今回は西南戦争とは? 士族の反乱について、日本の歴史を紹介します。

士族の反乱

西郷をはじめ、自分たちの意見が通らなかった人々は、政府の役人を辞め故郷に帰りました。

西郷たちに大きな臨みをかけていた士族たちは政府に対して、ますます強い不満を持つようになりました。

その中には、武力で政府を倒そうと考えるものも、出て来ました。
1874年(明治七年)佐賀に帰った江藤新平は征韓論を唱える士族たちを集めて兵をあげました。

士族の反乱の最初です。

1876年には熊本に神風連の乱という反乱がおこりました。
続いて福岡県の秋月の士族たちも立ち上えりました。

山口県の萩でも不平士族を率いた前原一誠が反乱をおこしました。
大久保利通が実権を握るようになった政府は士族の反乱に、厳しい態度で臨みました。

士族の反乱はみな政府の軍隊によって破られてしまいました。

西南戦争

鹿児島に帰った西郷隆盛の周りには、たくさんの士族が集まりました。
西郷は私学校を開いて士族の青年を教育しました。

そのころ鹿児島県では、政府の命令は全く行われていませんでした。
地租改正もせず士族はそれぞれ武器を蓄えて昔のままの有様でした。

まるで、日本の中にもう一つの国があるようなものです。
西郷は、自然にその中心に立たされることになりました。

西郷は、自分では武力で政府に反対しようとは考えていませんでした。
しかし政府が鹿児島のやり方を潰そうとしてくると、じっとしていることは出来ません。

ついに1877年(明治10年)薩摩の士族に押立てられた隆盛は政府を倒す戦いを始めました。
西郷に引き入れられた士族たちは勇ましく戦って一時は熊本城まで攻めさせました。

西郷軍は三万人政府軍はその二倍の六万人でした。
激しい戦いの末西郷軍は政府軍に打ち破られ、とうとう鹿児島まで退いて滅びました。
西郷は鹿児島の城山で自殺してしました。

この戦いが西南戦争です。

士族たちは、政府の軍隊を百姓の軍隊だと言って馬鹿にしていましたが、その士族の軍隊が見事に百姓の軍隊に負けたのです。

郷西南戦争の後は政府に向かって、武力で反乱をおこそうとする士族もいなくなりました。
政府の力は、たいへん強まって、どしどし新しい政治を進めていくようになりました。

関連記事