今回は明治時代に世界から知られる学者について、日本の歴史を紹介します。

学問のほうはよその国の人にもわかりますし、また、優れた学者がでましたので、その仕事が早くから世界に知られました。

自然科学

明治時代になって、日本人の寿命が伸び体格がよくなりました。

それは、医学が進みコレラやチフスのような伝染病が減り衛生思想がすすんで、みんなが病気に気を付けるようになったからです。

明治の中期から後期にかけて、幾つかの優れた研究が、その業績をあげました。
北里柴三郎はドイツに留学して細菌学者コッホの門に入りました。

そして、破傷風の研究をはじめ、ついに破傷風菌の純粋培養に成功し翌年破傷風の血清療法を発見しました。

彼はまた、香港にペストという恐ろしい病気が流行ったとき現地に派遣され目覚しい働きをして立派な研究をまとめました。

野口英世は、子どものころ手に火傷をして指がくっついてしまったのを切開して、元通りになったのに感謝する気持ちから医者を志しました。

彼らはアメリカに渡って、みんなが気味悪がるヘビの毒を研究して、それを発表し、才能を認められました。

その後、やっかいな伝染病を研究し多くの学位や勲章をもらいました。
高峰譲吉は、アメリカで有名になった人ですがアドレナリンやタカジアスターゼを発明しました。

物理学のほうでは先生と弟子の関係にある長岡半太郎と本多光太郎の両博士が有名です。

長岡半太郎は、20世紀に入った前後に早くも陽電子を帯びている原子核のあることを発見して、今日やかましくいわれている原子物理学を開拓した人です。

その弟子の本多光太郎は学問的研究ばかりでなく、それを応用してKS鋼・新KS鋼を発明しました。
そのほか、自然科学の方面では木村栄のZ項の発見、池田菊苗の化学調味料(味の素)の発明、鈴木梅太郎のオリザニン(ビタミンB1)の研究、志賀潔の赤痢菌の発見などがあります。

社会科学

歴史学者朝河貫一はアメリカ一流の学校エール大学の教授となりました。
地味な人で、世間から騒がれませんでしたが学界からは最高の尊敬をはらわれていました。

彼の封建制度に関する研究はヨーロッパ諸国の学界でも大いに認められています。

日本では、歴史は天皇制のもとでの政治に妨げられて自由な研究ができませんでしたが朝河博士は、アメリカでそんな心配も邪魔もなく自由にのびのびと研究できたので、これまでにみられない業績をあげました。

女で活躍した人に新井鶴子(のちに原と姓がかわる)がいます。

新井はニューヨークにあるコロンビア大学で心理学をおさめ、文学博士となりました。

当時の日本国内では女に学位を与える制度がありませんでしたので、これは明治時代でたったひとりの女博士です。

若くして死んだので、その仕事は今まであげた諸博士に比べて劣るかも知れません。
しかしドイツの学者も認めて、その論文に彼女の研究について書いています。

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