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	<title>議会政治 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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	<title>議会政治 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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		<title>政党政治とは？　社会主義運動と治安維持法とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/928</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 11 Oct 2014 06:45:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は政党政治について、日本の歴史を紹介します。 政党政治 議会政治は政党が中心となって進めていくのが本当の姿です。 ところが日本では1890年から議会政治が始まったとはいうものの政党政治は、ほとんど行われていませんでし [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は政党政治について、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>政党政治</h2>
<p>議会政治は政党が中心となって進めていくのが本当の姿です。</p>
<p>ところが日本では1890年から議会政治が始まったとはいうものの政党政治は、ほとんど行われていませんでした。</p>
<p>政治の中心は元老にあり総理大臣を決めたり内閣を作り替えたりするのも元老でした。</p>
<h2>政党内閣と普通選挙</h2>
<p>ところが、世界大戦をさかいとして民主主義の思想は正しい議会政治の考え方が政治家の間にも、また国民の間にも広まっていくと政党内閣の現れるのを臨む声が次第に高まってきました。</p>
<p>このような世論を反対して米騒動で寺内内閣が倒れると1918年(大正7年)9月には政友会の総裁、原敬が総理大臣になりました。</p>
<p>原内閣では陸軍・海軍・外務の三大臣の他はみな政友会の代議士が大臣上なり、ここに本格的な政党内閣が生まれました。</p>
<p>これがきっかけになって日本にもようやく正しい議会政治の時代がきたように思われました。</p>
<p>そして1924年(大正22年)には憲政会の総裁、加藤高明が総理大臣となって内閣をつくり翌年いよいよ普通選挙を行うことが決められたのです。</p>
<p>これでようやく、一般の成人男子は選挙権を持つことができたわけで、これは明らかに世論の勝利といえます。</p>
<p>しかしこのような政党内閣が本当に国民の声を代表していたかというと決してそうではありませんでした。</p>
<p>口では国民のために政治をすると言いながら影では、財閥やそのほか一部の金持ちとあるいは、昔の長州藩(山口県)、薩摩藩(鹿児島県)などから出た実力ある人々と手を握っておりました。</p>
<p>ですから、政党政治しはいっても、その政治は、一部の限られた人々の利益のために動きがちだったのです。</p>
<p>そして、お互いにわいろをやり取りしたり、また汚職事件などが、盛んにおこりました。<br />
待ちに待った政党治が、このような姿であるのを見た国民はすっかり失望してしまいました。</p>
<p>そして、政治や政治家を信用しなくなった人々も次第に多くなりました。<br />
国民が政党政治に希望をもたなくなったときほど危険なことはあリません。</p>
<p>それはやがて独裁政治への道な開くことになったのです。</p>
<h2>社会主義運動と治安維持法</h2>
<p>世界大戦の後の不景気によって国民の生活は非常に苦しくなりました。</p>
<p>そのため、この暗い社会をなんとか住みよい社会にするためには、社会の仕組みを変えるよりほかはないと考える人々が多くなりました。</p>
<p>社会主義の考え方もこうした動きの中で次第に強まっていきました。</p>
<p>またロシア革命の成功に刺激されて共産主義者も活動をはじめました。<br />
1922年(大正11年)7月には秘密のうちに日本共産党がつくられました。</p>
<p>政治家たちは、世の中のこうした動きを見てたいへん恐れるようになりました。</p>
<p>しかし彼らは、なぜ人々がこのような運動をおこすのかその根本原因については考えようとしないでたた力ずくで、社会主義者や共産主義者たちを取り締まろうとしたのです。</p>
<p>加藤高明内閣が5年に、普選の法律といっしょに治安維持法をつくったのも、これらの社会主義者道や共産主義者を抑え付けるためのものでした。</p>
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		<title>議会政治と政党とは？ 初めての政党内閣とは？ 政友会と憲政本党とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/884</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 15 Jul 2014 13:38:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[明治時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[政友会]]></category>
		<category><![CDATA[議会政治]]></category>
		<category><![CDATA[元老]]></category>
		<category><![CDATA[憲政本党]]></category>
		<category><![CDATA[重臣]]></category>
		<category><![CDATA[星享]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は議会政治と政党について、日本の歴史を紹介します。 初めての政党内閣 議会政治の初め頃は、政府と議会は互いに敵味方となって真っ向から争いました。 しかし、政党の力が次第に強くなり政府もこの力を認めてきました。 そこで [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は議会政治と政党について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
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<h2>初めての政党内閣</h2>
<p>議会政治の初め頃は、政府と議会は互いに敵味方となって真っ向から争いました。<br />
しかし、政党の力が次第に強くなり政府もこの力を認めてきました。</p>
<p>そこで政党は、内部の仕組みを固めることにカを入れました。<br />
1898年(明治31年) には自由党と改進党が名を改めた進歩党と一緒になって憲政党をつくりました。</p>
<p>これは政党が力を合わせて、その力を大きくするためでありました。<br />
そして、同じ年の六月には、この憲政党が初めて政党内閣をつくりました。</p>
<p>進歩党の大隈重信が総理大臣となり自由党の板垣退助が内務大臣となりました。<br />
陸軍大臣と海軍大臣のほかは、みな憲政党員でしたから、まず政党内閣ということが出来ます。</p>
<p>ところが、この内閣はもとの自由党と改進党の人々の間に争いがおこって、まもなく潰れてしまいました。</p>
<p>同時に憲政党ももとの自由党と進歩党にわかれてしまいました。<br />
このとき自由党の側に立ってカをふるったのは星享でした。</p>
<p>星は、江戸の職人の子に生まれました。<br />
彼は優れた才能を持ち自由党に入って、たちまち党の中でも重い地位につきました。</p>
<p>傲慢なところもあるので何でも押し通すというところから「おしとおる」というあだ名がついたほどです。</p>
<h2>政友会と憲政本党</h2>
<p>伊藤博史は藩閥の政治家として、いちばん力がありました。<br />
しかし、伊藤は明治憲法をつくる仕事をしただけあって議会政治のことをよく知っていました。</p>
<p>彼は、議会の政治には政党が必要だということを、だんだん、悟るようになりました。<br />
そこで伊藤は、自分で政党をつくることを思い立ちました。</p>
<p>政党を好まない山県有朋などは激しくこれに反対しましたが伊藤は、その望みを遂げました。</p>
<p>1900年(明治33年)伊藤はもとり自由党の人々や官吏などを集めて立憲友会という政党をつくり自らその総裁になりました。</p>
<p>藩閥政治家の伊藤が政党をつくったことは世間の人々を驚かせました。<br />
同年10月、伊藤はつくったばかりの政友会を率いて、4度目の内閣を組織しました。</p>
<p>星享はこのとき逓信大臣となりました。<br />
自由党に反対した、もとの進歩党の人々は憲政本党をつくりました。</p>
<p>憲政本党は、その後に憲政会・民政党と名前を変えましたが政友会と並んで、二大政党として昭和時代の初め頃まで続き日本の政党政治の上に大きな働きをしました。</p>
<h2>元老と重臣</h2>
<p>政友会ができると、政党の力はいちだんと強くなりましたが、まだ本党の政党政治とはなりませんでした。</p>
<p>やはり藩閥の勢力が政治を動かしていました。<br />
政友会をつくった伊藤博文も政党を好まない山県も政治の上に大きな力を持っていました。</p>
<p>総理大臣を決めるのにも強い力を持っていたのです。</p>
<p>彼らを元老と呼び、多くはもと総理大臣などの重要な職についていたのが、年をとったために第一線を退いた人々でした。</p>
<p>最後に元老となった西園寺公望が1940年(昭和15年)に死ぬまで元老は政治の上に大きな力をふるいました。</p>
<p>また、昭和の初め頃から元老と同じような性格で重臣と呼ばれる人々が、やはり政治の上に強い発言権を持つようになりました。</p>
<p>このような元老や重臣を除いて本当に政党政治らしいものが生まれたのは、太平洋戦争以後のことです。</p>
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		<title>大日本帝国憲法とは？　議会政治の初まりや選挙の権利とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/880</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 15 Jul 2014 09:57:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[明治時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[議会政治]]></category>
		<category><![CDATA[大日本帝国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[明治憲法]]></category>
		<category><![CDATA[選挙]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は大日本帝国憲法とは？ 議会政治の初まりについて、日本の歴史を紹介します。 憲法発布 1889年(明治22年)2月11目いよいよ憲法が発布されました。 新しく出来た皇居の広い部屋で憲法の発布式が行われ天皇から内閣総理 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は大日本帝国憲法とは？<br />
議会政治の初まりについて、日本の歴史を紹介します。</p>
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<h2>憲法発布</h2>
<p>1889年(明治22年)2月11目いよいよ憲法が発布されました。</p>
<p>新しく出来た皇居の広い部屋で憲法の発布式が行われ天皇から内閣総理大臣黒田清隆に憲法があたえられました。</p>
<p>これが大日本帝国憲法で今日では明治憲法とも呼んでいます。<br />
このとき、はじめて国民は憲法の内容を知りました。</p>
<p>憲法発布の前から東京をはじめ各地で憲法がでるとは、めでたいことだとお祭りさわぎが演じられました。</p>
<p>その中で、あるドイツの学者は日記の中に「どういう憲法ができるかまだわからないのに喜ぶとは、おかしなことだ」と書きました。</p>
<p>中江兆民も、「我々に授けられた憲法がどんなものか、これから、その内容を伺うというのにもう大さわぎするとは愚かなことだ」と嘆きました。</p>
<h2>明治憲法の特色</h2>
<p>西洋の憲法には、いろいろの種類があります。<br />
国王の定めたものや憲法を決める会議を開いたうえで定めたものがあります。</p>
<p>明治憲法は、天皇治が定めて国民に授けるという形をとりました。<br />
これが明治憲法の特色の一つです。</p>
<p>明治憲法は7つの章にわかれ、76条からなっています。<br />
第一章で天皇について次のように書かれてあります。</p>
<p>大日本帝国は、代々の天皇が治め、この天皇は神のように厳かなもので国民は天皇についてとやかくいうことは許されないというのです。</p>
<p>したがって天皇の力はたいへん大きく政治・裁判・外交などを指図し軍隊も天皇が率いることになっています。</p>
<p>議会で定めた法律も、天皇の許しによって世に出されることになりました。<br />
このように、明治憲法では天皇の力が強く、大きく決められました。</p>
<p>ですから民主主義の憲法とは言えず今日の日本国憲法とは<br />
その仕組みが、たいへん違っています。</p>
<h2>議会政治とは？</h2>
<p>明治憲法では国会のことを議会と呼び議会は貴族院と衆議院の28にわかれていました。<br />
貴族院の議員は250名で皇族や華族のほか特別に天皇から命じられた人がなりました。</p>
<p>衆議院の議員は300人で国民が選挙して決めるものでした。<br />
このように、国民が選んだ議員によって開かれる議会をもつ政治を議会政治といいます。</p>
<p>議会政治は、国民の考えを最もよく政治の上に現します。<br />
議会の力が強い仕組みになれば民主主義に沿った政治となります。</p>
<p>ところが、明治憲法では政府の力を強くして、なるべく議会の力を弱くするようにつくられています。<br />
しかし、議会が開かれたことは封建会の政治と比べると大きな進歩でありました。</p>
<p>ですから、日本の歴史は議会が開かれたことによって新しい時代を迎えることになったといえます。<br />
議会は法律を定め、また政府の政治について調べる権限をもっています。</p>
<p>イギリスで、国王の力を抑えるために議会がつくられたのが世界の議会政治の初まりだと言われています。</p>
<p>議会には、上院(明治憲法では貴族院、日本国憲法では参議院がこれにあたる)と下院(明治憲法・日本国憲法ともに衆議院がこれにあたる)のニつからなる二院制と議会からなる一院制とがあります。</p>
<p>二院制のほうが、上手く政治が行われるので今日、世界の国々の議会はほとんど二院制をとっています。</p>
<h2>選挙の権利</h2>
<p>議員を選ぶことは、国民の大切な権利です。<br />
この権利が大きく、また広くなればなるほど政治は民主化されてくるのです。</p>
<p>明治憲法が発布されたときには国へ15円以上の税金を納めている25才以上の男子に選挙権を与えると決められました。</p>
<p>また、議員に立候補できるのは、やはり、国へ15円以上の税金を納める30才以上の男子に限られました。</p>
<p>このように、選挙したり選挙されたりすることができる資格を税金などで制限する選挙を制限選挙と言います。</p>
<p>これでほ、政治に参加する国民の数がたいへん少なくなります。<br />
また、選挙は男子だけで女子を加えないことも男女を区別することになり民主的ではありません。</p>
<p>そこで、全ての国民が政治に加わるようにする普通選挙にすすむ運動がおこるようになりました。</p>
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