今回は奈良時代の娯楽について、日本の歴史を紹介します。


「万葉集」の歌人として有名な山上憶良は、こうした貧しい農民に同情した1人です。
山上憶良がつくった貧窮問答歌は、「万葉集」のなかでも、最も優れた歌の一つとして知られています。

そのあらまし――
「風にまじって雨がふる夜や雪のふる夜は、やりきれないほど寒いので、塩を舐めながら、お湯に溶かした酒のかすをすすって寒さをしのぐ。

布団をかぶり、ありったけの着物を重ねてもまだ寒い夜に、自分より貧しい人たちは、どんなにお腹を空かせて寒がっていることだろう。

その妻や子どもは、食べ物が欲しいと言って泣いているだろう。
家の主人はどんな気持ちで暮らしているだろう。

たまたま人間に生まれ、人並みに田畑を耕しているのに、わたもない、まるで海の藻のような、ぼろぼろの着物を肩に掛け、低い歪んだ家の中で、地べたに藁を敷いて横になっていると、父母は枕の方で、妻・子は足のほうで泣いている。

釜戸には、煙も立たず、飯をふかすこし器には、クモが巣をはっている。
こういう貧乏な家にさえ、鞭をもった役人が、寝ているところにまできて、「税を出せ」と言って怒鳴るのだ。

こんなにまでやりきれないものか、世の中というものは」

地方の人々にも、たまには、楽しいこともありました。
春と秋の気候のよい頃、男も女も、年寄りも子どもも、酒や弁当や、ことなどをもち、山や海辺に集まって、歌をうたったり踊ったりするのです。

関東地方の人々は、茨城県の筑波山中や、久慈川のほとりなどとに集まって楽しみました。
九州の肥後(熊本県)にある杵島岳もそんな山でした。

こうして、人々が集まって歌い、踊ることを、かがい、または、歌垣とよびました。
また田植えや、取り入れの後とか、お祭りには、人々は、酒盛りをして楽しみました。

農民たちは、辛い生活を家族問の愛情で慰め合いました。
次の歌からもそのことが伺われます。

君がため手力つかれおりたる衣ぞ
春さらばいかなる色にすりてばよけむ

(あなたのために疲れてしまうほど、一生懸命起きたものです。春になったら、どんな色に染めてあげましょうか)

次のような意味の問答歌もあります。

(ほかの人は馬でいくのに、あなただけが、歩いているのをみると、泣けて仕方がありません。私のお母さんの形見の鏡とかたかけがありますから、それを売って馬を買ってください。)
っと妻が歌うと

(馬を買って、私が乗っても、あなたは歩くのだろうから、同じことだ。石ころ道でも、2人で歩いていこうよ) と夫が答えるという歌です。

こういう愛情が、どれほど農民たちを勇気づけたことでしょう。



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