今回は室町時代の政治の仕組みについて、日本の歴史を紹介します。

足利尊氏とその子義詮とは、北朝の天皇から征夷大将軍の位を貰い京都に幕府を開きました。

しかし、その頃は南朝方との戦いが、まだ続いており足利氏の中にも、内輪もめがあったりしたため幕府の力は弱いものでした。

ところが三代将軍義満のときになると南朝と北朝とが一つにまとまりました。

その上、考えの深い細川頼之が義満を助けて政治を行うようになり将軍の命令を聞かない山名氏を討ったりなどしたので幕府の勢いが強まりました。

また政治の仕組みも整ってきました。

義満が京都の室町に、花の御所と呼ばれる、立派な屋敷をつくり、ここを幕府としたので、足利氏の幕府のことを室町幕府といいます。

室町幕府の続いた時代を室町時代と言います。

室町時代は、およそ200年あまり続きますが幕府の政治が力強く行われたのは、初めの90年ほどの間だけでした。

室町幕府は、政治のやり方も、その仕組みも鎌倉幕府を真似たものでした。

法律も、とくに新たに定めるようなことをせず北条泰時の定めた貞永式目をもととし、あとは必要に応じて補っていくだけでした。

幕府は、将軍の下に管領をおき、将軍の政治を助けさせました。

管領の下には、鎌倉幕府と同じように、政所・問住所・侍所などがおり、その下には、多くの奉行をおいて、それぞれの仕事を受け持たせました。

これらの内、最も力のあったのが管領と侍所の長官でした。
管領には、足利氏の一族の細川・斯波・畠山の三氏が、代わる代わるなりした。

これを三管領といいます。

また侍所の長官は赤松・山名・一色・京極の四氏から選べれたので、この四氏を四職といいました。
地方の国々には守護をおいて、足利氏に手柄のあった武将を守護としました。

また、各地の荘園に地頭をおきました。

これらは、鎌倉幕府のときと同じですが、ただ守護と地頭の力は、前よりずっと強いものになっていました。

また、地方のうちでも関東乗や東北地方などな治めることには、特に力を入れました。

鎌倉には鎌倉幕府をおいて、次男基氏とその子孫を長官とし上杉氏を関東管領にして、これを助けさせました。

東北地方には、奥州探題・羽州探題をおき、博多には九州探題なおいて、九州地方の豪族を抑えさせ、また外交の仕事を任せました。

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