今回は南蛮文化とは? 広まった珍しい品物や印刷文化について、日本の歴史を紹介します。
西洋文化の影響
長い間、大陸文化の影響を受けていた日本文化は安土・桃山時代に、全く新しい西洋文化の波を受けることになりました。
そのころ南蛮人(南の方から来る、ポルトガル人など)と言われていた西洋人から、学問・技術・芸術・文学などのこれまで日本人の全く知らなかった新しく、活き活きした文化が伝えられたのです。
それが、信長や秀吉によって開かれた新しい時代の気風にぴったりして日本文化に溶け込み、これを一層大きく力強く発達させる役割を果たしたのです。
ポルトガルからキリスト教が伝えられると九州や京都などで15万人にも及ぶ信者ができました。
信長は延暦寺や本願寺などのために幾度も、苦しい目にあったので仏教を抑えるためと、貿易を盛んにする目的からキリスト教の宣教師を保護し京都や安土には南蛮寺(教会堂)なども建てさせました。
宣教師はキリスト教を広めるために病院を建てたり、慈善事業(暮らしに困っている人を救う仕事)なども始めました。
この頃、内科では漢方医学(中国から伝わった医学)が重んじられましたが、外科ではポルトガルの進んだ医学が伝えられ、医術を学ぶ者も現れてきました。
また天文学では、全ての天体は地球を中心に回っているという天動説が伝えられました。
これは東洋に古くから行われていた天文の知識よりも、かなり理屈にあっていましたので学問のある人たちには、わりあい受け入れられました。
南蛮扉風
この頃に流行した、風ぞくを描いた屏風に南蛮扉風があります。
狩野派の絵師が描いたものでこの時代から、江戸時代の初めに架けて大名や大商人たちに、喜ばれました。
取り上げている題材は南蛮人や南蛮僧とか南蛮船などで、だいたい共通しており、その描き方は、非常に正確で見たままに書き表しています。
ことに南蛮人の姿は、そのころ東インドに来て活躍していたポルトガル人の様子をよく表しているので今ではポルトガルでも、珍しがられています。
さらにキリスト教が広まるにつれて宗教画も必要になってきます。
そこでポルトガル船がもってきた宗教画を書き写すことが、盛んに行われ西洋画の描き方を習う人が多くなりました。
印刷文化
活字印刷機と、活字や印刷の技術も伝えられ教会では、この印刷機でキリスト教を広めるための書物を印刷しました。
これらの耶蘇会版とかキリシタン版には宗教関係の書物と、文学書と、外国語の文法や辞書のような三つの種類があります。
有名な「イソップ物語」などが優しく翻訳されたのも、この頃のことです。
珍しい品物
食物では、カステラ・コンペイトウ・ボーロなどがポルトガルから伝わりました。
衣類では、カッパやラシャなどがありそのほかシャボンなどもあります。
カルタも、この頃に伝わったものです。