無土器時代とは? 縄文時代とは? 縄文時代とは? 弥生時代とは?
ここでは簡単なあらましを紹介します。


無土器時代とは?

日本列島に、人間が住みつくようになったのは今から1万年以上も前のことではないかと言われています。

それまでの日本列島は、ある時は海の底に沈んだり、ある時には大陸と陸続きになるといったように土地の様子がさまざまに変化してきました。

日本列島がほぼ今のような形になったのは、長い地球の歴史からみるとわりと最近のことです。

ところで、1万年以上も前に日本に住み着いたと言われる人々はどんな暮らしをしていたのでしょう。
今のところまだハッキリとしたことはわかっていませんが道具といっては、かんたんな石器があるくらいでした。
土器をつくることも知りませんでしたし、自然の恵みも豊かではなかったようです。
かなり苦しい生活をしていたのではと想像します。

この時代のことを土器がなかった時代という意味で 「無土器時代」 と呼ばれています。

縄文時代とは?

8,9千年前になると、縄文式土器がつくられるようになりました。
縄目の模様を付けたこの優れた土器は 「ジョウモン」 の名で世界にも知られています。
縄文式土器の名をとってこの時代のことを縄文時代と言います。

縄文時代は数千年の間続きました。

長い年月の間には道具の作り方や暮らしの仕方にも少しずつの進歩はありました。
ですが、その進歩は非常に遅く大体が狩りや魚とりが人々の生活の中心になっていました。


弥生時代とは

2000年ほど前になると弥生式土器と呼ばれる新しい土器がつくられるようになりました。
また、イネのつくりかたや金属の道具が伝えられ人々の生活や社会の姿は大きく変化しました。

この時代を弥生時代と言います。

人々は台地の上から次第に平地に住まいを移し、農業に励むようになりました。
前は山や海にあるものをとって食料にしていたのですがこの後は自分たちの食料は自分たちでつくるようになっていったのです。

そして、食料の蓄えが多くなると共に人々の暮らしは次第に豊かになっていきました。
道具にも工夫を凝らし、物々交換も盛んになりました。

しかし、なんといっても大きな変化は人々が村をつくって共同生活をするようになったことです。

さらに、同じ村の中でも上に立って指図をする人と、その指図を受け、下で働く人々の区別がはっきりしてきたことも大きな変化でした。

やがて、あちこちの村は次第にまとめられて国と呼ばれるほどに大きくなっていきました。
「前漢書」という中国の古い歴史書には、紀元前一世紀ごろ日本には100以上の小さな国が出来ていたと書かれています。

その国もさらに大きくまとめられていきました。

「魏志倭人伝」という中国の古い歴史書には紀元前三世紀半ばごろ日本では大きな勢力をもっていたヤマタイ(ヤマトのこと)国のことが出てきます。

この邪馬台国も小さな国々がまとまって大きくなったものと考えられています。
そして、国々の頭は度々中国や朝鮮に使いを送り進んだ文化を取り入れていたようです。

こうして、日本では狩りと魚とり中心の生活から農業中心の生活へ。

また社会が国として広い地域ごとに決まりをもってまとまる時代へと数千年の間に移り変わったのです。
科学技術の発展がほとんどないものの現代の生活のかたちが出来上がったのがこの時代です。

自給自足の無人島生活ができる方ならこの時代で生きれるかも? 日本の歴史のはじまりです。




関連記事