今回は室町時代にいた細川勝元と山名宗全とは? 両派の争いとは?について、日本の歴史を紹介します。

室町幕府には始めからいろいろと、弱いところがありましたが、それらが積み重なり、絡み合って、ついに大きな戦乱となりました。それが応仁の乱です

細川勝元と山名宗全

将軍になった義政は、自分がなんの力も無い飾りものにすぎないことを知って、すっかりやけになってしまいました。

そして、政治を管領の細川勝元や、おそばづきの伊勢貞親などに任せきりにして、花見・酒盛り・能の見物・庭つくりなどの贅沢にふけました。

このごろ度々、ひどい飢饉があったのですが、それでも、贅沢を止めようとせず重い税をしばしば取立てました。

このころ幕府では、細川勝元と山名宗全が勢いを争っていました。
また、管領の畠山氏と斯波氏にはそれぞれ後継争いがおこっていました。

畠山氏では、政長と義就、斯波氏では義敏と義廉とが、それぞれ後継になろうとして争っていました。
この後継争いに、細川氏と山名氏が加わってきてそれぞれ、反対側の後押しをしたのです。

そのため、畠山・斯波両家の後継争いは一層激しくなってしまいました。
細川氏と山名氏は、将軍家の後継争いにも乗り出してさらに激しくにらみ合うようになりました。

始め、将軍義政の後継には、弟の義視がなるはずでした。
ところが、義政の妻日野富子は自分の子どもの義尚を、将軍にしたいと思ったのです。

富子は、山名宗全にその後ろ盾を頼みました。

一方、義視のほうは、細川勝元を頼ったので山名・細川の睨み合いは、今にも戦争になりそうでした。
将軍義政は、これを止める力もなく相変わらず、贅沢な毎日を送っていました。

関連記事