今回は室町時代の農業の進歩 技術の進歩について、日本の歴史を紹介します。
農業の進歩
鎌倉時代から室町時代にかけて農民たちは、荘園の領主から、重い年貢やきつい仕事を請け負わされたので生活もかなり苦しかったようです。
しかし、それにも関わらず農民たちは限られた土地から、多くの収穫をあげようとして技術を高める努力をしました。
その結果、農業はたいへん進歩し生産高が増えてきました。
これとともに、地方の国々でも様々な産業が発達してきました。
技術の進歩
農民たちは、まず農具を改良しました。
そこで、草けずり・つるはし・熊手苗かご・もっこ・とおし(ふるいの一種)などの新しい農具が使われ、農作物を作るのにたいそう便利になってきました。
かんがい設備としては、水車が鎌倉時代よりも一層広く行き渡りました。
15世紀のはじめに日本へきた朝鮮の使いは日本の水車の便利なことに驚いているほどです。
水は、稲つくりになくてはならぬものでしたから、かんがいには、農民も領主も真剣でした。
また肥料としては、人糞、家畜の糞・草・魚・海藻・灰など、色々のものを使っています。
増えた作物の.種類
このころの耕地は、大部分が水田でした。
稲も品質が改良され、わせ・なかて・おくては土地に合わせて上手く栽培されてきました。
土地の利用の仕方も進み米と麦、麦と蕎麦などのような組み合わせで二毛作が広まってきました。
畑には、主に麦・大豆・小豆を作りその他、雑穀・野菜・ナタネ・ゴマ・茶なども作りました。
ことに、都の付近では、瓜・大根・ナスのような野菜がよく作られました。
こういうものは、売ればすぐにお金になるからです。
同じように、綿・麻・漆などの手工業の原料もよく栽培されました。
綿は木綿に、漆は塗り物になったからです。
その他、桑の穂も、紙を作ったり蚕を飼うのに役に立つので栽培されました。
果物では、甲州(山梨県)のブドウ紀州(和歌山県・三重県の一部)のミカンなどがではじめています。
また、茶を飲む習わしが広まるにつれて茶の栽培も盛んになってきました。
そして、山城(京都府の一部)の栂尾・宇治などが、その名産地として知られていました。