今回は平仮名が出来た頃について、日本の歴史を紹介します。
九世紀の末頃、唐(中国)では、しきりに内乱がおこり、国の力が弱まっていました。
遣唐使を送っても、使いの役が果たせなくなっていました。
そのうち、唐への行き来の途中で、難破する船が多く、貴族たちの中には、遣唐使になることを嫌がる者もでてきました。
そこで、菅原道真は、これらの理由をあげて、遣唐使を取り止めたほうがよいという意見を出しました。
こうして、630年に始まり、日本の政治や文化の上に大きな役割を果たした遣唐使も、894年(寛平六年)から、ついに取り止めになりました。
遣唐使の取り止めによって、日本の文化はこれまでと大きく変わってきました。
日本人の気持ちにあった文化が、非常に盛んになってきたのです。
そして、日本風の優れた文学や絵画が、この時代にたくさん生まれました。
漢字は、国から伝わった文字ですから、日本の言葉を表すには、非常に不便でした。
ところが、平安時代の初め頃になって、ひらがな、カタカナなど、仮名文字が作り上げられました。
誰が作ったのかわかりませんが、恐らく大勢の人々が長い年月の間に、作り上げていったものと思われます。
この仮名文字は、漢字をもとにして作ったものです。
奈良時代には、日本の言葉は、漢字に日本の一つの音をあてて、書き表すのが普通でした。
例えば、「波」という字は、「は」と読むので、ひらがなの「は」という字がなかったこの時代には、漢字の「波」という字をあてて書いたのです。
この「波」という宇を、柔らかく崩して作ったのが、ひらがなの「は」です。
つまり、ひらがなは四角ばった漢字を、柔らかく崩して作ったものです。
カタカナは、漢字の偏やつくりから作ったものです。
例えば、「加」という漢宇を編だけにすると、「カ」になります。
このように、仮名文字が出来上がったので日本の言葉を自由に、しかも簡単に書けるようになり、非常に便利になりました。
そして、これまでに比べて、一層多くの人々が、読み書きできるようになったのです。
また、学問をすることは、あまり必要でなかった女の人も、この仮名文字を使って、いろいろなものを書くようになってきました。
しかし、学問のある学者や役人たちは、この優しい文字を馬鹿にして、相変わらず、難しい漢字を使っていました。
けれども、紀貫之などのように、進んで仮名文字を使った男の人もいました。
紀貫之の書いた「土佐日記」は、仮名文字の文学作品として知られています。
仮名文字が広まるにつれて、今の小説に近い「物語」というものが出来るようになりました。
「竹取物語」「伊勢物語」「大和物語」「宇津保物語」などや、有名な「源氏物語」がそれです。
竹取物語」は、かぐや姫のお話として、よく親しまれているものです。
この物語の作者はよくわかりませんが、小説の形をしたものとしては、日本で一番古いもので、九世紀の末か、十世紀の初め頃に書かれたものであろうと言われています。
この他、平安時代の末頃には、宮中や貴族の生活ばかりでなく、広く各地におこったり、伝えられたりした面白い話を書き集めたものも出てきました。
「今昔物語集」も、その1つです。
この頃になると女の人も、立派な作品を書くようになりました。
「更級日記」「蛸蛤日記」などいろいろありますが、特に有名なのは「源氏物語」と「枕草子」です。
「源氏物語」は、11世紀の初め頃、宮中に仕えていた紫式部という女の人が書いたものです。
光源氏という一人の貴族の一生が、その頃の宮中生活を中心に、54巻もある長い物語の中に書かれています。
この物語は、1000年も前に書かれたものですが、いまでも、日本ばかりでなく、外国でも読まれています。
「源氏物語」は、日本人が世界に誇ることができる、優れた文学なのです。
「枕草子」は清少納言が書いたものです。
清少納言も宮中に仕えていました。
自分の見たこと、聞いたこと、感じたことを、すっきりした文章で表しています。
平安時代の初め頃には、漢詩や漢文を作ることが盛んで、幾つかの漢詩集も、天皇の命令でだされました。
しかし一方では、和歌がたいへん流行りました。
そして、「万葉集」以後の和歌を集めた歌集が、天皇の命令で紀貫之たちによって作られました。
これが「古今和歌集」です。
仮名が使われているため、「万葉集」よりも、ずっと細かな調子が、出ています。
この時代には、穏やかな、美しい日本風の絵が描かれるようになりました。
そして、屏風絵とか絵巻物という新しい形式のものが出てきました。
このような日本風の絵を大和絵と呼んでいます。
これに対して、中国風の絵を唐絵といいます。
絵巻物は物語に絵を描いて巻物にしたものです。
「源氏物語絵巻」「伴大納言絵詞」「信貴山縁起絵巻」などは、特に優れた絵巻物ですこの他、平安時代の終わり頃、鳥羽僧正によって書かれたといわれる「鳥獣戯画」も有名です。
今で言えば、漫画ですが鳥や獣の姿が、墨一色で、活き活きと描かれれています。
平安時代の初めには、「三筆」いう三人の書道の名人がでましたが、その中頃には、小野道風・藤原佐理・藤原行成という、やはり三人の書道の名人がでました。
この三人は「三蹟」と呼ばれています。
「三筆」には、中国風の感じが残っていますが、「三蹟」になると、柔らかで美しい、日本風の字になっています。