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	<title>縄文時代 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>縄文時代 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>縄文時代の暮らしとは？　衣服や狩り、習わしや住居はどんな感じなの？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/669</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Jan 2014 01:06:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[原始時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[縄文時代]]></category>
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					<description><![CDATA[縄文時代の「衣食住」について紹介します。 たて穴式（竪穴式）住居 この頃の住まいは水の得やすい丘の上に南向きに建てられてきました。 差渡し4,5メートルの地面を浅く掘り下げ、その中に4～6本くらいの大きな柱を建て、その上 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>縄文時代の「衣食住」について紹介します。</p>
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<h2>たて穴式（竪穴式）住居</h2>
<p>この頃の住まいは水の得やすい丘の上に南向きに建てられてきました。<br />
差渡し4,5メートルの地面を浅く掘り下げ、その中に4～6本くらいの大きな柱を建て、その上に木や草などで屋根をこしらえただけの簡単な住まいでした。</p>
<p>これをたて穴（竪穴）式住居と呼んでいます。<br />
住まいの大きさはつくられた年代によって違い、また床の形も円形・楕円形・四角形などと様々です。</p>
<p>床のほぼ中央には炉がつくられ周りの土の上には、草などが敷かれていました。</p>
<p>炉の火は住まいを暖めるとともに中を明るくするのに役立ちました。<br />
炉の隅には釜戸があって食事の支度もここでされたようです。</p>
<p>火を起こすときには、木と木を激しくこすり合わせました。</p>
<p>千葉県市川市の姥山貝塚には、たてあな（竪穴）式住居の跡が残っています。<br />
夫婦らしい男女、幼女ひとり、若い女ふたりの骨が一緒になってこの住まいの跡から発見されました。</p>
<p>一つの住まいに一つの家族が住んでいたことがこのことから大体想像できます。</p>
<h2>狩りと魚とり</h2>
<p>この頃の人々はまだ農業や牧畜を知りませんでした。<br />
そのため獣や魚・会・木の実などをとって暮らしていました。</p>
<p>海や川のほとりでは骨でつくった釣り針やモリでいろいろな魚をとり網を使うこともありました。<br />
魚の他に、タコ・ウニなどもとっていたようです。</p>
<p>貝はいろいろな種類のものをとっていたらしく200種類以上の貝殻が貝塚から発見されています。<br />
野山では木の実をとり、鳥やウサギを捕まえ、クマ・イノシシ・シカなどの大きな獲物をとるときは大勢で出かけたようです。</p>
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<h2>衣服</h2>
<p>縄文時代の人々は詰襟の学生服のような形の上着を着てズボンのようなものを履いていたようです。</p>
<p>それも体にぴったりくっついたものであったと考えられています。<br />
これはその頃つくられた土偶という土人形から想像されます。</p>
<p>土偶に関しては未来人や大昔に地球に訪れた宇宙人だという説もあります……。</p>
<p>ただ、土偶は信仰のためにつくられたものですから、これだけでそこの頃の衣服の様子を言い当てるのは無理かもしれません。</p>
<p>動物の皮でつくったもっと簡単なものもあったと思われます。<br />
衣服の材料もはっきりしたことはわかりませんが、晩期の縄文式土器に織物の模様がついているのがあります。</p>
<p>縄文時代の終わり頃には、もう織物がつくられていたのでしょう。<br />
また土器の底に繊維を編んだものの跡がたくさん見られるので繊維の編み物も衣服に利用されていたと思われます。</p>
<h2>いろいろな習わし</h2>
<p>この頃の人々は体にいろいろな飾りをする習わしを持っていました。<br />
耳や唇に穴をあけてボタンのような飾りを差し込んだり、動物の骨、木の実などを細工して首や手足につけたりしていました。</p>
<p>貝殻に穴をあけて腕輪を作ることもありました。<br />
これらの飾りは貝殻からたくさん発見されています。</p>
<p>また人々は大人になった印や体を守る呪いとして刺青をすることもありました。<br />
土偶の顔に色を塗った部分があるのはその証拠と考えられています。<br />
この他、ある年齢になると特定の歯を抜き取る習わしもありました。</p>
<p>これも呪いの一種として行われたものでしょう。</p>
<p>死体は、手足を折り曲げて直に土の中に埋める変わった習わしもありました。<br />
これは死人の魂が体から離れないようにという気持ちから行われたものと考えられます。</p>
<p>人々は死人の魂が身体から離れると、いろいろな災いをすると信じていたようです。<br />
しかし、縄文時代の終わりごろになると次第に手足を伸ばして埋めるようになってきました。</p>
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<h2>部落の暮らし</h2>
<p>たてあな（竪穴）式の住まいが幾つか集まって部落が作られました。<br />
縄文時代の初め頃にはその数はまだ少なく、5、6戸くらいでしたが中頃からは十数戸の部落もつくられました。</p>
<p>部落の真ん中には広場がつくられました。</p>
<p>人々はこの広場で共同で仕事をしたりお祭りをしたのでしょう。<br />
女の人は家の周りで木の実を拾ったり、土器をつくったりしていました。</p>
<p>男の人は遠くの方へ獲物を獲りに出かけました。<br />
それも大きな獲物を獲るときには部落の人々が何人か共同で出かけたことでしょう。</p>
<p>共同で出かけたほうが危険も少なく仕事も楽になるからです。</p>
<p>そして獲物も公平にわけられ豊の人と貧しい人との違いもほとんどなかったというのが定説です。</p>
<p>また、人々の上に立って治めるような人も治められるような人もいませんでした。<br />
小さな部落の中で、お互いに助け合いながら、ほとんど差のない暮らしをしていたことと思われます。</p>
<h2>信仰</h2>
<p>この頃の人々は太陽や月、雨や風、山や川など人々の生活に恵をもたらす自然を敬いました。<br />
同時にときには大きな破壊力を持つ自然の力を大変恐れました。</p>
<p>そして恵をより多く受けて、自分たちの生活が一層豊かになるように祈りました。<br />
土偶という土で作った人形はその祈りの目当てとして作られたもののようです。</p>
<p>この土偶は縄文時代の初めから見られますが盛んに作られるようになったのは中頃から終わり頃に掛けてで女の人をかたどったものがたくさん見つかっています。</p>
<p>人々は狩りの獲物がたくさん獲られるように、木の実などが豊かに実るように、災いがおきないように<br />
また丈夫な子供がたくさん生まれるように、この土偶にお願いし祈りを込めたのでしょう。</p>
<p>また土偶の他にも土面・土版といわれるものが盛んに作られました。<br />
いずれも粘土を焼いて作ったもので図案化した目や口などを表しています。</p>
<p>これも土偶と同じように一種のお守りのようなものとして使われていたようです。<br />
この他、石ぼうという棒のような形をした石器も発見されています。</p>
<p>日あたりのよい丘の上などで、大きな石を建てたり、並べたりした移籍（環状列石）も残っています。<br />
しかし、これらはどんな目的で使われたのか今のところまだ、はっきりわかっていません。</p>
<p>日本の歴史は奥が深いですね。</p>
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		<title>縄文時代の石器とは？　生活必需品のひとつとして大事な道具！</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/668</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jan 2014 23:37:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[原始時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[縄文時代]]></category>
		<category><![CDATA[石器]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は縄文時代の石器について紹介します。日本の歴史は石器にありです。 縄文時代の人々は金属を利用する方法をまだ知りませんでした。 そのためこの頃の人々は生活に必要な道具を石や動物の骨、貝殻、木などでつくりました。 中でも [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は縄文時代の石器について紹介します。日本の歴史は石器にありです。</p>
<p>縄文時代の人々は金属を利用する方法をまだ知りませんでした。<br />
そのためこの頃の人々は生活に必要な道具を石や動物の骨、貝殻、木などでつくりました。</p>
<p>中でも一番大事な道具は石器でした。いろいろな道具が石で上手につくられました。</p>
<p>特に、この時代には無土器時代のように、ただ石を打ちかいて作ったものではなく磨きをかけて鋭くしたものが現れました。</p>
<p>それも、時代が経つにつれて段々と立派なものがつくられるようになりました。</p>
<p>石器の種類はいろいろありますが主なものは矢じり・槍・斧などです。</p>
<p>矢じりは鳥や獣をとらえるときに使う最も大事な道具でした。<br />
大きな木を切り倒したり、土を掘ったりするときに使う斧も大切な道具でした。</p>
<p>その他、木の実を打ち砕くときに使うすり石や皿穴を開ける時に使うきり、獣の皮を剥ぐ時に使う皮はぎなどがありました。</p>
<p>また、石器とは違いますが獣の骨や角で作った釣り針や縫い針などもこの時代によく使われました。</p>
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		<item>
		<title>縄文時代とは？　貝塚や縄文式土器ってなんなの？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/667</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jan 2014 21:26:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[原始時代]]></category>
		<category><![CDATA[土器]]></category>
		<category><![CDATA[縄文時代]]></category>
		<category><![CDATA[貝塚]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は縄文時代の頃の日本の歴史を簡単に紹介します。 縄文時代は今からおよそ8，9千年前に始まり、二千年ほど前まで数千年間続きます。 縄文土器と呼ばれる土器が盛んにつくられたのがこの時代です。 この時代の様子は掘り出された [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は縄文時代の頃の日本の歴史を簡単に紹介します。</p>
<p>縄文時代は今からおよそ8，9千年前に始まり、二千年ほど前まで数千年間続きます。<br />
縄文土器と呼ばれる土器が盛んにつくられたのがこの時代です。</p>
<p>この時代の様子は掘り出された土器や石器などから、わりあい詳しく知ることができます。<br />
しかし、前の無土器時代からどのようにして縄文時代へうつりかわっていたか今のところはっきりわかりません。</p>
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<div class="m30-b"></div>
<h2>貝塚</h2>
<p>海岸からそんなに遠くない丘の上などに白くなった貝殻が一面に散らばっているのを見かけることがあります。</p>
<p>これは、縄文時代の人々が食べた貝殻を捨て、それが積もって出来たもので貝塚と呼ばれています。<br />
つまり貝塚は大昔の人々のごみ捨て場であったのです。</p>
<p>この貝塚を掘ってみるとたくさんの貝殻に混じっていらなくなった土器や石器、鳥や獣の骨などが発見されます。</p>
<p>人間の骨や住まいの跡が見つけ出されることもあります。<br />
また貝塚のあるところ貝の採れる海や湖に近かったはずですから貝塚の分布を調べると、その時代の地形なども大体を知ることができます。</p>
<p>このように貝塚はゴミ捨て場ではありますが、この時代の様子を知る大切な手掛かりになるものです。</p>
<p>貝塚はことに太平洋の沿岸地方に多く、中でも東北地方の松島湾・石巻湾、関東地方の東京湾、中部地方の渥美湾などのほか、中国地方では児島湖付近にもたくさんあります。</p>
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<div class="m30-b"></div>
<h2>縄文式土器</h2>
<p>貝塚から発見された土器を綺麗に洗って表面を見ると色々な文様があることに気づきます。<br />
しかもその模様は大抵、縄模様になっています。</p>
<p>この時代の土器が、縄文式土器と呼ばれるのはこのためです。</p>
<p>縄文式土器がどのようにして発明されたかについては色々な考えがだされています。<br />
粘土の上のたき火の跡が固くなったことから大昔の人が土器を発明したという学者もいます。</p>
<p>また、水が漏らないように植物で編んだかごの内側に粘土を塗っていました。</p>
<p>ところが、その入れ物が何かの拍子に、たまたま焼けたとき、植物の部分は燃えてしまって、後に固くなった粘土の表面にかどの模様が残っていました。</p>
<p>これが土器の発明のヒントになったと考える学者もいます。</p>
<p>いずれにしても土器の発明は、その頃の人々の生活をより便利に、またより豊かにし色々な面に大きな影響を与えました。食べ物を煮て食べるようになったのも土器が発明されてからのことです。</p>
<p>ところで、縄文土器が初めて作られたのは、いつ頃のことでしょうか？</p>
<p>これまでは、最も古い土器で6，7千年前のものと言われていましたが近頃では約9千年前のもであると考えれるようになりました。<br />
学者の中には縄文土器こそ世界でも最も古い土器と考える学者もいます。</p>
<p>縄文式土器はつくられた年代によって早期・前期・中期・後期・晩期の5つに大きくわけられています。<br />
一番古い早期の土器は、たいてい底が尖っているか、あるいは丸みを帯びていて平らなところに置くには不便です。</p>
<p>けれどもこの頃の土器は大部分が、ものを煮炊きするのに使われたらしく火の回りのよい点などから底が平らではない方がかえって都合がよかったのかもしれません。</p>
<p>次の前期の頃になると底の形は次第に平らなものに変わってきて地面にそのまま置くのに便利になりました。</p>
<p>ものを煮炊きするほかに、ものを蓄えるのにも使われるようになったのでしょう。<br />
さらに時代が経つにしたがって、かめ・浅鉢・深鉢・壺・皿・土瓶など、それぞれの使い道にあったものが作られるようになりました。</p>
<p>模様もただ縄模様だけではなく、竹のへらで模様を付けたり、貝殻を押し付けたり、つめがたを押したりしたものが段々でてきました。</p>
<p>こうして、日本独特の模様をもった縄文式土器が生まれたのです。<br />
お皿や壺を作るにしても模様を入れてみようという発想が当時からあったことにどこか嬉しさを感じますね。</p>
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<div class="m30-b"></div>
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]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>原始時代のあらまし！ 無土器時代・縄文時代・縄文時代・弥生時代とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/662</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[2]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 09 Jan 2014 23:27:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[原始時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[あらまし]]></category>
		<category><![CDATA[無土器時代]]></category>
		<category><![CDATA[縄文時代]]></category>
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					<description><![CDATA[無土器時代とは？　縄文時代とは？　縄文時代とは？　弥生時代とは？ ここでは簡単なあらましを紹介します。 無土器時代とは？ 日本列島に、人間が住みつくようになったのは今から1万年以上も前のことではないかと言われています。  [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>無土器時代とは？　縄文時代とは？　縄文時代とは？　弥生時代とは？<br />
ここでは簡単なあらましを紹介します。</p>
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<h2>無土器時代とは？</h2>
<p>日本列島に、人間が住みつくようになったのは今から1万年以上も前のことではないかと言われています。</p>
<p>それまでの日本列島は、ある時は海の底に沈んだり、ある時には大陸と陸続きになるといったように土地の様子がさまざまに変化してきました。</p>
<p>日本列島がほぼ今のような形になったのは、長い地球の歴史からみるとわりと最近のことです。</p>
<p>ところで、1万年以上も前に日本に住み着いたと言われる人々はどんな暮らしをしていたのでしょう。<br />
今のところまだハッキリとしたことはわかっていませんが道具といっては、かんたんな石器があるくらいでした。<br />
土器をつくることも知りませんでしたし、自然の恵みも豊かではなかったようです。<br />
かなり苦しい生活をしていたのではと想像します。</p>
<p>この時代のことを土器がなかった時代という意味で　「無土器時代」　と呼ばれています。</p>
<h2>縄文時代とは？</h2>
<p>8，9千年前になると、縄文式土器がつくられるようになりました。<br />
縄目の模様を付けたこの優れた土器は　「ジョウモン」　の名で世界にも知られています。<br />
縄文式土器の名をとってこの時代のことを縄文時代と言います。</p>
<p>縄文時代は数千年の間続きました。</p>
<p>長い年月の間には道具の作り方や暮らしの仕方にも少しずつの進歩はありました。<br />
ですが、その進歩は非常に遅く大体が狩りや魚とりが人々の生活の中心になっていました。</p>
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<div class="m30-b"></div>
<h2>弥生時代とは</h2>
<p>2000年ほど前になると弥生式土器と呼ばれる新しい土器がつくられるようになりました。<br />
また、イネのつくりかたや金属の道具が伝えられ人々の生活や社会の姿は大きく変化しました。</p>
<p>この時代を弥生時代と言います。</p>
<p>人々は台地の上から次第に平地に住まいを移し、農業に励むようになりました。<br />
前は山や海にあるものをとって食料にしていたのですがこの後は自分たちの食料は自分たちでつくるようになっていったのです。</p>
<p>そして、食料の蓄えが多くなると共に人々の暮らしは次第に豊かになっていきました。<br />
道具にも工夫を凝らし、物々交換も盛んになりました。</p>
<p>しかし、なんといっても大きな変化は人々が村をつくって共同生活をするようになったことです。</p>
<p>さらに、同じ村の中でも上に立って指図をする人と、その指図を受け、下で働く人々の区別がはっきりしてきたことも大きな変化でした。</p>
<p>やがて、あちこちの村は次第にまとめられて国と呼ばれるほどに大きくなっていきました。<br />
「前漢書」という中国の古い歴史書には、紀元前一世紀ごろ日本には100以上の小さな国が出来ていたと書かれています。</p>
<p>その国もさらに大きくまとめられていきました。</p>
<p>「魏志倭人伝」という中国の古い歴史書には紀元前三世紀半ばごろ日本では大きな勢力をもっていたヤマタイ（ヤマトのこと）国のことが出てきます。</p>
<p>この邪馬台国も小さな国々がまとまって大きくなったものと考えられています。<br />
そして、国々の頭は度々中国や朝鮮に使いを送り進んだ文化を取り入れていたようです。</p>
<p>こうして、日本では狩りと魚とり中心の生活から農業中心の生活へ。</p>
<p>また社会が国として広い地域ごとに決まりをもってまとまる時代へと数千年の間に移り変わったのです。<br />
科学技術の発展がほとんどないものの現代の生活のかたちが出来上がったのがこの時代です。</p>
<p>自給自足の無人島生活ができる方ならこの時代で生きれるかも？　日本の歴史のはじまりです。</p>
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