﻿<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>軍国主義 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
	<atom:link href="https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/tag/%E8%BB%8D%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://wakariyasuku-rekishi.com</link>
	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
	<lastBuildDate>Fri, 24 May 2019 14:04:04 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.8.3</generator>

<image>
	<url>https://wakariyasuku-rekishi.com/wp-content/uploads/2018/07/cropped-rekishi-favi-32x32.png</url>
	<title>軍国主義 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
	<link>https://wakariyasuku-rekishi.com</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
<atom:link rel="hub" href="https://pubsubhubbub.appspot.com"/><atom:link rel="hub" href="https://pubsubhubbub.superfeedr.com"/><atom:link rel="hub" href="https://websubhub.com/hub"/><site xmlns="com-wordpress:feed-additions:1">148332681</site>	<item>
		<title>民主化へのあゆみとは？　戦後の政治改革とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/946</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:42:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[労働組合]]></category>
		<category><![CDATA[ポツダム宣言]]></category>
		<category><![CDATA[学校教育]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[軍国主義]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[財閥解体]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[治安警察法]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[ストライキ]]></category>
		<category><![CDATA[独占禁止法]]></category>
		<category><![CDATA[デモ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/946</guid>

					<description><![CDATA[今回は民主化へのあゆみについて、日本の歴史を紹介します。 民主化へのあゆみ 占領軍は、軍国主義とそれに結びついていたものを追放しながら一方では、民主主義のための改革を促していきました。 1945年(昭和20年)10月総司 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は民主化へのあゆみについて、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
<p><script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><!-- 日本の歴史WPー上改 --><ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="3914141462"
     data-ad-format="rectangle"
     data-full-width-responsive="true"></ins><br />
<script>
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script></p>
<h2>民主化へのあゆみ</h2>
<p>占領軍は、軍国主義とそれに結びついていたものを追放しながら一方では、民主主義のための改革を促していきました。</p>
<p>1945年(昭和20年)10月総司令部は、ポツダム宣言にそって憲法を改正するように指示しました。</p>
<p>そして基本的人権をしっかり守る社会とするために婦人を解放すること労働組合をつくることをすすめることと学校教育を自由主義で行うようにすること民衆の生活を脅かしてきたような制度を廃止すること日本の経済を民主化することなどを幣原内閣に指示したのです。</p>
<p>これに従って日本は新しい国づくりをはじめることになりました。</p>
<h2>経済の改革</h2>
<p>改革は、まず経済の面からはじめられました。</p>
<p>これまで日本の経済は財閥といわれる特定の大資本家が日本の産業の資本を独り占めしているというかたよった姿でした。</p>
<p>これは民主主義_に背くばかりでなく軍国主義の重要な原因ともなりました。<br />
そこで、このような資本家が持っている、たくさんの株を整理させ資本を独占させないようにしました。<br />
これが財閥解体（1945年)と独占禁止法（1947年)です。</p>
<p>しかし、それは、徹底的に行われなかったのでその後、資本と生産の集中は再びすすんでいきました。</p>
<p>つぎに、これまで日本の農村では地主が広大な農地を持っていて、高い小作料で小作人を働かせてきました。</p>
<p>しかも全然その家の人が農業に関係しないでいて小作人にばかり作業をさせているという大地主も多くいました。</p>
<p>それに反し、多くの小作人の暮らしはみじめでした。</p>
<p>これでは、社会の民主化を妨げるのは当然なので総司令部は、農地改革を促しました。</p>
<p>つまり、大地主の持っている農地を解放して小作人にあてがい、たくさんの自作農ができるようにしたのです。</p>
<p>そして、はたらく農民の地位を安定させようとしました。<br />
1945年に第一次、1946年に第二次の農地改革法が成立しました。</p>
<h2>政治の改革</h2>
<p>政治の上の改革では、まず「治安維持法」「治安警察法」など言論・思想・結社に関する取り締まりの法律が、廃止されました。</p>
<p>そして、軍部の力によって潰された政党が復活し自由党・進歩党・日本祉会党が成立したほかに日本共産党が、はじめて大っぴらに登場してきました。</p>
<p>また、総司令部は、働く人々の立場を守るために労働組合をつくって活動することを奨励しました。</p>
<p>労働組合法は、1920年(大正9年)以来たびたび議会で審議されてきましたが成立せず、ついに1945年(昭和20年)にできたわけです。</p>
<p>この法律によって公務員を含めた労働者は団結すること団体で要求する行動をとることが許されました。<br />
従って、デモやストライキの自由が認められるようになったわけです。</p>
<p>そこで、労働組合が各地でぞくぞくつくられ組合運動が活発に勧められるようになりました。<br />
労働者のお祭りとしてのメーデーのデモ行進も1946年から復活しました。</p>
<p>また、同じ年の5月19日には戦後の苦しい食料事情に、30万の民衆が集まって食料メーデーが開かれました。</p>
<div class="m30-b"></div>
<p><script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><!-- 日本の歴史WP下 --><ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="8503767943"
     data-ad-format="rectangle"
     data-full-width-responsive="true"></ins><br />
<script>
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script></p>
<div class="m30-b"></div>
<p><script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><br />
<ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-format="autorelaxed"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="6073045728"></ins><br />
<script>
     (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
		<post-id xmlns="com-wordpress:feed-additions:1">946</post-id>	</item>
		<item>
		<title>極東軍事裁判とは？　天皇の人間宣言とは？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/945</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2014 11:31:37 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[大正・昭和時代]]></category>
		<category><![CDATA[極東軍事裁判]]></category>
		<category><![CDATA[人間宣言]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[昭和]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[ポツダム宣言]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[軍国主義]]></category>
		<category><![CDATA[無条件降伏]]></category>
		<category><![CDATA[G・H・Q]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/945</guid>

					<description><![CDATA[今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。 連合国軍の占領 1945年(昭和20年)8月15目、日本はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏を誓いました。 八月の終わり頃、連合国軍は連合国軍最高司 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は第一次世界大戦　強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。</p>
<div class="m30-b"></div>
<p><script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><!-- 日本の歴史WPー上改 --><ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="3914141462"
     data-ad-format="rectangle"
     data-full-width-responsive="true"></ins><br />
<script>
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script></p>
<h2>連合国軍の占領</h2>
<p>1945年(昭和20年)8月15目、日本はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏を誓いました。</p>
<p>八月の終わり頃、連合国軍は連合国軍最高司令官マッカーサ元帥に率いられて日本に上陸し占領しました。</p>
<p>そして、連合国軍の総司令部すなわちG・H・Qが東京にわかれその指導のもとにポツダム宣言が実行にうつされることになったのです。</p>
<p>日本の降伏が、その年の9月2日東京湾上のミズリー号の上で正式に取り決められると総司令部は、次々と日本政府に命令を出して日本から、戦争を導いたものを追放し民主主義を実現せるための改革を要求してきました。</p>
<h2>軍隊の解体</h2>
<p>日本を大きな戦争へと導き多くの人々を不幸に陥れたものは軍国主義です。</p>
<p>軍国主義とは国家と国民生活を侵略戦争によって栄えさせるために戦争を進めていくのに都合がよいよう<br />
一切のものを整えていくという考え方です。</p>
<p>この軍国主義を日本から無くそうとすることが占領政策の第一の仕事でした。<br />
したがって、まず軍隊をなくしました。</p>
<p>軍人の武装を、どしどしとりはらわせ兵器を取り上げたのです。</p>
<h2>極東軍事裁判</h2>
<p>つぎに、占領軍は、戦争中に軍を指導したり戦争のための政治に、関係したような人々を捕らえて裁判にかけました。</p>
<p>このように軍国主義を推し進めた中心人物が裁かれた裁判を極東国際軍事裁判といいます。</p>
<p>裁判官は、アメリカ・中国・イギリス・ソビエト・オーストラリア・カナダ・ニュージーランド・オランダ・フランス・インド・フィリピンの11か国からでました。</p>
<p>2年半かけて、東条英機らの裁判が終わり7名が絞首刑になりました。</p>
<p>そのほか、占領軍は戦地にいた軍人が引き上げてくるとその上級の軍人とか、兵卒でも外地でそれぞれの土地の住民に対して乱暴をはたらいたものを、捉えて罰することにしました。</p>
<p>彼らは、戦争犯罪として軍事裁判にかけられ、それぞれ刑を言い渡されました。</p>
<p>また、軍人だけでなく政治家・官吏・実業家・学者など戦争中に軍と結んで活躍した人々21万人が公職から追放されました。</p>
<h2>天皇の人間宣言</h2>
<p>占領軍は、日本の軍国主義の頂点にあったのが天皇であることを知っていました。<br />
そこで、軍国主義をなくすため天皇をなくすかどうかが問題になりました。</p>
<p>しかし、日本の支配者たちは降伏して占領されるその日から天皇だけは守ろうと決心していました。</p>
<p>また、国民の中には、天皇は軍国主義による戦争に利用されだけであって直接の責任はなかったと考えるものがたくさんいました。</p>
<p>こういう有様の中で占領軍も一挙に天皇をなくすことをためらいました。<br />
天皇をなくすれば、日本の国内にたいへんな混乱が起こりかねないと判断したからです。</p>
<p>しかし、これまでのように天皇は生きた神(アラヒトガミ)だという考え方がまだ国民に染み付いているようでは困るので1946年(昭和21年)の元旦天皇自身によって「天皇は人間である」という宣言がくだされました。</p>
<p>これが天皇の人間宣言です。</p>
<p>そののち、天皇は人間として親しまれるようになるため各地をまわりました。<br />
戦災地の跡を訪ねたり戦争の犠牲になった家の人たちを慰めに周ったりしました。</p>
<p>そして国民も、直に人間としての天皇を見るようになったのです。</p>
<h2>治安維持法の廃止</h2>
<p>なお、これまで久しい間、国民は政治や社会のことについて自由な意見を述べることができませんでした。</p>
<p>治安維持法ができてからは、特にそうでした。</p>
<p>占領された頃の日本政府は皇族の東久邇宮が首相となった内閣でした。<br />
この内閣は、日本の自由主義化を主張していましたがこの自由から共産主義者を除いていました。</p>
<p>そこで、占領軍から治安維持法の廃止と政治犯人の釈放、憲兵や特高警察の廃止を指示されると総辞職しました。</p>
<p>治安維持法は次の幣原喜重郎内閣のときになくなって徳田球一、志賀義雄ら全国で2000人に及ぶ政治犯が許されました。</p>
<p>そして、しばらく抑え付けられていた共産党が党員の釈放に活気づき再び組織されることになったのです。</p>
<div class="m30-b"></div>
<p><script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><!-- 日本の歴史WP下 --><ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="8503767943"
     data-ad-format="rectangle"
     data-full-width-responsive="true"></ins><br />
<script>
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script></p>
<div class="m30-b"></div>
<p><script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><br />
<ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-format="autorelaxed"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="6073045728"></ins><br />
<script>
     (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
		<post-id xmlns="com-wordpress:feed-additions:1">945</post-id>	</item>
	</channel>
</rss>
