﻿<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>駅 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
	<atom:link href="https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/tag/%E9%A7%85/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://wakariyasuku-rekishi.com</link>
	<description>日本の歴史や世界史・偉人やお城をわかりやすく解説します。</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 May 2019 17:02:08 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.8.3</generator>

<image>
	<url>https://wakariyasuku-rekishi.com/wp-content/uploads/2018/07/cropped-rekishi-favi-32x32.png</url>
	<title>駅 &#8211; 歴史をわかりやすく解説</title>
	<link>https://wakariyasuku-rekishi.com</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
<atom:link rel="hub" href="https://pubsubhubbub.appspot.com"/><atom:link rel="hub" href="https://pubsubhubbub.superfeedr.com"/><atom:link rel="hub" href="https://websubhub.com/hub"/><site xmlns="com-wordpress:feed-additions:1">148332681</site>	<item>
		<title>奈良時代の交通事情はどれくらい厳しいものだったのか？</title>
		<link>https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/708</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 26 Jan 2014 02:32:45 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[奈良時代]]></category>
		<category><![CDATA[日本の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[関所]]></category>
		<category><![CDATA[駅]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://wakariyasuku-rekishi.com/archives/708</guid>

					<description><![CDATA[今回は奈良時代の交通事情について、日本の歴史を紹介します。 奈良時代には、たいへん交通の設備が整いました。 奈良の都を中心に、日本の統一が大体でき、役人が都と地方との間を行き来したのです。 九州の大宰府や陸奥(青森県・岩 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>今回は奈良時代の交通事情について、日本の歴史を紹介します。<br />
<script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><!-- 日本の歴史WPー上改 --><ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="3914141462"
     data-ad-format="rectangle"
     data-full-width-responsive="true"></ins><br />
<script>
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script><br />
奈良時代には、たいへん交通の設備が整いました。<br />
奈良の都を中心に、日本の統一が大体でき、役人が都と地方との間を行き来したのです。</p>
<p>九州の大宰府や陸奥(青森県・岩手県・宮城県・福島県)の鎮守府(エゾ征伐のために置かれた役所)などへ<br />
度々役人やその使いがいきました。</p>
<p>全国から庸や調を都へ運んできたり、地方の人民が都で働くためにまた兵士として、大勢旅をするようになりました。</p>
<p>奈良時代の末には、地方の荘園から、都の貴族や大きな寺に年貢を運ぶ人夫もたくさん行き来したため、道も整い水上交通も盛んになりました。</p>
<h2>おもな道路</h2>
<p>全国五八か国は、都と、その付近の四畿内(大和・河内・摂津・山城)、および七道にわけられました。<br />
四畿内は、後に和泉が河内から離れて五畿内となりました。</p>
<p>七道とは、都を起点とする7つの主な道路を中心にわけられた、東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の区域です。</p>
<p>このことから、全国を五畿七道という呼び方が生まれたわけです。</p>
<p>七道は地区の名前であるとともに、その地区を貫いている主な道路の名前でもありました。<br />
東海道は伊賀・伊勢(ともに三重県)から東へ太平洋にそって常陸(茨城県)までの国々です。</p>
<p>東山道は近江(滋賀県)から東へ日本の中央部に沿って陸奥(青森県・岩手県・宮城県・福島県)、出羽(山形県・秋田県)までの国々です。</p>
<p>山陰道は丹波(京都府・兵庫県)から但馬(兵庫県)をへて、石見(島根県)までの国々です。<br />
山陽道は播磨(兵庫県)から西へ、本州西端の長門(山口県)までの国々です。</p>
<p>北陸道は、若狭(福井県)から東へ、越後・佐渡(ともに新潟県)にいたる国々です。<br />
南海道は紀伊(和歌山県・三重県)、淡路と四国を指します。</p>
<p>西海道は、九州各国と壱岐・対馬の国々です。</p>
<p>山陽道は、大宰府にいたる重要な道なので九州の筑前（福岡県)の一部を加えて大路とされ、東海・東山両道は中路、その他一は小路とされました。</p>
<h2>駅と駅昌</h2>
<p>主な道路には、約16.5キロごとに駅がありました。<br />
駅には旅行に使う駅馬がわかれ宿もありました。</p>
<p>大路の駅には20頭、中路の駅には10頭、小路の駅には五頭の駅馬がおいてあり、馬具やみのかさなどが備えてありました。</p>
<p>駅には駅戸という者がいました。</p>
<p>駅戸は、駅馬をひいたり、駅に泊まる役人の世話をしたり、駅の費用をまかなう田を耕したりしました。<br />
駅は陸路だけでなく、水駅といって川沿いにもあり、船がおいてありました。</p>
<p>七道以外の小さな道にも、各郡ごとに馬がおかれました。<br />
この馬を伝馬といい、伝馬を世話する伝戸もおかれました。</p>
<h2>駅と駅鈴</h2>
<p>宿に泊まったり、駅馬を利用できるのは、政府の仕事で旅をずる役人に限られていました。<br />
役人でも五位以上の者か、公の使者または、急な用事を持つ者に限られていました。</p>
<p>庸や調を運んだり、政府の下で働いたりするために旅行する、普通の人は、民家の軒先や、山や野原で寝たのです。</p>
<p>駅を利用する役人を、駅使とよびました。<br />
地方で、政府に背くものがでたり敵が攻めてきたりしたときに、いそいそ報告する、臨時の駅使を飛駅、または飛駅使と呼びました。</p>
<p>駅使には、その資格を示す駅鈴が授けられました。<br />
駅鈴をもっていると、人でも馬でも、いるだけ集めることができるので、非常に重んじられました。</p>
<p>島根県の隠岐島の玉若酢神社には、二つの駅鈴が残っています。<br />
次の歌から、駅鈴を鳴らして馬を走らせる駅使の姿がの忍ばれます。</p>
<p>すずが音の早馬駅の堤井の<br />
水をたまえな妹が直手ゆ</p>
<p>(駅にやってきた、急ぎの馬の乗り手が、駅の井戸で水を汲んでいる娘に「あなたの手で水な飲ませてください」と頼んでいます)</p>
<h2>関所</h2>
<p>政府は大きな街道の特に大切なところへ関所をおきました。<br />
いざというときには、ここを守って謀反人や都へ攻め入ろうとする敵を防ぐのです。</p>
<p>関所の中で、一番大切なところが3つありました。</p>
<p>今の三重県にあった鈴鹿関、岐阜県にあった不破隠、福井県にあった愛発関で、三関と呼ばれています。<br />
いずれも、東国に対する守りのためにおかれたものです。</p>
<p>672年、壬申の乱のとき、大海人皇子が本拠を定めるため東国へ逃げたとき、三関の1つである鈴鹿関を越えていきました。</p>
<p>三関より東へは、朝廷の力も及び難かったのです。<br />
大海人皇子は、東国の兵を集め、不破関を越えて、近江の都を攻め、大友皇子を自殺させました。</p>
<p>また、764年(天平宝字8年)に謀反をおこした藤原仲麻呂は、越前(福井県)に逃げ出そうとしました。</p>
<p>ところが、愛発関で食い止められ、殺されてしまいました。<br />
三関は以上のような役割を果たしてきたのです。</p>
<p>その他、東北地方には白河関・勿来関(ともに福島県)など、古くからエゾを防ぐ大事な関所がありました。</p>
<h2>くるしい旅</h2>
<p>毎年冬になると、地方からたくさんの人夫が都へ上ってきました。<br />
何十日も掛かって都へ税を運んだり、政府の仕事をするために旅をしてきたのです。</p>
<p>人夫の中には病気や飢えや寒さのために、野垂れ死にするものが少なくありませんでした。<br />
彼らは駅馬や宿は利用できませんでした。</p>
<p>行基が建てた布施屋は、こうした人たちを泊めたり、食べ物を施したりするところです。<br />
当時は道も良くなかったし、橋のない川も多く、長雨のときは特に困りました。</p>
<p>宇治橋をかけた道登や、多くの橋をかけた行基が、人々から尊ばれたのもこのためです。<br />
この頃、重いものを運ぶのにも、車はほとんど使わず、馬の背に乗せていました。</p>
<p>陸上を運ぶことが難しい大量の荷物は、水運を利用して運ばれました。<br />
奈良や恭仁・難波などの都は、水運に便利なてんを考えて、造られたものです。</p>
<p>淀川・木津川・宇治川をへて、琵琶湖や瀬戸内海に通じています。<br />
当時の船は小さくもろいので、荒波に耐えることができません。</p>
<p>船の旅も、陸の旅に劣らないほど苦しいものでした。<br />
現在とは比べ物にならない苦労があったようですね。<br />
<script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><!-- 日本の歴史WP下 --><ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="8503767943"
     data-ad-format="rectangle"
     data-full-width-responsive="true"></ins><br />
<script>
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script></p>
<div class="m30-b"></div>
<p><script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script><br />
<ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-format="autorelaxed"
     data-ad-client="ca-pub-4809320509292962"
     data-ad-slot="6073045728"></ins><br />
<script>
     (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
		<post-id xmlns="com-wordpress:feed-additions:1">708</post-id>	</item>
	</channel>
</rss>
