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	<title>防人 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
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	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
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		<title>奈良時代の防人とは？　防人たちが作った歌から知る！</title>
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		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 26 Jan 2014 00:46:15 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[奈良時代]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は奈良時代の防人について、日本の歴史を紹介します。 奈良の都は華やかな町でしたが、都から離れた地方は大抵、住む人も少なく文化の低い、寂しいところでした。 九州の大宰府は、九州全体を治める、大宰帥という身分の高い役人の [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は奈良時代の防人について、日本の歴史を紹介します。<br />
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奈良の都は華やかな町でしたが、都から離れた地方は大抵、住む人も少なく文化の低い、寂しいところでした。</p>
<p>九州の大宰府は、九州全体を治める、大宰帥という身分の高い役人のいるところで、天下の一都会と言われたほどです。</p>
<p>しかし、この大宰府も都から見ればひな(田舎)に過ぎませんでした。<br />
大宰府の役人として、朝廷から命じられた人は、身分を提げられたり、島流しにされたように情なく思いました。</p>
<p>大宰府を始めとして、地方へ下った役人はみんな、都を恋しがりました。<br />
九州の南の端(鹿児島県)にいたハヤトは、大化の改新までには大体、降伏していました。</p>
<p>しかし、その後もたびたび乱をおこし、720年(養老4年)には大きな乱をおこしましたが、平定されています。</p>
<p>ハヤトのいた地方は、730年(天平2年)ごろになっても、まだ班田収授法がおこなわれていませんでした。<br />
そこまで朝廷の力が及ばなかったことがわかります。</p>
<p>また、アマミ(奄美大皀一)・タネ(種子島)、ヤク(屋久島)・トカラ(宝島)など、今の南西諸島方面の島人が、貢物をもってきました。</p>
<p>しかし朝廷は、これらの土地を治めることに、あまり熱心ではありませんでした。<br />
エゾは、斉明天皇の時代に平定されてから、暫く大人しくしていました。</p>
<p>奈良時代の後半になると、エゾは、しばしば乱をおこし、朝廷を悩ませました。<br />
朝廷は関東地方や越後国(新潟県)あたりから、東北地方へ多くの農民をうつり住まわせ、開拓させたり、エゾと戦わせたりしました。</p>
<p>関東地方から遠江国(静岡県の一部)あたりまでを東国、またはあずまと呼びました。<br />
東人は関東地方の広い荒れ野を耕したり、エゾと戦ったりしました。<br />
東人の勇敢で戦の強いことは有名です。</p>
<p>東人の作った歌を東歌といい「万葉集」巻十四に載っています。<br />
次の歌は常陸国(茨城県の一部)の人が作った歌です。</p>
<p>筑波峯に雪かもふらるいなをかも<br />
かなしき子ろが布ほさるかも</p>
<p>(筑波山が白いのは雪でも降ったのでしようか。そうではありません。可愛いあの子が白い布を干しているのです。)</p>
<p>天智天皇の時代(662年～671年)に、日本は唐や新羅と戦って負けました。<br />
それ以後、北九州や壱岐・対馬(ともに長崎県の一部) などは、国を守る第一線となりました。</p>
<p>いつ、唐や新羅が攻めてくるかわかりません。</p>
<p>政府は、城を築いたり、海岸に兵士をおいて、守りを固めました。<br />
九川や壱岐・対馬を守る、これらの兵士を、防人（さきもり）といいました。</p>
<p>防人たちは、関東地方から難波(大阪)の港まで歩いてきてここから船に乗って、九州へ向かいました。<br />
防人は三年交代で、食料などは、自分もちでした。</p>
<p>そのため、1人の防人がでれば、その家は滅びるとまで言われました。<br />
父や母や妻子と別れ、長い間の兵役に就くために旅立つとき、彼らはどんなに辛かったことでしょう。</p>
<p>防人たちの歌が、有名な歌人大伴家持によって集められました。<br />
「万葉集」巻20に四八四首の防人の歌がおさめてあります。</p>
<p>からころもすそにとりつきなく子らを<br />
おきてぞ来ぬや母なしにして</p>
<p>この歌は、信濃国(長野県)の他田舎人大島という人が作った歌です。<br />
(家を出ようとすると、子どもたちが裾に取り付いて泣いた。母に早く死に別れた子どもたち、その子どもを家において、私は防人になるために家をでた。)</p>
<p>ただ1人の父にさえ別れなければならない子どもの気持ちが忍ばれます。</p>
<p>父母が頭かきなで幸くあれて<br />
いいし言葉ぜわすれかねつる</p>
<p>これは、駿河国(静岡県の一部)の丈部稲麿の歌です。</p>
<p>(父母が私の頭を撫でて、達者でいてくれよ、といった言葉こそは、忘れることができなかった。「あれて」は「あれと」、「言葉ぜ」は「言葉ぞ」の方言)</p>
<p>草枕旅の丸寝のひもたえば<br />
あが手とつけろこれの針持し</p>
<p>これは、武蔵国(東京都・埼玉県の一部) 椋橋部弟女という防人の妻が作った歌です。<br />
(旅先では、寝るときも着物を着たままでしょうから、紐が、もし切れたら、自分でこの針を持って付けてください。「針」は「まり」、「持し」は「持ち」の方言)</p>
<p>妻の夫を思う気持ちが、私たちの胸を打ちますね。<br />
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