今回は室町時代におこった北山文化と東山文化について、日本の歴史を紹介します。

北山文化と東山文化

室町時代は、戦争の多い騒がしい時代でした。

しかし、幕府は京都という古い文化の地に開かれ、代々の将軍が文化を愛し、大切にしたので思いのほかに、文化が栄えました。

そして、前の鎌倉時代の文化とも違う、静かで落ち着いた文化が形つくられました。
室町時代の文化は、二つにわけて考えられます。

北山に金閣を建てた将軍義満の頃の文化と東山に銀閣を建てた将軍義政の頃の文化の二つです。
前のほうを北山文化、あとのほうを東山文化と呼んでます。

広まる新しい仏教

鎌倉時代におこった新しい仏教はこの時代になると大変広まりました。

禅宗の中の臨済宗は、夢窓疎石などがあらわれ、将軍や守護大名たちの保護を受けて栄え、天龍寺・南禅寺などが建てられました。

とんちで名高い一休も、臨済宗の禅僧です。
また、鎌倉時代に道元の伝えた曹洞宗も地方の武士や農民の間に、どんどん広まってきました。

法然の始めた浄土宗は、この時代に入ると主に皇室や貴族など、身分の高い人々の間に広がりました。
これに対して、親鷲の浄土真宗は、身分の低い一般の人々の間で信じられました。

浄土真宗は、一五世紀の半ば過ぎに、蓮如がでてからことに栄え、大坂に城のような大きな寺を建てるほどになりました。

一方、同じ念仏でも一遍のはじめた時宗は室町時代の初め頃まで盛んでした。
しかし、その後は次第に浄土真宗の勢いに押されていきます。

日蓮の始めた法華宗も盛んになりこれはことに、町の商人や職人の間に広がりました。
また、古くから続いている延暦寺や興福寺などは、荘園を武士に取られたため昔ほどの勢いはなくなりました。

しかし、それでもまだ、多くの僧兵を抱えて、なかなかの勢いでした。

一休

一休が少年の頃から大変賢くとんちにも富んでいたことは確かです。

しかし「一休とんち話」として伝えられている話の中には本当のこともありますが、全てが本当だとも限りません。

後になって作り替えられた話やもとは中国の本に出ていた話を一休の話のようにしてしまったものも多いようです。

一休がわざわざ人々と逆なことを言ったりしたのは世の中の多くの人々が物事の上辺しか見ようとしないのを戒めようとしたからなのです。

一休は本当は曲がったことの大嫌いな真面目な人でした。
たくさんの人々が一休の教えを受けました。

貴族や大名、武士もあれば歌詠みや絵かきもあり町人にもあれば農民もあるといった有様でした。

その中でも連歌の宗長、茶の湯の村田珠光能の金春禅竹、墨絵の蘇我蛇足などは、ことに有名で、みな東山文化を作り上げるのに大きな働きをした人々です。

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