今回は明治時代に流行ったスポーツと映画について、日本の歴史を紹介します。

西洋のスポーツが、日本に入ってきたのは明治時代になってからではなく江戸時代の中期には
すでにラケットがつくられ江戸で売られていました。

当時はまだゴムまりが発明されていなかったので木のまりに鳥の羽根をつけて打ったということです。
今日のバドミントンに似ていたようですが途中で廃れました。

ボートも、オランダから海軍教師がきて、こぐことを教えましたが、それは軍用としてで、まだ競技を楽しむまでには至りませんでした。

野球

西洋式のスポーツが盛んに行われるようになったのは明治になってからで最初に入ってきたのは野球です。

これはアメリカから入ったスポーツですが日本人の気性にあって、盛んになりました。

1873、74年(明治6、7年)ごろから東京神田にあった護持院治が原という草原で大学の先生として、雇われてきたアメリカ人教師たちがはじめたのです。

そこへ、アメリカに留学してこれを覚えてきた牧野伸顕・平岡燕という人が日本人の間に広めました。
1890年ごろには試合もかなり行われるようになりました。

はじめは第一高等学校が強く1894年に7チームが参加した東京の連合野球大会で一高が優勝しました。
ところが1902年ごろから慶応義塾と早稲田大学が強くなってきて1903年に早慶戦がはじまりました。

早慶戦は、イギリスのオクスフォードとケンブリッジ両大学のボートレース、アメリカのエールとハーバード両大学の諸競技と並んで世界の三大カレッジゲームといわれるまでに盛んになりました。

なお、日露戦争の真っ最中に早稲田大学の野球チームがアメリカに渡り西海岸の諸大学と試合をしました。

これが、日本が国際競技に海外遠征したはじめです。

水泳

水泳は日本にも昔からありましたが、やはり武術の一部として行われていたのです。
これをスポーツとするようになったのは明治に入ってからです。

明治の中期には、横浜で外国人との間に、たびたび競泳が行われ、のちの水泳王国をつくる地盤ができました。

テニス

テニスは1884年ごろに移入されました。
政府がまねいた体操教師が東京高等師範学校(今の教育大学)で教えました。

ここから各学校へ広まり婦人の間でも行われました。
明治時代のテニスは軟球で硬球を使うようになったのは大正に入ってからです。

ボートレース

ボートレースは野球と同じく学生の間で行われました。
東京の隅田川でのレースは年中行事として多くの観衆を集めました。

とくに東京帝国大学の各科対抗レース、一高と高商(今の一橋大)とのレースは有名でした。

登山・スキー・スケート

昔から宗教的な行事として山伏やその他の信者が富士山などに登っていました。
それが、娯楽または体育となったのは日露戦争の前ごろからです。

本州中部の山脈が日本アルプスと呼ばれ有名になったのも明治時代です。
スキー・スケートはスポーツの中では遅れて発達し明治の末になって盛んに行われるようになりました。

剣道・柔道

明治維新の結果、剣道は衰えましたが1877年ごろには復興の兆しが現れてきました。
そして、日清戦争のころには剣道が学校体育の一部として採用され学生剣道がたいへん栄えました。

日本から海外に広まってしたのは柔道です。

ことに日露戦争当時のアメリカ大統領のセオドア=ルーズベルトは自分の家に道場をつくり日本人を先生に迎えて自分も習い子弟にも覚えさせました。

柔道は今日ではオリンピックの種目の一つに加えられるようになりましたが、これについては嘉納治五郎の功績を忘れてはなりません。

そのほか、乗馬も行われるようになり女学生や婦人の間に広まりました。
乗馬以上に普及したのが自転車です。

東京上野の不忍池のほとりで自転車競争が賞金つきで開かれて、多くの観客を集めました。

映画

映画は日清戦争後になってフランスとアメリカから、ほとんど同時に入り、活動写真と呼ばれました。
東京神田の錦輝館で、はじめて公開されましたが本当の人物や風景をうつした写真が実物通りに動くのを見て人々は、びっくりしました。

映画館ができたのは1903年(明治36年)で、それまでは寄席や劇場で上映されていました。