今回は首名と行基について、日本の歴史を紹介します。

農民のために力を尽くした人もいました。
道君首名(みちのきみおびとな)がそうでした。
首名(おびとな)は、筑後(福岡県の一部)と肥後(熊本県)の国司をしていた役人です。

首名はこの地方の農民たちに、池やつつみを、盛んに作らせました。
農民たちは辛い土木工事をやらされるので、初めは不平を言っていました。

しかし、池やつつみが出来上がれば、自分たちの農業も盛んになるのです。
農民たちは、たいへん喜んで、首名が死んだあとでは、この人を神にまつりました。

僧の行基もまた、いろいろ地方の人々のために尽くした人でした。

行基は、今の大阪府や兵庫県にあたる河内・摂津・和泉などに用水池一五か所、用水路(みぞ) 七か所、水道(とい)三か所、橋六か所を造りました。

その他、船船つき場や運河や、旅人の泊まれる布施屋九か所をつくって、おおいに人々を救い、産業を盛んにしました。

行基が行くところには、いつも大勢の人が集まって、その教えに耳を傾けました。
人々は行基の教えを聴き、生活の苦しみや、悩みから、抜け出そうとしたのです。

朝廷では始め、人を迷わす悪い僧だとして行基を罰しようとしました。

しかし、743年(天平15年)の大仏造営のとき、行基はおおいに力を尽くしましたので、朝廷では、ついに行基の手柄を認め、大僧正の位につけました。

人々は、行基を菩薩と呼んで尊びました。結果を出せば人は認めてくれるようですね。