私たちの住んでいるこの日本列島に人間が住み着いたのはいつ頃でしょうか?
このことは古くから多くの学者によって研究がされてきました。
いくつかの説を交えて紹介します。
日本がアジア大陸とまだ地続きであったずっと大昔に、もう人間が住んでいたという学者もいます。
その頃の人間の骨と思われるものもいくつか発見されました。
兵庫県の明石市、栃木県の葛生町、静岡県の三か日町などで発見されたものがそれで、地名をとってそれぞれ、明石原人・葛生原人、三か日原人と名付けられています。
しかし、どれもまだ研究を始めて間もなくこのような古い時代に日本にも人がいたことは考えられていますがはっきりしない点もあります。
日本列島の原住民
日本列島に人間が住んでいたのが、はっきりわかるのは縄文時代になってからのことです。
もっとも最近では縄文時代以前(無土器時代)のものと思われる石器が各地で発見されていないので、どんな人種がいたのか今のところよくわかりません。
ところで、この縄文時代の人々の体つきとかなり違っています。
そのためこの頃の人々がはたして私たち日本人の祖先であるか、あるいはまったく別の人種であるか長い間、学者の間で議論が続けられてきました。
ある学者はその頃の日本に住んでいたのはアイヌ人の祖先であり、あとから新しく大陸から渡ってきた民族が日本人の祖先であると考えました。
弥生文化を広めた人々こそ日本人の祖先と考えたのです。
また一方、その頃に日本に住んでいたのはアイヌ人ではなく、コロポックルと呼ばれている小人であると考える学者もいました。
いずれにしても、これらの説は縄文時代に日本に住んでいた人々は、今の日本人とは別の人種だという考え方でした。
こうした考えは明治時代から大正時代にかけて盛んにいわれました。
原日本人説
日本にもとから住んでいた人々について考えは色々だされて研究されました。
しかし、どれが正しくてどれが間違いだと決めることはできませんでした。
それはどれもはっきりした証拠がなかったからです。
そこで大正時代にはいると前の考えとは別に、日本に住んでいた最も古い人種は「原日本人」という特別の人種であるという考えが出されました。
この原日本人がその内アジアの各地から移ってきた人々と交じり合って今の日本人ができたと考えたのです。
そして、今の日本人のもとになった人種という意味で原日本人と名付けだのでした。
この説を原日本人説といいます。
アイヌ人もこの原日本人からわかれてできた特別の人種という考えでした。
原日本人説では今の日本人は多くの民族が交じり合ってできたもので、このため縄文時代の人々の体付きと今の日本人の体付きが違うのだという考え方です。
日本人説
ところがその内さらに研究が進められた結果、人間の体付きは食べ物や体の動かし方の違いによって変わるはずだと考える学者がでてきました。
そして、縄文時代の人々と今の日本人は同じ人種であるがただ長い年月の間に、だんだん体付きに違いがでてきたのだと考えました。
つまり、縄文時代の人々は今の日本人の祖先であるというのです。
これを日本人説といいます。
日本人はどこからきたのか
縄文時代に日本に住んでいた人々は、どうやら日本人の祖先であることがわかってきましたが、それではその人々はいったいどこからきたのでしょうか?
この説も色々だされています。南方からきたという説もありますし、西北方からきたという人もあって全くまちまちです。
今のところどれが正しいかよくわかりませんが、このことをはっきりさせようと日本人の言葉や体付きや文化など様々な方面から研究がすすめられています。
日本人の先祖はユダヤ人だったといった都市伝説のようなものあり、日本人の祖先のルーツには魅力と神秘に包まれています。
日本の歴史には謎がつきものです。