今回は第一次世界大戦とは? 大戦の原因について、日本の歴史を紹介します。
世界の歴史の大きな流れの中で20世紀ほど、戦争と平和の問題が人々の間で、真剣に考えられたことはありません。
なぜなら、20世紀に入ってわずか50年ほどのあいだに世界は二度も大きな戦争をしました。
では、なぜこのような短い期間に二度も戦争が繰り返されたのでしょうか。
それにはまず1914年から4年間続いた第一次世界大戦が、どうして起こったかを考えてみましょう。
大戦の原因
19世紀の後半になるとヨーロッパ諸国の近代産業は、たいへんな発達をとげ生産品が自分の国の中だけでは売りきれなくなりました。
そこで、各国は市場と原料を安く手にいれられる土地をもとめて、その勢いを海外に伸ばし始めました。
そして、世界の遅れた地域のほとんど全てがヨーロッパの強国の植民地か、またはその勢力の中に治められてしまいました。
ことに、アフリカや東南アジアの多くの土地は、これら強国の勢カ争いの中心地でした。
ところが、後に強国は植民地を市場として求めるだけではなく漁った資本を海外の植民地につぎ込んで
新しく鉱山とか鉄道などの事業を起こそうという政策に、動き出しました。
そこで、列国の植民地争いは前よりも一層すさまじくなりました。
世界の各地へ勢いを伸ばしていった強国の中には昔から大きな勢力を持っていた国と新しく頭を持ち上げはじめた国とがあります。
新しい国々は、昔からの国が、すでに打ち立てた勢力の中に割り込んできて武力を使っても、その土地を奪い取ろうとしました。
そこで、今にも衝突の起きそうな気配が見えたのは当然です。
新しい強国の代表はドイツです。
そして、昔からの強国の代表はイギリスです。
ドイツは、すでにイギリスなどの勢力が及んでいるところにも自分の勢力を押し広げようとして、ほうぼうで、激しく衝突しました。
その他、フランスも、ロシアも、イタリアも自分の国の勢力を押し広げようとしてお互いに結びあったり
あるいは、対立しあって、ともかく釣り合いを保っていました。
ドイツを中心とするオーストリア・イタリアの三国同盟、イギリスを中心とするフランス・ロシアの
三国協商がそれです。
ですから、ヨーロッパでは、ちょっとした事件でもすぐに大きな戦争となりやすい非常に危ない空気がみなぎっていました。
ところが、1914年(大正3年)6月28日オーストリアの皇太子がバルカンにあるボスニアの首府でセルビアの青年に殺されるという事件がおこりました。
バルカン半島は、もともとドイツ・ロシア・イギリスという三つの強国が勢いを伸ばそうとして
争っていたところです。
なぜなら、このバルカン半島にはスラブ民族とゲルマン民族が入り乱れて生活し、お互いに激しく対立していました。
そして、この民族同士の対立にロシア・ドイツの対立が絡み非常に、複雑な状態になっていました。
すなわち、ロシアはスラブ民族とドイツはゲルマン民族と結びついて、それぞれ、この地方に勢力を伸ばそうとしていたからです。
この事件も、ロシアに結びつくセルビアが前からドイツに結びつくオーストリアに圧迫されていたので
その不満を爆発させておきたものです。