今回は平安時代の宗教と建築・彫刻について、
日本の歴史を紹介します。

藤原氏が高い官位をほとんど独り占めするようになったのは、十世紀の末頃でした。
丁度この頃、天台宗の僧の中に浄土の教えを説く人があらわれました。

天台宗や真言宗の教えが、あまり難しいので、もっと優しく人々にわかるようにというのが、この教えを説く人々の目的でした。

この僧たちは、「この世は汚れた世である。ほんとうに美しい世は、阿弥陀様のおられる極楽浄土である。

この極楽浄土では、いつも蓮の花が咲き乱れ、天人が舞をし、美しい音楽が聞こえてくる。

私たちは、ただ阿弥陀様にすがり、南無阿弥陀仏と念仏を一心に唱えて死んでから、極楽浄土に生まれかわるよう、努めねばならない」と人々に教えました。

藤原氏の一部の人々に、高い官位を独り占めにされて、出世の望みを失った貴族たちは、この教えに強く引き付けられました。

そればかりではありません。
摂政や関白のような高い官位についた人々もこの教えに引き付けられました。

そして、勢いの強い貴族は、たくさんのお金を使って阿弥陀仏をつくり、阿弥陀堂の中において、この世に極楽浄土をつくりだそうとしました。

多くの貴族は、屋敷の中に阿弥陀堂を建てましたが、中には、阿弥陀堂どころか、立派な寺を建てて済む貴族もいました。

藤原道長の建てた京都の法成寺や、その子頼通の建てた宇治の平等院などは特に有名です。
鳳凰堂は、この平等院の阿贈陀堂として、1053年(天喜一年)につくられたものです。

この建物を上から見ると、極楽にいる鳳凰という鳥が翼を広げたような形をしています。
屋根にも、銅でつくった鳳凰の飾りがあります。

このため鳳凰堂と呼ばれました。
お堂の中央には、優しい顔の阿弥陀様がおかれています。

この阿弥陀様はこの頃、彫刻家として有名であった定朝という人が作ったものです。

仏像の後ろから天井まで、一面に金色の飾りがあり、周りの壁には、いろいろな楽器を鳴らしている天人の像が描かれています。

頼通や、彼を取り巻く貴族たちは、この美しいお堂の中で、この世の極楽浄土のような気分になったことでしょう。

この頃の貴族は、寝殿づくりとよばれる、大きな屋敷に住んでいました。
寝殿というのは、主人の住まいで公けの客に会ったりするときに使われるところです。

この寝殿は南向きに建てられ、これを中心として、東と西と北にそれぞれ対屋があります。
対屋には家族が住んでいました。

寝殿と対屋は、広い廊下で繋がれています。
寝殿の前正面は、広い庭になっていて、その庭の向こうに大きな池が掘られました。

また、池の中には島がつくられ、その向こう側には小さな山が築かれていました。
このような庭を池泉庭園といいます。

島や山には、枝振りのよいヒノキやサクラ・モミジなどが植えられ、春の花見どきや、秋の紅葉の季節には、美しく彩られました。

広い庭では、宴会などが行われ池には、綺麗に飾った舟を浮かべて遊びました。
建物は、ひさしが深いため、室内はあまり明るくなかったようです。

屋根はヒノキの皮でふいてあり、また、床は板じきで、広い室内は、ぎちょう(台に高さ一メートル前後の二本の細い柱をたて、横木にまくをかけたもの)屏風・つい立などでしきりました。

床に畳を敷き詰め、部屋を障子やふすまで区切るようになったのは、ずっと後のことです。

夏は涼しかったでしょうが、冬の寒さは厳しかったことと思われますね。