今回は大正・昭和時代のあらましについて、日本の歴史を紹介します。
第一次世界大戦と日本
1914年(大正三年) 第一次世界大戦がおこり日英同盟を結んでいた日本もこれに参加しました。
この大戦は、主戦場がヨーロッパであったため日本には、大した被害がありませんでした。
むしろ、国内の工業はますます盛んとなり貿易額も急に伸びました。
国内には、成金と呼ばれるような大金持ちが、たくさんできたほどです。
大戦が終わってのち世界平和を保つ機関として国際連盟ができ日本は、これに常任理事国として加入しました。
しかし、一方では日本は大陸に勢いを伸ばそうとして中国に対し、二十一か条の要求をつきつけました。
民衆の時代
大正の頃は、一般の民衆の意見が盛んに発表されるようになりました。
制限選挙を止めて国民の全てが選挙権を持つことが、できるようにする運動が高まったのもこの時代です。
その努力は、1925年(大正14年)に普通選挙法が議会を通ったことによって実りました。
文化面でも、教育が行き渡るとともに大衆小説が盛んに発表され活動写真(映画)、レコード・ラジオが普及して人々を楽しませました。
戦争へのあゆみ
第一次世界大戦後にはじまった不景気は少しも回復せず昭和に入ってますます酷くなりました。
そこで昭和になると大陸へ勢いを伸ばそうとする動きが一層活発になってきました。
その中心になったのは、軍部です。
1931年(昭和6年)に満州事変がおこり、たちまち日本の思うままになる満州国がつくりあげられたのも、その一つのあらわれといえます。
そして、続いて国内におこった五・一五事件、ニ・二六事件などは軍部の力を一層強める結果になりました。
1937年(昭和21年)ついに日華事変がおこり華北から華中へ、そして全中国へと戦線が広がっていきました。
しかし中国は広大な国です。
とうてい全部を抑えきれるものではありません。
はじめは、勝利に酔っていた日本軍も、やがて泥沼に足を突っ込んだような苦しさを味わうことになりました。
さらに、1941年(昭和16年)には太平洋戦争がはじまりました。
打ち続く戦争に、国民の暮らしは次第に苦しくなりも工場や交通機関が破壊されて生産力も衰えました。
そして、昭和20年8月、広島と長崎に原子爆弾が落とされ同じ月、日本は無条件降伏をしました。
新しい日本
戦後は、日本の民主化をすすめ新しい日本をつくるための努力が各方面で続けられました。
日本国憲法ができて新しい日本の政治の拠り所となりました。
そして、日本の産業は年々著しく進歩し、優れた製品が、どんどん外国へ送り出されるようになりました。
しかし日本は、世界から孤立しては生きていけません。
めまぐるしく動き、また進歩していく今の世界の中で日本はどのように進んでゆけばよいのか、これが私たちに与えられた大きな課題なのです。