今回は平安時代の服装と年中行事について、日本の歴史を紹介します。
この頃の貴族の衣服は、奈良時代の中国風のものから、
日本風のものに変わり、しかも美しく華やかなものが用いられるようになりました。
普通の人は、粗末な麻の着物でしたが貴族たちは、上等の絹を美しく染めて着ていたのです。
特に女の人の着る十二単は、目を見張るばかりの美しさでした。
また、貴族たちが外出するときには、大勢の友をつれて、牛車に乗って出かけました。
この時代には、年中行事が非常に盛んになりました。
今でも、毎年決まった日に、いろいろな行事が行われますが、その中には、この時代に始まったものがたくさんあります。
特に明治になって、日本人の生活の仕来りが大きく変わるまでは、平安時代に始まった行事が、ほとんどそのままの形で、各地で行われていました。
この時代の年中行事としては、正月のいろいろな儀式、二月から始まる各神社のお祭り、五月の菖蒲の節句など、決まった行事がたくさんあって、ちょっと挙げきれない位です。
朝廷でも、こうした年中行事を行うことが主な行事になりました。
そして、貴族や役人や宮中の女官は、これらの行事を、滞りなく行うことが、主な仕事になっていました。
また、年中行事は、毎年繰り返すために、前につくられた例が大切にされました。
貴族たちは、詳しい日記を書いて、その参考にしました。
年中行事と並んで、すごろく、碁などいろいろな遊びが、貴族の間で盛んに行われました。
平安時代の主な年中行事
一月元日
いろいろな祝賀の式がありました。二日から五日頃までの間に、天皇は上皇のところへ、下役は上役のところへ、年賀の挨拶に出かけました。
一月七日
若菜(七草)摘みをしました。この日に若菜を摘むと、いろいろな悩みを除くことができるといわれました。
三月三日
お祓いが行われ、後の-ひなまつりのおこりになりました。
四月
有名な賀茂まつりがありました。賀茂神社のまつりで、道の両側に、さじきがつくられ道は見物にくる牛車でいっぱいになりました。
五月五目
菖蒲の節句。災いを祓うために、家の軒に菖蒲をさす、ならわしがありました。
七月七日
七夕まつり。相撲の見物や詩をつくる会を開いたりしました。
八月十五日
月見の宴。月を眺め、夜遅くまで遊びました。
大晦日
ついなといって、悪い鬼を追い払う行事が行われました。