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	<title>第一次世界大戦 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>第一次世界大戦 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>アジアの緊張とは？　現在の日本の姿とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/954</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 13:24:43 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。 アジアの緊張 対外的には、日米協カの関係はいよいよ深められました。 第一次世界大戦後、正式国交を回復しなかった大韓民国との間にも日韓基本条約を196 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>アジアの緊張</h2>
<p>対外的には、日米協カの関係はいよいよ深められました。</p>
<p>第一次世界大戦後、正式国交を回復しなかった大韓民国との間にも日韓基本条約を1965年(昭和40年)に<br />
取り交わすところまで進みました。</p>
<p>しかし朝鮮は、南北に二分したまま南の大韓民国と、北の朝鮮民主主義人民共和国とは対立を深めています。</p>
<p>したがって、その一方の大韓民国とだけ国交をはかることは非常に問題を残すのではないかと国会では野党の強い批判を受けました。</p>
<p>アジアではまた南ベトナムで、北ベトナム系の民族解放戦線(ベトコン)が激しく政府軍を攻撃し続けていましたが、これに武力介入をしたアメリカはしきりにベトコン・北ベトナム攻撃に力を入れだしました。</p>
<p>1965年(昭和40年) 頃からそれが本格的になると安保条約を結ぶ日本の米軍基地もなにかと騒がしくなりました。</p>
<p>ことに沖縄は、本来日本民族の居住するところで住民は早く祖国に復帰したいと願ってきましたが、まだアジアに勢力を保っておこうとしているアメリカにとっては、手放せないもののようです。</p>
<p>沖縄とともに、第二次世界大戦後アメリカ軍に管理されていた小笠原諸島は1968年(昭和43年)6月に<br />
東京都に復帰しました。</p>
<p>沖縄の日本返還要求は最近急に強くなってきましたが、それを可能にさせる条件は、ベトナムの平和回復<br />
アジアの国に際関係の安定です。</p>
<p>1968年4月にアメリカのジョンソン大統領はベトナムの平和回復をはかる交渉をはじめるという宣言をし<br />
フランスのパリで会談がはじめられました。</p>
<p>そのほか、ソ連との間に溝を大きくして独自に共産主義国としての発展に努めている中国と、アメリカとの関係はまだまだ穏やかならぬものがあり、アジアの緊張は中々緩みそうもありません。</p>
<h2>現在の日本の姿</h2>
<p>マスコミュニケーションの広がりで国民大衆一般の文化水準は、近年高まっています。<br />
家庭の中に、テレビが備えられる率もぐんぐん上がり、出版・報道機関の活動も盛んです。</p>
<p>交通・通信の発達が仕事の能率を急速に高め人々は、国際的な視野で物事を判断するようになりました。</p>
<p>1964年(昭和39年)には世界の人類をひとつに結ぶスポーツの祭典、第一八回オリンピック競技大会が東京で開かれ94か国から5500人あまりの選手が集まりました。</p>
<p>そしてこれを機会に、国内の観光事業は交通機関の発達とともに多いに整備されてきました。</p>
<p>また、日本の技術の素晴らしさがオリンピックのような機会に時かに世界の人々に認められるようになりました。</p>
<p>そして、そのもとになる科学的頭脳もいろいろな学界の交流活動で世界に知られるようになりました。<br />
1965年(昭和40年)には湯川博士について朝永振一郎博士がノーベル物理学賞をうけました。</p>
<p>しかし、科学技術の進歩、文明の開発の著しい反面には、激しい交通戦争が人命をそこねることがあったりして問題になっています。</p>
<p>また、大都市の急速な伸びが自動車の排気ガス、工場の煙などによる公害問題を大きくしています。<br />
国民の社会生活にはまだなにかと矛盾が多く釣り合いの取れていないところがあるのです。</p>
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		<title>ドイツの降伏とポツダム宣言とは？ 日本が敗戦した理由とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/944</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:26:15 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[原子爆弾]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
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		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[ポツダム宣言]]></category>
		<category><![CDATA[国際連合]]></category>
		<category><![CDATA[ヒットラー]]></category>
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					<description><![CDATA[今回はドイツの降伏とポツダム宣言について、日本の歴史を紹介します。 ドイツの降伏 ありあまるほどの兵器を持った連合国軍は東から南から大波のような勢いで日本本土へ押し寄せました。 1945年に入ると、アメリ空軍の空襲がひど [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回はドイツの降伏とポツダム宣言について、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>ドイツの降伏</h2>
<p>ありあまるほどの兵器を持った連合国軍は東から南から大波のような勢いで日本本土へ押し寄せました。</p>
<p>1945年に入ると、アメリ空軍の空襲がひどくなり東京・大阪をはじめ全国のほとんどの都市が焼け野原となり何百万という人が死んだり焼け出されたりしました。</p>
<p>ヨーロッパでも、連合国軍の攻撃が激しくなりました。<br />
イタリアは、1943年に降伏しましたし、ドイツも国内までおしまくられていました。<br />
連合国は、すっかり自信を強くしていました。</p>
<p>1945年4月には、連合国側の50の国々がアメリカのサンフランシスコに集まって国際連合をつくる会議を開きました。</p>
<p>国際連合は、戦争が終わってから世界平和を守るための機関として考えられました。</p>
<p>第一次世界大戦のあとには平和を守る機関として、国際連盟がつくられましたが、うまく平和を守ることができず再び大戦争がおこりました。</p>
<p>そこで、今度はそういうことのないようにとアメリカ・イギリス・ソビエト連邦などが中心となって新しい国際連合の仕組みを考えていたのです。</p>
<p>こうして、戦争が終わったのちの1945年10月に生まれた国際連合は戦争が終わらない内から、どんどん用意がすすめられていました。</p>
<p>ヨーロッパではドイツが必死になって戦いました。</p>
<p>しかし、東からはソビエ卜西からはアメリカ・イギリスの大軍に押し寄せられて、ついに1945年5月、首都ベルリンがおちヒットラーは自殺して、連合国に降伏しました。</p>
<h2>ポツダム宣言</h2>
<p>戦いを続けていいたのは日本だけです。<br />
連合国は、ドイツのポツダムというところで会議を開きました。</p>
<p>そこでは、日本を降伏させたのも、どのようにして日本をおさめていくかということが問題になりました。</p>
<p>そして、この会議で連合国側が共同して宣言したものがポツダム宣言です。</p>
<p>このポツダム宣言の中には「日本に秩序が整うまで連合国が日本を占領する。日本の軍隊は解散する。戦争の責任者を裁判する。日本を平和を民主主義の国にする」という連合国の決心が述べてありました。</p>
<p>連合国は、日本がこの宣言を受け入れるならば戦争をやめるが、受け入れない場合は日本が倒れるまで<br />
攻撃を続けると言ってきました。</p>
<p>しかし、日本はこの宣言を受け入れるどころか日本人がひとり残らず死ぬまで戦うと答えました。</p>
<h2>敗戦</h2>
<p>やがて8月6日の朝、アメリ力の原子爆弾が、広島に落とされました。<br />
広島は、この一発の爆弾でたちまち焼け野原となり24万もの人が死んだのです。</p>
<p>続いて8月9日2発目の原子爆弾が長崎に落とされました。</p>
<p>同じ日、ソビエト連邦が連合国側に加わって戦争をはじめ、満州に攻め込みました。<br />
こうなってはもう戦争を続けていくことはできません。</p>
<p>軍隊はさんざんな目にあっていましたし国民も苦しさのあまり戦争に協力しなくなっていたからです。<br />
政府は、ポツダム宣言を受け入れて降伏することにしました。<br />
8月15日、天皇はそのことを国民に伝えました。</p>
<p>満州事変から14年間も続いた戦争もようやく終わりました。</p>
<p>このあいだ、日本の政治の指導者たちは一つの戦争をおさめようとしては次の大きな戦争をはじめ、次々と戦場を広げ戦争を長引かせ、坂を転がり落ちる雪だるまのように敗戦への道を進んでできたのです。</p>
<p>戦争に負けたと知ったとき国民は一時は悲しみましたがすぐに、戦争が終わったことを多いに喜びました。</p>
<p>国民は、もう戦争に懲り懲りしていたからです。</p>
<p>多くの犠牲をはらった、日本人は戦争は人々を苦しめるだけで、なに一つとして利益になることがない<br />
ということを知ったのです。</p>
<p>そして、戦争に勝つことよりも世界中の人々が仲良く平和を守っていくことのほうが大切だと考えていたのです。</p>
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		<title>日独伊三国同盟とは？ 世界の仲間はずれになっていた日本とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/940</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:07:54 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[ナチス党]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は日独伊三国同盟について、日本の歴史を紹介します。 日独伊三国同盟 中国での戦場が、中部から南部に広がっていくと、この地方にいろいろの権利などを持っていたアメリカや、ヨーロッパの国々との間に揉め事がおこるようになりま [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は日独伊三国同盟について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>日独伊三国同盟</h2>
<p>中国での戦場が、中部から南部に広がっていくと、この地方にいろいろの権利などを持っていたアメリカや、ヨーロッパの国々との間に揉め事がおこるようになりました。</p>
<p>これらの国々は自分たちが中国に持っている権利を守るために、日本に向かってようやく強い態度をとるようになりました。</p>
<p>そして、日本との取り引きをしなくなったり蒋介石に兵器をおくって日本にて向かわせたりしました。<br />
また日本は、北のほうにも敵がありました。</p>
<p>ソビエト連邦がそれです。</p>
<p>ソビエト連邦は1917年(大正6年)の革命以来、急激に発展した国です。<br />
しかもソビエト連邦は、共産主義の国でした。</p>
<p>日本の軍部や政府は、共産主義の考えが我が国に広がるのを、たいへん恐れていました。<br />
そのソビエト連邦と日本とは満州とソビエト連邦との国境である黒竜江を挟んでにらみ合っていました。</p>
<p>1939年に両国の軍隊がノモンハンというところで争いをおこし、日本軍が負けたことがありました。<br />
ですから、日本にとっては北のソビエト連邦も怖い敵だったのです。</p>
<p>このように日本は、ただ中国と戦争をするばかりでなく北にも、南にも怖い敵を控えて、アジアで孤立しなければなりませんでした。</p>
<h2>三国同盟</h2>
<p>いっぽうヨーロッパでも、また戦争がおこりそそうになりました。</p>
<p>第一次世界大戦に負けたドイツでは戦後莫大な賠償金を背負わされてまだ復興もおぼつかないところへ世界的な不景気の波が押し寄せたのですからたまりません。</p>
<p>国民は、苦しいどん底の生活に突き落とされました。<br />
しかも、戦後のドイツでは政治がしっかりしておらず全く、希望のない暗い社会になりました。</p>
<p>こうした社会へ、ヒットラーの率いるナチス党があらわれたのです。<br />
ナチス党は、ドイツの行き詰まりを救うために外国に戦争しかけて植民地を広げようと叫びました。</p>
<p>ですから、ナチス党はたちまち大資本家の援助を受けて日本の軍部と同じように武力によって、わがままな政治をするようになりました。</p>
<p>イタリアでもムッツリーニが政権を握り、民主主義とは反対の方向へ国の政治を引っ張っていきました。</p>
<p>そしてこの二国は武力によって、他の国を倒してでも国の力を強くしようという政策のもとに固く手を結びました。</p>
<p>日本も、この2つの国とだんだん近ついていきました。</p>
<p>国内に資源をもっていないので、他の国を侵略しようというてんで日本は、ドイツ・イタリアに似ていました。</p>
<p>そして、民主主義は行われず軍人が幅を利かし、共産主義を倒そうというてんでも、この三つの国は、似ていました。</p>
<p>国際連盟から脱退して世界の仲間はずれになっていた日本は、こうしてドイツ・イタリアに近づいていったのです。</p>
<p>その後、1940年(昭和15年)この三国は同盟を結び、共同してアメリカ・イギリス・フランスなどの国々と戦争することになりました。</p>
<p>この同盟は、日(日本) 独(ドイツ)伊(イタリア)三国同盟といっています。</p>
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		<item>
		<title>張作霖事件とは？ 日本と満州との関係とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/934</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 10:30:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[田中内閣]]></category>
		<category><![CDATA[張作霖]]></category>
		<category><![CDATA[九か国条約]]></category>
		<category><![CDATA[資本家]]></category>
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		<category><![CDATA[政友会]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は張作霖事件について、日本の歴史を紹介します。 中国進出 1922年(大正11年) 政府が九か国条約を結んだので中国本土へ伸びようとしていた日本の勢いは、いったん挫けることになりました。 このことのために激しく政府を [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は張作霖事件について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>中国進出</h2>
<p>1922年(大正11年) 政府が九か国条約を結んだので中国本土へ伸びようとしていた日本の勢いは、いったん挫けることになりました。</p>
<p>このことのために激しく政府を責め立てたのは軍人でした。</p>
<p>また、資本家たちも第一次世界大戦が終わってから、ずっと続いている不景気がだんだんひどくなっていく一方でしたので政府の政治に、必ずしも賛成ではありませんでした。</p>
<p>そして、生活に苦しんでいる労働者たちは各地でストライキをおこし、農民たちも小作争議をおこしました。</p>
<p>このような有様を見て政府もこの不景気を乗り切るために日本の勢いを、満州や中国本土へ伸ばさなければならないという考えを強くしました。</p>
<p>1927年(昭和2年)陸軍の大将で政友会総裁であった田中義一が総理大臣になりました。</p>
<p>これまでの内閣は、イギリスなどとの関係から強い態度をとることができずにいましたが田中内閣は、中国へ向かって強く勢いを伸ばしていくことを、はっきり決めました。</p>
<p>そのころ、中国では、1911年(明治44年)の革命で中華民国ができていましたが、まだ国として、しっかりまとまっておらず勢いのあるものが幾つかに分かれて互いに争っていました。</p>
<p>田中内閣はこの隙を狙って、たびたび中国に軍隊をおくり中国本土へ、勢いを伸ばそうとしたのです。</p>
<h2>日本と満州</h2>
<p>はじめ、日本の勢いは中国でもとくに満州に向かって伸びていきました。<br />
満州は、今の東北区のことで日本の約3倍もの面積がありました。</p>
<p>そして、日本は、日露戦争後この満州に南満州鉄道をしいて大きな利益をあげていました。</p>
<p>また満州は、石炭・銑鉄なこの工業原料や大豆などが豊かなので日本はこれらの品物を満州から輸入して<br />
代わりに、綿製品・雑貨・機械器具などを輸出していました。</p>
<p>このように、満州は日本の経済を支える重要なところでした。<br />
そのころ、満州には関東軍といわれる日本の強い軍隊がわかれていました。</p>
<p>関東軍の軍人の中には自分たちが日本の軍部の先頭に立って満州をしっかり握ってしまおうと考えるものが大勢いました。</p>
<h2>張作霖事件</h2>
<p>ちょうどその頃、満州では張作霖が勢いをふるっていましたので日本は、張作霖と結んで勢力を伸ばそうと考えました。</p>
<p>しかし、張作霖は日本と結ぶのを嫌いました。</p>
<p>そこで、関東軍の一部の軍人は張作霖が国内での戦いに負けて奉天へ逃げ帰る途中、彼の乗っている列車を爆破して彼を殺してしまいました。</p>
<p>この事件は、日本の国民には秘密にされていました。<br />
しかし、中国は言うまでもなく世界中に知れわたり、日本は世界の国々から激しい避難を浴びました。</p>
<p>また中国への出兵は中国人をひどく怒らせ、中国各地で日本人や日本の商品を退ける運動が広がりました。</p>
<p>そのため、日本の国内でも田中内閣を批難する声が強くなったので、田中内閣はついに総辞職しなければならなくなりました。</p>
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		<title>第一次世界大戦に勝ち続けたから日本は発展した？　強まる軍部の力とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/933</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 11 Oct 2014 09:30:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[軍部]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。 軍部のカ 国民が政治を信用しなくなり政府が国民の声を聞こうとせず力ずくでも、国民を抑え付けようとするのでは民主政治は、もうぐらついてきたと言わねばな [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>軍部のカ</h2>
<p>国民が政治を信用しなくなり政府が国民の声を聞こうとせず力ずくでも、国民を抑え付けようとするのでは民主政治は、もうぐらついてきたと言わねばなりません。</p>
<p>こうして、民主政治がぐらついてきた隙にカを強めてきたのが軍部です。</p>
<p>もともと、日本の軍隊は天皇が自ら率いるということになっており軍隊のことには、議会も政府も口出しが出来ませんでした。</p>
<p>だから、軍隊は、誰にも邪魔されずに固い団結と、大きな力を作り上げることができたのです。</p>
<p>ことに、日清・日露の2つの戦いと第一次世界大戦に勝ち続けたため日本の発展は、軍隊のお陰だと軍人たちは考えるようになりました。</p>
<p>そして、日本の軍隊は世界一強い軍隊だと信じこむようになりました。</p>
<p>軍人たちは、加藤友三郎内閣が軍縮会議の取り決めにしたがって日本の軍備を小さくしたことに大きな不満を持ちました。</p>
<p>そして、軍部の指導者たちは日本の政治を政治家たちにかわって自分たちが改めてやろうと考えるようになりました。</p>
<h2>軍部と政党の結びつき</h2>
<p>このような軍部の動きに対して政党は、少しも政党政治を立派なものにしようとはせずむしろ、軍部の力を借りて自分たらの力を長く保とうしました。</p>
<p>政友会が、1925年(大正14年)軍人である田中義一を総裁の地位につけたのもそのためです。<br />
こうして政党ますます正しい姿を失ってしまい反対に軍部はどんどん強くなっていました。</p>
<div class="m30-b"></div>
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		<title>パリの講和会議とは？　国際連盟とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/920</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Oct 2014 14:58:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[パリの講和会議]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
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		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[国際連盟]]></category>
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					<description><![CDATA[今回はパリの講和会議とは？　国際連盟について、日本の歴史を紹介します。 第一次世界大戦は、戦争に加わった国が36か国、死んだり傷ついたりした人が、ざっと3000万人にも上るという今までにはない大規模な戦争でした。 そして [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回はパリの講和会議とは？　国際連盟について、日本の歴史を紹介します。</p>
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第一次世界大戦は、戦争に加わった国が36か国、死んだり傷ついたりした人が、ざっと3000万人にも上るという今までにはない大規模な戦争でした。</p>
<p>そして、人々は戦争の恐ろしさを今更ながら感じ、ようやく訪れた平和を心から喜び合いました。</p>
<h2>パリの講和会議</h2>
<p>1919年(大正8年)1月18日からパリの郊外のべルサイユ宮殿で講和会議が閉かれました。<br />
日本も、この会議にはアメリカ・イギリス・フランス・イタリアとともに五大国の一つとして出席しました。</p>
<p>この会議の結果、ドイツはその領土を大きく削られ莫大な賠償金(戦争の相手国に負わせた損害に対して支払う金)を連合国に払うことになりました。</p>
<p>また「一つの民族は、それぞれ一つの独立した国をつくるべきだ」というアメリカのウィルソン大統領の主張に基づいてポーランド・チエコスロバキアなどの国々が独立しました。</p>
<p>なお日本は、山東省にドイツが持っていた権利を受け継ぎ、さらに、太平洋の赤道の北にある、もとドイツ領の島々を委任統治(ある地域を治める権利を任せられること)することになりました。</p>
<p>こうして、日本の国際的地位は多いに向上しました。<br />
しかし、このべルサイユ会議の取り決めにも欠点はありました。</p>
<p>それは、大国の利益が中心で小国の意見は取り入れられ全ての国々が満足して決められたものではなかったことです。</p>
<h2>国際連盟</h2>
<p>講和会議に出席したアメリカのウィルソン大統領は世界の平和を守る仕組みとして国際連盟をつくろうと言い出しました。</p>
<p>戦争に懲りた各国はすすんで、この意見に賛成したので、1920年に国際連盟が出来上がりました。</p>
<p>国際連盟は、世界の国々が互いに領土と独立を尊び国と国との争いを話し合いでまとめるために別れた機関です。</p>
<p>たしかにそれは、立派な考えだと言えます。</p>
<p>しかし、つくろうと言い出したアメリカは議会が反対をしたため連盟に加わりませんでした。<br />
また、ソビエトもドイツもこれに加わることが、許されませんでした。</p>
<p>そのため、国際連盟ははじめから完全なものとは言えず世界の平和を国と国との話し合いによって守りぬくだけの力を持たなかったわけです。</p>
<p>しかし、日本は国際連盟でもイギリス・フランス・イタリアなどとともに常任理事国という大切な役目を受け持つことになりました。</p>
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		<item>
		<title>第一次世界大戦とは？　その頃の日本と日本の参戦の経緯とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/917</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Oct 2014 14:46:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は第一次世界大戦とは？ その頃の日本と日本の参戦の経緯について、日本の歴史を紹介します。 大戦がはじまる 皇太子が殺されるとオーストリアはセルビアに戦争を仕掛けました。 これをきっかけにオーストリアと結んでいるドイツ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は第一次世界大戦とは？<br />
その頃の日本と日本の参戦の経緯について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>大戦がはじまる</h2>
<p>皇太子が殺されるとオーストリアはセルビアに戦争を仕掛けました。</p>
<p>これをきっかけにオーストリアと結んでいるドイツとセルビアと結んでいるロシアとの間にも戦争がはじまりました。</p>
<p>やがて、ロシアと結ぶイギリス・フランスがこれに加わってドイツと戦争をはじめました。<br />
このようにヨーロッパはあっというまに大戦争の渦に巻き込まれてしまいました。</p>
<p>こうして、第一次世界大戦がはじまったのです。<br />
イギリス・ロシア・フランス側は連合国と呼ばれドイツとオーストリア側は同盟国と呼ばれました。</p>
<h2>このころの日本</h2>
<p>日本は、ロシアとの戦争に勝ち朝鮮を併合したことによって、このころ極東では最も強い国となっていました。</p>
<p>ヨーロッパの各強国はもはや日本の力を見逃すことができなくなりました。</p>
<p>そして、お互いにヨーロッパで勢力争いをするためには極東で、日本と事件を起こさないことがなによりも安全だと考えていました。</p>
<p>そこで、ロシアも日本との間に協約を結びフランスもまた、日本に近づいてきました。<br />
日本は、ますます自分の力を信じるようになりました。</p>
<p>そんなときに、世界大戦が起こったのです。</p>
<h2>日本の参戦</h2>
<p>日本は、前々からイギリスと同盟を結んでいました。<br />
イギリスが戦争に加わったのが8月4日、それから20日ほど経ったばかりの8月23日、日本はドイツ・オーストリアの同盟国に宣戦をしたのです。</p>
<p>では、なぜ日本がドイツに戦争をしかけたのでしょうか。<br />
それは、日英同盟を結んでいたためだと言われています。</p>
<p>なるほど・イギリスは日本に援助を求めてきはしました。<br />
しかし、それは戦争に加わることを義務づけたのではありませんでした。</p>
<p>日本が戦争に加わったのは日英同盟の義理からだということにして本当の目的は、この機会に中国へ一層強い足場を築こうとしたからなのです。</p>
<p>日本は日露戦争ののち満州と朝鮮半島に強い力を受けていましたが、その勢いを、さらに中国本土へも伸ばそうと狙っていたときだったからです。</p>
<p>日本はドイツに宣戦をするとただちに、中国におけるドイツの根拠地である山東省の膠州湾を攻撃しましてこれを占領し、まと海軍は、赤道の北にあるドイツ領の南洋群島を占領して極東から、ドイツの勢力を追い払いました。</p>
<p>中国では、これよりさき1911年に孫文らによって革命が行われ300年近く続いた清が滅ぼされて1921年、中華民国という新しい国ができました。</p>
<p>しかし、まだ国内は完全には統一しておらず国力も弱かったのです。</p>
<p>そこへ、第一次世界大戦がおこり日本が山東半島に軍隊を送ったのですから中国は当然、日本の軍事行動に対して攻撃しました。</p>
<p>そして、イギリスやフランスも日本の出兵を決して喜んではおらず、なにか野心があるのではないかと感じはじめました。</p>
<div class="m30-b"></div>
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]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>第一次世界大戦とは？　大戦の原因とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/916</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Oct 2014 14:41:40 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[三国同盟]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/916</guid>

					<description><![CDATA[今回は第一次世界大戦とは？　大戦の原因について、日本の歴史を紹介します。 世界の歴史の大きな流れの中で20世紀ほど、戦争と平和の問題が人々の間で、真剣に考えられたことはありません。 なぜなら、20世紀に入ってわずか50年 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は第一次世界大戦とは？　大戦の原因について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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世界の歴史の大きな流れの中で20世紀ほど、戦争と平和の問題が人々の間で、真剣に考えられたことはありません。</p>
<p>なぜなら、20世紀に入ってわずか50年ほどのあいだに世界は二度も大きな戦争をしました。<br />
では、なぜこのような短い期間に二度も戦争が繰り返されたのでしょうか。</p>
<p>それにはまず1914年から4年間続いた第一次世界大戦が、どうして起こったかを考えてみましょう。</p>
<h2>大戦の原因</h2>
<p>19世紀の後半になるとヨーロッパ諸国の近代産業は、たいへんな発達をとげ生産品が自分の国の中だけでは売りきれなくなりました。</p>
<p>そこで、各国は市場と原料を安く手にいれられる土地をもとめて、その勢いを海外に伸ばし始めました。</p>
<p>そして、世界の遅れた地域のほとんど全てがヨーロッパの強国の植民地か、またはその勢力の中に治められてしまいました。</p>
<p>ことに、アフリカや東南アジアの多くの土地は、これら強国の勢カ争いの中心地でした。</p>
<p>ところが、後に強国は植民地を市場として求めるだけではなく漁った資本を海外の植民地につぎ込んで<br />
新しく鉱山とか鉄道などの事業を起こそうという政策に、動き出しました。</p>
<p>そこで、列国の植民地争いは前よりも一層すさまじくなりました。</p>
<p>世界の各地へ勢いを伸ばしていった強国の中には昔から大きな勢力を持っていた国と新しく頭を持ち上げはじめた国とがあります。</p>
<p>新しい国々は、昔からの国が、すでに打ち立てた勢力の中に割り込んできて武力を使っても、その土地を奪い取ろうとしました。</p>
<p>そこで、今にも衝突の起きそうな気配が見えたのは当然です。<br />
新しい強国の代表はドイツです。</p>
<p>そして、昔からの強国の代表はイギリスです。</p>
<p>ドイツは、すでにイギリスなどの勢力が及んでいるところにも自分の勢力を押し広げようとして、ほうぼうで、激しく衝突しました。</p>
<p>その他、フランスも、ロシアも、イタリアも自分の国の勢力を押し広げようとしてお互いに結びあったり<br />
あるいは、対立しあって、ともかく釣り合いを保っていました。</p>
<p>ドイツを中心とするオーストリア・イタリアの三国同盟、イギリスを中心とするフランス・ロシアの<br />
三国協商がそれです。</p>
<p>ですから、ヨーロッパでは、ちょっとした事件でもすぐに大きな戦争となりやすい非常に危ない空気がみなぎっていました。</p>
<p>ところが、1914年(大正3年)6月28日オーストリアの皇太子がバルカンにあるボスニアの首府でセルビアの青年に殺されるという事件がおこりました。</p>
<p>バルカン半島は、もともとドイツ・ロシア・イギリスという三つの強国が勢いを伸ばそうとして<br />
争っていたところです。</p>
<p>なぜなら、このバルカン半島にはスラブ民族とゲルマン民族が入り乱れて生活し、お互いに激しく対立していました。</p>
<p>そして、この民族同士の対立にロシア・ドイツの対立が絡み非常に、複雑な状態になっていました。<br />
すなわち、ロシアはスラブ民族とドイツはゲルマン民族と結びついて、それぞれ、この地方に勢力を伸ばそうとしていたからです。</p>
<p>この事件も、ロシアに結びつくセルビアが前からドイツに結びつくオーストリアに圧迫されていたので<br />
その不満を爆発させておきたものです。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<div class="m30-b"></div>
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]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>大正・昭和時代のあらまし！　ざっくり言うとどんな時代？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/915</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Oct 2014 14:38:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[制限選挙]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[明治]]></category>
		<category><![CDATA[普通選挙法]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は大正・昭和時代のあらましについて、日本の歴史を紹介します。 第一次世界大戦と日本 1914年(大正三年) 第一次世界大戦がおこり日英同盟を結んでいた日本もこれに参加しました。 この大戦は、主戦場がヨーロッパであった [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は大正・昭和時代のあらましについて、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>第一次世界大戦と日本</h2>
<p>1914年(大正三年) 第一次世界大戦がおこり日英同盟を結んでいた日本もこれに参加しました。<br />
この大戦は、主戦場がヨーロッパであったため日本には、大した被害がありませんでした。</p>
<p>むしろ、国内の工業はますます盛んとなり貿易額も急に伸びました。<br />
国内には、成金と呼ばれるような大金持ちが、たくさんできたほどです。</p>
<p>大戦が終わってのち世界平和を保つ機関として国際連盟ができ日本は、これに常任理事国として加入しました。</p>
<p>しかし、一方では日本は大陸に勢いを伸ばそうとして中国に対し、二十一か条の要求をつきつけました。</p>
<h2>民衆の時代</h2>
<p>大正の頃は、一般の民衆の意見が盛んに発表されるようになりました。</p>
<p>制限選挙を止めて国民の全てが選挙権を持つことが、できるようにする運動が高まったのもこの時代です。</p>
<p>その努力は、1925年(大正14年)に普通選挙法が議会を通ったことによって実りました。</p>
<p>文化面でも、教育が行き渡るとともに大衆小説が盛んに発表され活動写真(映画)、レコード・ラジオが普及して人々を楽しませました。</p>
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<h2>戦争へのあゆみ</h2>
<p>第一次世界大戦後にはじまった不景気は少しも回復せず昭和に入ってますます酷くなりました。<br />
そこで昭和になると大陸へ勢いを伸ばそうとする動きが一層活発になってきました。</p>
<p>その中心になったのは、軍部です。</p>
<p>1931年(昭和6年)に満州事変がおこり、たちまち日本の思うままになる満州国がつくりあげられたのも、その一つのあらわれといえます。</p>
<p>そして、続いて国内におこった五・一五事件、ニ・二六事件などは軍部の力を一層強める結果になりました。</p>
<p>1937年(昭和21年)ついに日華事変がおこり華北から華中へ、そして全中国へと戦線が広がっていきました。</p>
<p>しかし中国は広大な国です。<br />
とうてい全部を抑えきれるものではありません。</p>
<p>はじめは、勝利に酔っていた日本軍も、やがて泥沼に足を突っ込んだような苦しさを味わうことになりました。<br />
さらに、1941年(昭和16年)には太平洋戦争がはじまりました。<br />
打ち続く戦争に、国民の暮らしは次第に苦しくなりも工場や交通機関が破壊されて生産力も衰えました。</p>
<p>そして、昭和20年8月、広島と長崎に原子爆弾が落とされ同じ月、日本は無条件降伏をしました。</p>
<h2>新しい日本</h2>
<p>戦後は、日本の民主化をすすめ新しい日本をつくるための努力が各方面で続けられました。<br />
日本国憲法ができて新しい日本の政治の拠り所となりました。</p>
<p>そして、日本の産業は年々著しく進歩し、優れた製品が、どんどん外国へ送り出されるようになりました。</p>
<p>しかし日本は、世界から孤立しては生きていけません。</p>
<p>めまぐるしく動き、また進歩していく今の世界の中で日本はどのように進んでゆけばよいのか、これが私たちに与えられた大きな課題なのです。</p>
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