今回は江戸時代の水産業の姿について、日本の歴史を紹介します。

網元と網子とは?

漁も発達し、大きな網を張って一度もたくさんの魚を獲ることが盛んになりました。
何艘かの船で、大きな網を張りだんだん狭くしていき船に引きあげる方法が行われました。

また、網の両端に長い綱をつけておき海岸にいる人が引きあげる地引き網もありました。

さらに海中に網を貼ったままにしておいて魚がその中には行った頃を見計らって引き上げるものもありました。

100メートルも200メートルもある大きな網で、それを作るにはたいへんお金が掛かったので誰でも持つというわけには行きませんでした。

網を持っている人を網元といい、そのほかの漁師は、網元に雇われて船を漕いだり、網を引いたりしました。

これらの人々を網子といいます。

漁が終わると網元はその半分または3分の1をとり残りは網子たちがわけました。

漁師は船に乗るといつ死ぬかわからないので、お金があれば、すぐに使ってしまいました。
そのため不漁が続くと食べるのに困るときがありました。

そんなとき、網子は網元のところで、お金を借りたりするので網子は網元を親分のように思い頭があがりませんでした。

クジラ獲り

漁の中でも、勇ましいのはクジラ獲りでした。

クジラ獲りは主に伊勢湾から紀州(和歌山県、三重県の一部)土佐(高知県)の海岸九州の大村湾などで盛んに行われました。

クジラ漁は主に秋に行われ初めは、モリで突いていましたが後には網を張ってクジラを湾内に追い込み、それをモリで突くようになりました。

イワシ漁

網を使った漁のうち最も盛んに行われたのがイワシ漁でした。
このため江戸時代の中頃から各地でイワシを肥料として使い始ました。

イワシの漁場は初めは船びき網で四国の伊予(愛媛県)の海岸が中心でした。
やがて江戸時代の終わり頃には主な漁場は房総(千葉県)の九十九里浜になりました。

ここは地引網が盛んで日本最大の漁場と言われました。

関連記事