今回はヨーロッパの鉄砲が伝来した頃について、日本の歴史を紹介します。
鉄砲の伝来
遥々喜望峰をまわってインドに着いたポルトガル人は年ごとに東へ進みました。
そしてついに、1542、3年(天文11、12年)ごろ日本へたどり着きました。
やってきたのは、メンデス=ピントー他ふたりのポルトガル人でした。
彼らは、日本へ来るつもりなどなかったですが海賊や嵐に合い、波間を漂っているうちに大隅国(鹿児島県の一部)の種子島に流れついたのです。
この島のことを、ピントーが「東洋巡回記」という本に書いています。
この船には、ピントーの他にゼイモトという鉄砲の名人が乗っていて、百発百中どんな小さな的でもそらしませんでした。
これを見た領主の種子島時尭はその鉄砲が欲しくなり、大金を出して譲りうけました。
日本では古くから、中国や朝鮮から不細工な鉄砲という名のものはあるにはありました。
けれども、ヨーロッパ式の鉄砲が日本に伝わったのは、これが初めてです。
それで、この後、鉄砲のことを種子島というようになりました。
ポルトガル人が日本を発見し日本に着いたという噂が、一度伝わると東国のあちこちにいたポルトガル人は先を争って日本へやってきました。
ポルトガル人は、本国から「ナウ」という大型の船で、アジアに来ていました。
彼らは、行く先々の港で、品物を売ったり買ったりしく大儲けをしました。
アジアに来て三年働くと国へ帰って一生楽に暮らせたというほどでした。