今回は第一次世界大戦 強まる軍部の力について、日本の歴史を紹介します。

講和後の日本と世界

太平洋戦争が終わるとまもなくフィリピン・インド・パキスタン・ビルマなど、かつて西洋人の支配を受けていた植民地の民族が独立し東南アジア諸国の団結も強められました。

1957年にはヒマラヤ連邦が独立し翌年にはアラブ連合共和国ができしだいに西のほうのアフリカにも新しい波がおよび、1960年にはフランス領のアフリカが独立しました。

こうして、アジア、アフリカ一帯にはアメリカや、ソビエト連邦の仲間とは別の勢力ができていったのです。

「ニつの世界」から「三つの世界」へという動きの中でアメリカは以前とし日本を味方に引き入れつつ
ソ連・中共と対抗しょうと、がんばっています。

こうした態度は、講和条約にも日米安全保障条約にも、はっきり示されました。

日本の中にはこれは戦争をさそうようなものだからというわけで反対する運動も強まってきました。

講和条約により、アメリカの占領が表向きとけた年のメーデーには今までのアメリカの圧力に対する反感が爆発して血を流すような騒ぎもありました。

政府は、労働運動のすさまじくなったのに対して1952年(昭和27年) 破壊活動防止法を施行し、暴力をふるう団体の解散および破壊的と見られる社会活動の取り締まりをしようとしました。

そのほか新憲法が認めた様々の国民の権利をあれこれと制限する法律を定めていきました。
そして、教員が政治について批評したり考えを述べる行動についても抑える法律を定めました。

日本の民主主義をもっともよく盛り込んだ憲法がまず軍備の問題からはじまって、このようにいろいろと由来できたので世論は騒がしくなりました。

憲法を改正しようとする意見も強まりましたが、これは絶対に守るべきだという声も強く議論がたえません。

日本の国連加盟

アメリ力を中心とする国々ソ連を中心とする国々とのあいだの関係もあるときは緊張し、あるときは平和的になるというふうで一進一退でした。

こういう世界の動きの中で日本がアメリカと軍事協定を結びながらソ連と国交を回復していないということは非常に危険なことでした。

そこで、鳩山内閣は国民の願いに答えて、ソ連との国交回復につとめ1956年(昭型21年)日ソ両国間の戦争状態を終わらせる共同宣言の調印が行われました。

また、同じ年に日本は国際連合への加入を認められました。
1945年にできた国際連合は前の国際連盟と異なり、アメリカ・ソ連が加わっています。

しかも、最近ではいわゆる小国の力も見逃せないようになり、新しいアジア・アフリカ諸国の動きが
大切なものになりつつあります。

こうした中で同じアジアの一員である日本の果たす役割は非常に大切なものがあり、今後の国連での活躍が期待されます。