今回は住まいの歴史 鎌倉時代から昭和時代の住居について、日本の歴史を紹介します。
鎌倉時代以後になると、華やかな生活をしていた貴族が衰え武士が政治をとるようになりましたので暮らしの上にも大きな変化がありました。
これまでの貴族の住宅は、風通しのよい夏向きのものでしたが鎌倉時代から室町時代になると、家の周りに戸や、明り障子を建てるようになりました。
家の中も、いくつかの部屋に仕切って、ふすま障子や、唐紙障子・杉戸などを建てました。
後には、畳を敷くようになり今の日本の民家の大体の姿となったのです。
鎌倉時代の武士の住まいは「法然上人行状絵図」などを見てもよくわかりますが、網代あみの竹垣で、屋敷を囲み切妻づくりの草ぶき屋根の母屋や納屋・蒲屋・馬屋などがあります。
母屋の左隅に細長い家をつきだした遠侍がありますが、ここは、家来の住むところで武家住宅の特色になっています。
室町時代以後になると、武士の住まいは貴族や僧の影響を受けて、床の間・違い棚・書院・玄関などがつくられるようになりました。
それらを一つの形式にまとめたものが書院づくりで安土・桃山時代ごろに完成しました。
しかも全国統一という時代の影響を受けて大がかりで、華やかな絵ぶすまや秀れた彫刻や金具などで、飾り立てたものもありました。
いま京都の西本願寺にある飛雲閣は名高い聚楽第(じゅらくだい)の一部だったと言われます。
武士の住まいに、天井を張り雨戸を建てるようになったのも、このころからです。
しかし、荒々しい武士の気風は大きく立派な書院づくりを好む一方白木づくりで自然の美しさを求めた茶室風の数寄づくりを、桃山時代から江戸時代にかけて流行させました。
江戸時代の初め頃から城下町が栄えるようになり武士の住宅は城の周りに建てられました。
参勤交代で江戸に出るときは多くの家来が従いましたので大名屋敷を中心に、下士たちの住む長屋がありました。
一般の人々の住まいは、商業が発達するにつれて都市では農本住宅から、道路沿いに店づくりの家が多くなりました。
幕府は火事を防ぐために、瓦ぶきや、土蔵つくり・ぬりやづくりを進め二階建ては許しませんでした。
貧しい人たちは、長屋の一間を借りて住んでいました。
農家の住まいは、贅沢にならないように厳しく取り締まられ、広い土間と、床張りの小さな部屋が四間ぐらいあったようです。
明治になって外国との交わりが多くなるとヨーロッパ風のレンガや石づくりの建築が取り入れられました。
まず、銀行やホテルなどの洋館が建てられ東京の銀座が、レンガづくりの町になったのをはじめ有名な鹿鳴館などもできました。
またこれとともに、ヨーロッパ風と日本風の良い点を、両一方とも取り入れた建築も行われました。
明治の終わり頃から大正時代にかけて新しく鉄筋コンクリートの高いビルディングが建てられるようになりました。
昭和時代になると、しばらく日本風の建築が盛んになりました。
太平洋戦争の後都市には、続々ビルが建てられ燃えない集団アパートがたくさんできました。
そして家庭生活の電化とともに都市や農村の住宅も次第に住みよく改善されつつあります。