>大学での学問も戦争に九反対するものは言うまでもなく批判的なものも許されなくなりました。<br />
国の経済も全て、戦争のために作り替えられてきました。</p>
<p>戦争でたくさんの兵器を使うので、軍需工場は盛んに活動しました。</p>
<p>物をつくるのに必要な原料や機械などが軍需工場にばかりまわされて、軍需工場でないところへは行き渡らなくなりました。</p>
<p>そのために、国民が日常の生活に必要とする品物の生産は次第に減っていきました。<br />
米も、砂糖も、衣料品も次第に店先から姿を消していきました。</p>
<p>軍需工場が発展したおかげで労働者の収入は少し増えましたが生活に必要な品物が少ないために、なかなか買えなくなりました。</p>
<p>また品物があっても、それは質が悪く値段が驚くほど高くなっていました。<br />
戦争のために、金儲けが出来たりは軍需工場を持っていた一部の資本家だけでした。</p>
<p>国民の大部分は、戦争とともに、ますます苦しい生活をしなければならなくなったのです。</p>
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		<title>五・一五事件とは？ 国家主義者が大きな力をふるう！？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/937</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 10:52:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[政党政治]]></category>
		<category><![CDATA[原敬内閣]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
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		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[斎藤実]]></category>
		<category><![CDATA[五・一五事件]]></category>
		<category><![CDATA[浜口首相]]></category>
		<category><![CDATA[犬養首相]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は五・一五事件について、日本の歴史を紹介します。 軍部のカ 満州事変がうまくいったため軍部はすっかりとくいになりました。 そして、軍部の意見ややり方に賛成する人々も増えてきました。 はじめのうちは、満州の占領にあまり [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は五・一五事件について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>軍部のカ</h2>
<p>満州事変がうまくいったため軍部はすっかりとくいになりました。<br />
そして、軍部の意見ややり方に賛成する人々も増えてきました。</p>
<p>はじめのうちは、満州の占領にあまりのり気でなかった財閥も満州から大きな利益があがるようになると<br />
積極的に軍部の後押しをするようになりました。</p>
<p>この頃まではまだ政党内閣が続いていました。</p>
<p>軍部の力にひきずられるカの弱い政党でしたが議会も政党も問題にしない軍部の無茶なやり方にときには反対する政治家もありました。</p>
<p>軍部や、軍部と同じ考え方をしている人たちにとっては、こういう政治家が邪魔になってなりません。<br />
そこで、こういう政治家の中には自分たちの気に入らない政治家を倒して自分たちのためになる政府をつくろうと考えるものもありました。</p>
<p>さきに浜口首相が殺されたのも、このような人々によってであり、また1932年には、大蔵大臣井上準之助も同じように殺されました。</p>
<h2>五・一五事件</h2>
<p>同じ年の5月15日には国家主義者や、若い陸海軍の軍人たちが首相官邸その他を襲い総理大臣の犬養毅を殺してしまいました。</p>
<p>これが五・一五事件です。</p>
<p>これらの人々は、武力を使って政党政治を倒し軍部を中心とした政府をつくろうと考えていたのです。<br />
こうなってはもう政党政治を続けていくことはできません。</p>
<p>犬養首相が殺されたあとには海軍大将の斎藤実が総理大臣となり、原敬内閣から十数年続いた日本の政党政治はとうとう軍部の力の前に、崩れていったのです。</p>
<p>軍部や、軍部の考え方に歩調を合わせていた国家主義者(個人の自由や幸福を重く見ないで国家を最高のものと考える人々) たちは、こうしてますます大きな力をふるうようになりました。</p>
<p>そして、国の政治や軍部のやり方に反対する人々は厳しい取締を受けるようになってきました。</p>
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		<title>満州事変とは？ 上海事変とは？ 濱口内閣とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/935</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 10:36:02 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[上海事変]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
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		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[浜口内閣]]></category>
		<category><![CDATA[田中内閣]]></category>
		<category><![CDATA[軍備縮小]]></category>
		<category><![CDATA[張作霖]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は満州事変について、日本の歴史を紹介します。 浜口内閣 田中内閣の跡を継いだ浜口内閣は田中内閣のような激しい外交政策をとりませんでした。 1930年(昭和5年)にはロンドンで軍備縮小の条約を結んだり中国との関係をよく [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は満州事変について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>浜口内閣</h2>
<p>田中内閣の跡を継いだ浜口内閣は田中内閣のような激しい外交政策をとりませんでした。</p>
<p>1930年(昭和5年)にはロンドンで軍備縮小の条約を結んだり中国との関係をよくしようとしたりしたので、世界の国々とのあいだもいくらかよくなりました。</p>
<p>しかし国内では政府が軍部の反対を押し切って軍備縮小の条約を結んだことは軍部、とくに海軍の若い軍人を怒らせました。</p>
<p>そのため総理大臣浜口雄幸は1930年(昭和5年)11月東京駅で、右翼の青年によって傷を負わされ、それがもとで翌年に死んでしまいました。</p>
<h2>満州事変</h2>
<p>張作霖が殺されたあとの満州では、その子どもの張学良が支配するようになりました。</p>
<p>しかし、父親が日本人によって殺されたことを知った張学良は蒋介石の率いる国民政府と結んで<br />
日本に対抗しました。</p>
<p>そして、日本の製品を買うことをやめたり満鉄に乗ることなやめたりしましたので満州でも反日感情は、次第に高まっていきました。</p>
<p>政府のやり方に不満を抱いていた軍部は、なんとかして、この満州を自分のものにしようとはかり、たえず満州攻撃の隙を狙っていました。</p>
<p>そして、ついに1931年(昭和6年)9月18日満州で戦いの火の手があがりました。</p>
<p>これが満州事変です。</p>
<p>満州事変は、奉天(今の洛陽) のすぐ北にある柳条溝というところで、南満州鉄道が中国の軍によって爆破れたことから始まったというのが、政府の発表でした。</p>
<p>そして、国民の大部分はその通りに信じていましたが事実がそうではありませんでした。<br />
鉄道を爆破したのは、関東軍自身でした。</p>
<p>(実際には鉄道は少しも壊されておらず、そのすぐあとを列車が何事も無く通っていったとも言われています)</p>
<p>関東軍は、鉄道爆破の罪を中国軍にきせ勝手に中国軍に戦いを仕掛けたのでした。<br />
政府は、はじめ戦争をあまり大きくしないことに決め国民も戦争をあまり好みませんでした。</p>
<p>しかし関東軍は、そういうは政府の決定や国民の考えに従わないだけでなく戦争をやめようという中国からの申し出もぜんぜん受付けませんでした。</p>
<p>そして、どんどん軍隊をすすめ各地で中国軍を攻撃していきました。<br />
日本軍が満州で戦争をはじめたことは世界の人々を驚かせました。</p>
<p>中国は国際連盟に訴えて日本の侵略を批難しました。<br />
アメリカなども、日本を激しく批難しました。</p>
<p>しかし日本軍は、そういうことには構わずに戦いを続け、戦争がはじまってから四か月たったあくる年の1月には、とうとう満州を全部占領してしまいました。</p>
<p>また、同じ1月には、今度は海軍が上海で戦いをはじめました。<br />
しかし、ここでは中国軍の激しい抵抗で日本軍は大きな損害を受けました。</p>
<p>これを上海事変といいます。</p>
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		<title>大正・昭和時代のあらまし！　ざっくり言うとどんな時代？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/915</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Oct 2014 14:38:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[制限選挙]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[明治]]></category>
		<category><![CDATA[普通選挙法]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は大正・昭和時代のあらましについて、日本の歴史を紹介します。 第一次世界大戦と日本 1914年(大正三年) 第一次世界大戦がおこり日英同盟を結んでいた日本もこれに参加しました。 この大戦は、主戦場がヨーロッパであった [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は大正・昭和時代のあらましについて、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>第一次世界大戦と日本</h2>
<p>1914年(大正三年) 第一次世界大戦がおこり日英同盟を結んでいた日本もこれに参加しました。<br />
この大戦は、主戦場がヨーロッパであったため日本には、大した被害がありませんでした。</p>
<p>むしろ、国内の工業はますます盛んとなり貿易額も急に伸びました。<br />
国内には、成金と呼ばれるような大金持ちが、たくさんできたほどです。</p>
<p>大戦が終わってのち世界平和を保つ機関として国際連盟ができ日本は、これに常任理事国として加入しました。</p>
<p>しかし、一方では日本は大陸に勢いを伸ばそうとして中国に対し、二十一か条の要求をつきつけました。</p>
<h2>民衆の時代</h2>
<p>大正の頃は、一般の民衆の意見が盛んに発表されるようになりました。</p>
<p>制限選挙を止めて国民の全てが選挙権を持つことが、できるようにする運動が高まったのもこの時代です。</p>
<p>その努力は、1925年(大正14年)に普通選挙法が議会を通ったことによって実りました。</p>
<p>文化面でも、教育が行き渡るとともに大衆小説が盛んに発表され活動写真(映画)、レコード・ラジオが普及して人々を楽しませました。</p>
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<h2>戦争へのあゆみ</h2>
<p>第一次世界大戦後にはじまった不景気は少しも回復せず昭和に入ってますます酷くなりました。<br />
そこで昭和になると大陸へ勢いを伸ばそうとする動きが一層活発になってきました。</p>
<p>その中心になったのは、軍部です。</p>
<p>1931年(昭和6年)に満州事変がおこり、たちまち日本の思うままになる満州国がつくりあげられたのも、その一つのあらわれといえます。</p>
<p>そして、続いて国内におこった五・一五事件、ニ・二六事件などは軍部の力を一層強める結果になりました。</p>
<p>1937年(昭和21年)ついに日華事変がおこり華北から華中へ、そして全中国へと戦線が広がっていきました。</p>
<p>しかし中国は広大な国です。<br />
とうてい全部を抑えきれるものではありません。</p>
<p>はじめは、勝利に酔っていた日本軍も、やがて泥沼に足を突っ込んだような苦しさを味わうことになりました。<br />
さらに、1941年(昭和16年)には太平洋戦争がはじまりました。<br />
打ち続く戦争に、国民の暮らしは次第に苦しくなりも工場や交通機関が破壊されて生産力も衰えました。</p>
<p>そして、昭和20年8月、広島と長崎に原子爆弾が落とされ同じ月、日本は無条件降伏をしました。</p>
<h2>新しい日本</h2>
<p>戦後は、日本の民主化をすすめ新しい日本をつくるための努力が各方面で続けられました。<br />
日本国憲法ができて新しい日本の政治の拠り所となりました。</p>
<p>そして、日本の産業は年々著しく進歩し、優れた製品が、どんどん外国へ送り出されるようになりました。</p>
<p>しかし日本は、世界から孤立しては生きていけません。</p>
<p>めまぐるしく動き、また進歩していく今の世界の中で日本はどのように進んでゆけばよいのか、これが私たちに与えられた大きな課題なのです。</p>
<div class="m30-b"></div>
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