﻿<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>源氏 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
	<atom:link href="https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/tag/%e6%ba%90%e6%b0%8f/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://wakariyasuku-rekishi.com</link>
	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 May 2019 18:18:02 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.8.3</generator>

<image>
	<url>https://wakariyasuku-rekishi.com/wp-content/uploads/2018/07/cropped-rekishi-favi-32x32.png</url>
	<title>源氏 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
	<link>https://wakariyasuku-rekishi.com</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
<atom:link rel="hub" href="https://pubsubhubbub.appspot.com"/><atom:link rel="hub" href="https://pubsubhubbub.superfeedr.com"/><atom:link rel="hub" href="https://websubhub.com/hub"/><site xmlns="com-wordpress:feed-additions:1">148332681</site>	<item>
		<title>源氏と平氏の起源はいつ頃？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/732</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 03 Feb 2014 01:19:48 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[源氏]]></category>
		<category><![CDATA[平氏]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/732</guid>

					<description><![CDATA[今回は源氏と平氏について、日本の歴史を紹介します。 国司は、もともと刀を持ったり、弓矢を持ったりすることは許されませんでした。 しかし、世の中が物騒になって強盗のために殺される者があるようでは、国司も武器を持たずにはおれ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は源氏と平氏について、日本の歴史を紹介します。<br />
<script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><!-- 日本の歴史WPー上改 --><ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="3914141462"
     data-ad-format="rectangle"
     data-full-width-responsive="true"></ins><br />
<script>
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script></p>
<div class="m30-b"></div>
<p>国司は、もともと刀を持ったり、弓矢を持ったりすることは許されませんでした。</p>
<p>しかし、世の中が物騒になって強盗のために殺される者があるようでは、国司も武器を持たずにはおれません。</p>
<p>また、国内の農民から、租税を取り立てるためには強い手下があったほうが便利です。<br />
そこで、国司たちは、刀を持ったり、兵士を従えたりすることを許して欲しいと、朝廷に願いでました。</p>
<p>そして、十世紀頃からは、国司が勤め先の土地へ行くときには、郎等を連れて行くようになりました。<br />
こうして、次々と各地の国司をつとめる人々の中にも、武士になる者が出てきました。</p>
<p>こうして出来た武士の内でも、特に力の強いものは、カの弱い農民たちから便りにされ、頭と仰がれるようになりました。</p>
<p>これを、武士の棟梁といいます。</p>
<p>武士の棟梁には藤原秀郷のような藤原氏からでた人もあれば、橘遠安のように橘氏からでた者もありました。</p>
<p>けれどもその中で、特に数多くの武士の棟梁がでて、しかも勢いが強くなったのは、源氏と平氏でした。<br />
源氏も平氏も、皇族の子孫です。</p>
<p>天皇の子は親王、親王の子は王と言い、それ以後五代目か六代目になると、姓を与えられて、皇族を離れるという決まりでした。</p>
<p>けれども平安時代になると、一代目で姓をもらって、皇族から離れるものが多くなりました。<br />
源氏も平氏も、その1つです。</p>
<p>平氏には、桓武天皇からでたもの、仁明天皇からでたもの、文徳天皇からでたもの、光孝天皇からでたものがありました。</p>
<p>そして、その多くは都に住み着いて、役人をしていました。<br />
ところが、葛原親王(桓武天皇の皇子) の子の高見王は、若死にしたせいもあったのでしよう。</p>
<p>あまり目立った役にもつきませんでした。</p>
<p>そこで、その子の高望王は、都に住みつかず、「平」という姓をもらって、上総国(千葉県の一部) の国司となり、関東地方に住み着きました。</p>
<p>高望には、数人の子どもがありましたが、どれも関東地方に住みつき、土地を開いて豪族となりました。</p>
<p>平将門は、高望の孫にあたり将門の乱も、この関東の平氏の内輪もめから、おこったのです。<br />
将門の乱から90年ほど経つと、今の千葉県で、平忠常が乱をおこし、将門の乱と同じように、大騒ぎをしました。</p>
<p>この忠常も高望の子孫でした。<br />
しかし、関東の平氏は、忠常から後は、目立った活動をしなくなりました。</p>
<p>これに代わって、関東地方から伊勢国(三重県の一部)に移った平維衡の子孫が・武士の棟梁として仰がれ、活動をするようになりました。</p>
<p>関東の平氏が忠常の乱以後、大人しくなったのは忠常が源頼信という源氏の棟梁に降参し、源氏の勢いが<br />
関東地方で強まったからです。</p>
<p>源氏も、平氏と同じように、多くの家筋にわかれています。</p>
<p>嵯峨天皇の子孫をはじめ、仁明天皇・清和天皇・陽成天皇光孝天皇・宇多天皇・醍醐天皇・林心元皇など、数多くの天皇の皇子が、源氏を名乗りました。</p>
<p>そしてその多くは、都に住んで役人となりました。<br />
中でも、村上天皇の子孫の源氏は優れた学者や政治家がたくさんでて、藤原氏と並び、朝廷で重く用いられました。</p>
<p>けれども、源氏の中にも、都に住みつかず、地方の国司になったものが、かなりいました。<br />
貞親王(清和天皇の皇子) の子の経基もそのひとりで、武蔵国(東京都・埼玉県と、神奈川県の一部)の国司となりました。</p>
<p>経基は、藤原純友の乱のときに活躍しましたが、さらに、経基の子の満仲、満仲の子の頼信などの働きによって源氏は、次第に武士の家柄として名をあげていきました。</p>
<p><script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><!-- 日本の歴史WP下 --><ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="8503767943"
     data-ad-format="rectangle"
     data-full-width-responsive="true"></ins><br />
<script>
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script></p>
<div class="m30-b"></div>
<p><script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><br />
<ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-format="autorelaxed"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="6073045728"></ins><br />
<script>
     (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
		<post-id xmlns="com-wordpress:feed-additions:1">732</post-id>	</item>
	</channel>
</rss>
