今回は室町時代の庭園とは? 室町時代の生活と東山文化について、日本の歴史を紹介します。
庭園
庭園をつくることは、奈良時代から貴族の間に行われ、ことに平安時代に寝殿造がおこってから、盛んになりました。
平安時代の庭園は、美しい花の咲く穂や草を植え大和絵のような美しさをあらわしたものでした。
ところが鎌倉時代の末頃から、禅僧たちの間に花の咲く穂や草よりも、石をたくさん使い静かで奥深い美しさをあらわす墨絵のような庭園をつくることが、流行ってきました。
このような庭園のつくり方を、特に広めたのは、夢窓疎石です。
夢窓疎石は、禅僧としても有名でしたが京都の西芳寺(苔寺)や天龍寺をつくったのも疎石です。
足利義政も庭園づくりが非常に好きでした。
そのため、この頃には、秀れた庭園がたくさんつくられました。
京都に今も残る龍安寺の庭園も、その一つです。
この庭は一本の草木もなく、石と砂だけで出来ており禅宗の考え方の影響か強くみられます。
このように禅宗の影響の大きいことは、東山文化の大きな特色です。
しかし、東山文化にはもう一つの大きな特色がみられます。
それは、この時代に生みだされた文化までも、私たちの生活の中に伝えられていることです。
私たちの生活と東山文化
東山文化の中から生み出されて今も私たちの生活の中に伝わっているものはたくさんあります。
例えば、「一寸法師」や「桃太郎」の話能や狂言、書院づくり茶の湯・生け花など、みなこの頃、今のような形になったものです。
また、これまでは、米は強飯のように無視て食べていましたが、この頃になると今のように、水で炊くようになりました。
そして、食事も一日に三度するようになったのです。
肉類を使わないでつくる、精進料理が発達したのも醤油や砂糖が使われ、豆腐・こんにゃく・納豆などが広く食べられるよになったのもこの時代からです。
一般の人々の普段着は、これまでは、主に麻で作られていましたが、この頃から、木綿織物が、ぼつぼつ用いられるようになりました。
正月に男の子が、凧を上げ女の子が、羽根をつくようになったのも、この頃おこったようです。