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	<title>蒋介石 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>蒋介石 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>戦後の生活とは？　共産主義と占領政策とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/948</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:51:08 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[今回は戦後の生活について、日本の歴史を紹介します。 苦しい生活 戦争に負けて、日本の領土は本州・四国・九州・北海道と近くの島々だけになりました。 明治のはじめごろとほぼ同じくらいの広さです。 このせまい国土に約8000万 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は戦後の生活について、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>苦しい生活</h2>
<p>戦争に負けて、日本の領土は本州・四国・九州・北海道と近くの島々だけになりました。<br />
明治のはじめごろとほぼ同じくらいの広さです。</p>
<p>このせまい国土に約8000万の国民が住むことになったのです。<br />
戦争のために壊された、たくさんの家もおいおい復興していきました。</p>
<p>しかし、戦争の終わり頃から不足していた食料事情は、ますます悪くなって、しばらくは毎日の食べ物に困る国民が田舎へ食料の買い出しに出かける風景が続ききました。</p>
<p>また、食料だけでなく衣服のほかの日用品のなにからなにまで不足して国民の暮らしは本当に息苦しいようでした。</p>
<p>しかし、とにかく戦争は終わっているのですから国民は未来に明るい希望を抱いて一生懸命働きました。<br />
アメリカも、ときどき日本の経済を助けました。</p>
<p>ところが、なによりも困ったことは物資が乏しいだけに、物の値段がどんどん上がってお金の値打ちが下がってきたことです。</p>
<p>こういうことをインフレーション、略してインフレといいます。<br />
そして、国民の生活はインフレによって一層苦しくなりました。</p>
<h2>共産主義と占領政策</h2>
<p>激しいインフレになると当然労働運動やストライキが盛んに行われるようになりました。</p>
<p>1947年(昭和22年)2月1目全国の労働者が一斉にストライキをすることになったとき、その直前、総司令部はこれを禁止しました。</p>
<p>そのころ、日本の共産主義者の活躍は目覚しく労働者を力強く指導し国会議員としても進出しました。</p>
<p>共産主義国の勢力は、世界でもアメリカを中心とする自由主義国の勢力に対立するほどのものとなっていました。</p>
<p>中国では、蒋介石の国民政府に対抗し朝鮮にも共産主義が入り込んできたりしたので総司令部は、日本の共産主義に対して警戒しはじめたのです。</p>
<p>そして、同時に共産主義に結びつきやすい労働運動をも厳しい態度で見るようになりました。</p>
<p>実際に中国では、1949年(昭和24年)人民解放軍が国民政府を台湾に追いやって大陸に毛沢東を頭とする<br />
中華人民共和国を成立させました。</p>
<p>また朝鮮でも北部に1948年(昭和23年)朝鮮民主主義人民共和国ができ金日成が首相に選ばれました。</p>
<p>こうして共産主義の全国が日本列島にごく接近するとアメリカは、日本を自分のほうにひきつけようと<br />
とくに努力しだしました。</p>
<p>そして、日本の経済の復興のために、いろいろ面倒をみるようになりました。</p>
<p>国民の暮らしにだんだん生気が蘇ってきたころ総司令部は、日本の共産党に、なにかと辛く当たるようになり1949年(昭和24年)第三次吉田内閣のころにはとりわけ、それが際立ってきました。</p>
<p>そして、インフレを抑えるための経済政策に基づいて官公庁労働者の大規模な首きりが行われるようになると下山事件・三鷹事件・松川事件という奇妙な事件があいついで起こりました。</p>
<p>ところが、これらの事件がいかにも国鉄労働組合や共産党員が起したかのように宣伝されて次第に労働運動は抑えられていきました。</p>
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		<title>日華事変とは？ 盧溝橋事件とは？ 国家総動員法とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/939</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:02:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[国家総動員法]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。 盧溝橋事件 満州事変がおこってから1年半経って満州での戦いは、ほぼ完全に終わりを告げました。 しかし、日本軍は満州国の国境を守るという理由で国境を越 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>盧溝橋事件</h2>
<p>満州事変がおこってから1年半経って満州での戦いは、ほぼ完全に終わりを告げました。<br />
しかし、日本軍は満州国の国境を守るという理由で国境を越えて中国本土へ進んでゆきました。</p>
<p>1937年(昭和21年)7月7日北京の近くの盧溝橋というところで日本軍と中国軍とが争いをおこし、とうとう日本と中国との戦争がはじまりました。</p>
<p>これが日華事変といわれるものですが名前は事変でも、実際には戦争でした。<br />
中国の中心でおこったこの戦争は満州事変とは、全く違ったものになりました。</p>
<p>なぜなら中国が非常に強い反抗をしたからです。<br />
戦場は中国の北部から中央部へと、だんだん広がっていきました。</p>
<p>日本軍は各地の戦いで中国軍を破っていきました。<br />
しかし、なにしろ広い中国大陸です。</p>
<p>ところどころの戦いに勝手も戦争はいつ終わるのか見当がつきません。</p>
<p>中国側の激しい反攻の影には日本の無茶なやり方に憤りを感じて、あくまで戦いぬこうとする中国国民と<br />
中国共産党との強い力がはたらいていたのです。</p>
<p>そのころの中国は蒋介石の率いる国民政府が納めていましたが、国民政府のやり方に反対する中国共産党は毛沢東を中心に、日に日に強い力をたくわえていました。</p>
<p>共産党と国民政府とは互いに反対の立場に立ちながら日本軍に対抗するというてんでは1つになって、ますます激しく反攻したのです。</p>
<h2>国家総動員法</h2>
<p>戦いがはじまると軍部と政府(近衛文麿内閣)は国内の組織を全て戦争のために作り替えようとしました。<br />
1938年4月に出された国家総動員法がそれです。</p>
<p>これは政府が自由に国の経済活動や国民生活を支配できる法律です。<br />
政治はまず、戦争に反対するものを片っ端から捕らえて、監獄に放り込みました。</p>
<p>労働者や農民の運動も抑えられ後には、労働組合や農民組合は解散させられました。<br />
組合があっては、戦争を続けていくのに邪魔になるからです。</p>
<p>また政党も解散させられました。<br />
議会はありましたが政党のない議会はもはや議会ということはできません。</p>
<p>大学での学問も戦争に九反対するものは言うまでもなく批判的なものも許されなくなりました。<br />
国の経済も全て、戦争のために作り替えられてきました。</p>
<p>戦争でたくさんの兵器を使うので、軍需工場は盛んに活動しました。</p>
<p>物をつくるのに必要な原料や機械などが軍需工場にばかりまわされて、軍需工場でないところへは行き渡らなくなりました。</p>
<p>そのために、国民が日常の生活に必要とする品物の生産は次第に減っていきました。<br />
米も、砂糖も、衣料品も次第に店先から姿を消していきました。</p>
<p>軍需工場が発展したおかげで労働者の収入は少し増えましたが生活に必要な品物が少ないために、なかなか買えなくなりました。</p>
<p>また品物があっても、それは質が悪く値段が驚くほど高くなっていました。<br />
戦争のために、金儲けが出来たりは軍需工場を持っていた一部の資本家だけでした。</p>
<p>国民の大部分は、戦争とともに、ますます苦しい生活をしなければならなくなったのです。</p>
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