今回は江戸時代のあらましについて、日本の歴史を紹介します。
1603年、征夷大将軍になった徳川家康は江戸幕府を開き、武士による全国支配の仕組みを、さらに強カに作り上げようとしました。
この江戸幕府の土台は、三代将軍家光の頃までに、しっかりと出来上がりました。
全国250あまりの大名を親藩・譜代・外様の三つにわけ、お互いに、抑え合うように配置替えをしました。
また、武家諸法度を作って大名や武士を取り締まったり参勤交代の仕組みをつくって諸大名の力を抑えたりしました。
しかも、幕府自身は全国の四分の一という広い領地を持ち、主な都市や鉱山も支配して巨大な財力を蓄えました。
さらに、キリスト教が広まり政治の土台が揺らぐことを恐れた幕府は思い切って国を閉ざし外国との付き合いを止めてしまうようなこともしました。
そのためにこれれまで盛んだった外国との貿易は衰え、世界の進歩に遅れることになりましたが一方、国内には200年あまりも太平が続くことになりました。
江戸時代になって、特に変わったことの一つは士農工商という身分の順、また主人と家来との身分の区別がはっきりしたことでした。
農民を武士の次にしたのは武士との生活が、農民の納める年貢で支えられていたからです。
それだけに、農民は、「生きぬように、殺さぬように」という方針のもとに、苦しい生活をさせられました。
そのために、自分が米を満足に食べることができないようなこともありました。
しかし、農民たちは新しい作物を作ったり農業技術を改善したり、新田を開発したりして農業の発達に努力しました。
それに対して、職人や商人は農民ほどの厳しい取り締まりは受けませんでしたが、やはり武士の命令には
絶対に従わなければなりませんでした。
武士の酷いやり方に対しては農民も一揆をおこして反抗しました。
しかし、武士にとっての第一の強敵は商人でした。
江戸時代に入って、商業がますます盛んになると商人は次第に大きな財力を蓄えるようになりました。
一方、武士は華やかな生活に慣れ商人には頭を下げて、お金を借りるようなこともおこりました。
しかも、商人や職人は次第に豊かになった生活の中から、新しい町人の文化を生みだしていきました。
歌舞伎・浮世絵・小説・徘徊・川柳などはその代表的なものと言えます。
幕府の政治は次第に行き詰ってきました。
享保の改革・寛政の改革・天保の改革などが次々に行われました。
いずれも成功しませんでした。
また、国学や洋学の広まりとともに幕府の政治に反対する声は高まるばかりでした。
そしてアメリカのペリーが開国を求めて浦賀にきて以来、開国と攘夷を巡って国内は乱れました。
ついに幕府は、薩摩や長州などの連合軍の努力によって倒され、武家政治は終わりをつげました。