今回は室町時代の交通と都市のつくりについて、日本の歴史を紹介します。

室町時代の交通と都市

商工業が発達し、商人の活動が盛んになるに連れて町から町への行き来も多くなってきます。
その結果、交通の設備も自然と発達し生産が高まったりで、増えてきました。

そして、あちらこちらの交通の中心地に、新しい都市ができ日本全体がたいそう、賑やかになってきました。

これまで、都市というと、古くからの政治の中心地であり荘園の領主も多く住んでいた京都とか奈良、または、幕府のあった鎌倉に限られていました。

しかし、室町時代になると新しい都市として、港商業都市がおこってきたのです。

これらの都市は、その名前が示すようにそれぞれ、違った生まれ方をしています。

港の発達

その頃は、今と違って、陸上の交通よりも水上の交通のほうが便利でした。
陸上の乗り物が発達していなかったからです。

馬やカゴに乗っていくよりも船に乗ったほうが、早かったのです。
ことに、重い荷物や生産物を運送するのは船に限ります。

そこで、農業や漁業の生産地に近いところにある港が賑わいそこが自然と大きな町になります。

これが港町です。

こういう港町は、やはり経済の発達した近畿地方を中心に多くできました。
例えば、淀川(京都府・大阪府)沿いの地方、琵琶湖の岸部、瀬戸内海地方がそうです。

しかし、室町時代には、太平洋や日本海方面にも次第に港町が増えてきました。

港の中でも、博多(福岡市)・兵庫(神戸市)堺などは、国内だけでなく、中国との貿易港としても大切なところでした。

これらの港には、船から下ろした荷物を保管したり生産物を売り捌いたりする問屋の倉庫が立ち並んでいました。

そして、船頭・水子・人夫・馬借・車借など、という交通の仕事をする人々の小屋がたち市場商人や職人の店もにぎわいました。

門前町

水運の発達につれて、陸上交通もたいへん進歩しました。
そのため、神社や寺院にお参りする人も自然と増えてきました。

京都や奈良などの古い都には昔から大きな神社や寺院がたくさん立ち並び、その前には、市などが栄えていました。

それが室町時代になると、交通が以前より、ずっと便利になったので、お参りにくる人々が急に増えてきたのです。

そして、こういう人々を目当てに店や宿屋が出来、非常に繁盛するようになりました。
近江(滋賀県)の坂本も、交通の要地である上に比叡山のふもとにあったので延暦寺の門前町として栄えました。

また、伊勢(三重県の一部)の宇治山田は伊勢神宮の門前町として、たいへん賑わいました。
その他、長野の善光寺、諏訪の諏訪明神にもそれぞれ門前町が発達していました。

一向宗の蓮如上人が建てた、摂津の石山本願寺(大阪市)は、境内の中に、6つも町がありました。

こういう町を寺内町と呼びます。

石山本願寺の寺内町は、周りに土の塀を巡らし堀を掘り、四方に門まで作っています。

そして、この中では、住民の自治もある程度まで、認められていたようです。

城下町

荘園に住んでいた豪族たちは自然の地形な利用して山城を築いたり、それに似た屋敷を作っていました。

そして、その近くに市を開かせ必要な品物を、間に合わせていたのです。

このような豪族が勢いを得て、または数か国を支配するようになると狭い山城では生活しにくくなってきます。

多くの家来を取り締まるのにも不便です。
そこで、彼ら交通の便利な平野に出てそこに平城を築いて住むようになりました。
また、家来をこの平城の周りに集め戦のときには、すぐ役に立つようにしたのです。

そして、ここに商人や職人を呼び集めて家来たちが暮らしていけるようにしました。

このようにして出来たのが城下町です。

城下町は、港町や門前町のように自然に出来上がったものではありません。
これは、大名たちが、政治を行ったり戦争をしたりするのに都合のよい場所に新しく作り上げた都市です。

城下町としては、今川氏の駿河の駿府(静岡市)、上杉氏の越後(新潟県)の直江津大内氏の周防(山口県) の山口などがあります。

宿場町

これらの都市の他にも1つ、宿場町というのがあります。

これは、南北朝時代頃から陸上の交通が非常に発達したため、街道の主なところに自然に出来上がった都市です。

宿場町は、はじめ、東海道などを旅する人々のためにできた宿屋を中心としておこったものです。
これは、港町や城下町と比べるとそれほど大きい都市ではありません。

しかし、室町時代の末頃になると、北条・今川・武田・上杉・徳川などの大名たちが、それぞれ宿場を保護し、伝馬の制度を設け、また商人な呼び寄せるために税をタダにしたりしたので各地の宿場が、多いに、賑わいました。



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