今回は普通選挙とは? 制限選挙 普選運動のおこりについて、日本の歴史を紹介します。


はじめての選挙

日本国民が、はじめて選挙権を手にしたのは1889年(明治22年)に日本ではじめて憲法がつくられたときのことです。

しかし、今のように誰でも平等に選挙権を持つことはできませんでした。

制限選挙

そのとき選挙権を持っていたのは年に15円以上の国税を納めている満25才以上の男子に限られれていました。

米一升(1.5キロ)が6銭か8銭ぐらいで買える時代のことですから15円の国税を納めている人と言えば
いずれもそうとうな財産家ばかりです。

こうした人は、全国民の1.1パーセント45万人ほどしかいませんでした。
こういう選挙の仕方を制限選挙といいます。

選挙のやり方がこんな有様ですから議会が国民を代表しているとはどうしても言えません。

普選運動のおこり

これに対し、当然のこととして、もっとたくさんの人たちに選挙権を与えよという声があがってきました。

制限選挙ではなく成人した国氏全員が選挙権を持って議員を選ぶことを普通選挙、略して普選といい
普選をもとめる運動を、普選運動といいます。

普選運動は、自由民権運動にも活躍した大井憲太郎が1892年(明治25年)におこしたのがそのはじまりです。

しかし、この頃の運動はまだ国民の中へはあまり広がりませんでした。

普選運動の高まり

日清戦争のあと、政府が三国干渉を受け入れたことに対し国民の中には政府を批難するものが出てきました。

そして、もっとしっかりした政治をするためには国民全体の意見を代表する議会にしなければならないという声が高まりました。

つまり、普選もとめる声です。そればかりではありません。

日清戦争のあと、日本の産業は非常な発達を遂げこの結果大きな工場がつくられて、そこに働く大勢の労働者が生まれました。

それとともに、労働者のための社会主義運動がおこり幸徳秋水ら社会主義者たちは財産のない労働者や農民のために熱議心に普選を要求しました。

しかし政府はこういう声を聞こうとはしなかったばかりでなく1900年(明治33年)に出した法律では女子は政治の演説も聞けなくなりました。