今回は日本の産業革命について、日本の歴史を紹介します。

18世紀の中ごろから、ヨーロッパで、いろいろな機械が発明されました。
そのため工業は大きく変化して、すばらしい発展を遂げました。

この変化を産業革命といいます。

今まで道具に頼っていた工場制手工業に取って代わって機械に基づく近代的な機械制工場工業が現れたのです。

産業の発展に伴って世の中の仕組みも大きく変わりました。

中でも大きなことは工場を持つ資本家が賃金労働者を雇って商品の生産を行うという貸本主義の大もとになる関係が社会の隅々にまで行き渡るようになったことです。

そして、封建制度の仕組みが崩れ新しく生まれてきた資本主義の仕組みがすっかり出来上がるようになるのです。

産業革命は、どこの国よりも早く、まずイギリスで行われました。
これが、少し遅れて西洋の他の国々にもおよびました。

日本の産業革命とは?

日本では、イギリスなど資本主義の先進国といわれている国に比べると一世紀以上も遅れた19世紀の末頃から産業革命がはじまりました。

前にも述べたように明治のはじめ、政府は富国強兵の政策を立てヨーロッパやアメリカから新しい産業の技術を取り入れました。

そして、各地に近代的官営の工場や鉱山をつくった外国との貿易を政府の力で保護したりしました。
こうして、日本の産業革命のもとは明治政府の手によってはじまったのです。

しかし、それが実際に産業革命という姿を現してくるのは、やはり明治20年の終わり(19世紀の末)頃といえます。

綿紡績業の産業革命

産業革命は、どの国でも綿紡績業からはじまるのが普通ですが日本の場合もそうでした。
日本の綿業は、江戸時代には、そうとう盛んでしたが、もちろんその技術は劣っていました。

幕末の開国以後には外国から安くて優れた綿製品が輸入されるようになると日本の綿製品は、これに太刀打ちできなくなりました。

明治維新後には、ガラ紡というものがあらわれ1877年(明治10年)ごろから今までの手工業に代わるようになりました。

これは、長野県の臥雲辰致という人が発明して当時の博覧会に出品して有名になったものです。
臥雲式紡機というのが本当の名前ですがガラガラという音を立てるのでガラ紡と呼ばれました。

しかし、これでも外国の機械紡績に対抗できませんでした。

そこで政府は官営の紡績工場(幕末に薩摩藩がつくった工場を手に入れて官営工場にしたもの)を経営しました。

また、綿業の本場であるイギリスのマンチェスターから紡績機械を輸入して、これを民間に安く払い下げ
全国10か所ばかりに機械紡績工場をおこさせました。

これらの工場は日本の機械紡績の基礎になったものですが規模からいえば、まだ小さく動力も水力に頼っていました。

1883年(明治16年)には大阪紡績会社(今の東洋紡績)が開業しました。
これは蒸気力による大規模な機械紡績工場として最初のものです。

このあと、大きな機械紡績工場が相次いでつくられ製品の質も量も発展しました。

日清戦争のあと中国や朝鮮へ製品が大量に輸出されるようになり1897年(明治30年)には綿糸の輸出高が輸入高よりも多くなりました。

このことは、日本の綿紡績業の産業革命が成し遂げられた目印とされています。

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