今回は江戸時代の農民の地位 年貢と助郷について、日本の歴史を紹介します。
農民の地位とは?
江戸時代の村は、大体、今の村の大字にあたり戸数も30戸か40戸くらいでした。
幕府も藩も、秀吉のときより一層厳しく検地を行い、村の収穫高(村高)を決めて年貢をとるようにしましたので村が政治を行うときの一番小さな単位になっていました。
村に住む農民にもいろいろな身分がありました。
年貢を納める責任をもつ農民を百姓といい農民のうちでは、いちばん上の身分でした。
本百姓には、地主もおれば小さな自作農もいました。
本百姓の下には、名子・被官などという身分の低い農民がいて地乏から、家来のように扱われていました。
また、時代が下るにつれて水飲み百姓も増えていきました。
水飲み百姓というのは食べるものがなくて水だけしか飲めないような百姓ということです。
いちばん下の、貧しい農民でした。
自分の耕す土地ももてず小作や日雇いで、暮らしていました。
しかし、江戸時代も中頃になると下っぱの農民の地位もだいぶ上がってきました。
それまで、地主の下で苦しんでいた貧しい農民たちが、だんだん一人前の農民になってきました。
土地を開いたりいろいろな副業をしたりして暮らしも楽になってきました。
村を治める仕組み
幕府も大名も農民を治めることに、いちばん力を入れました。
村を治める役人には郡代や代官がいましたが農民の中からも村役人がでて村を治めていました。
村役人には、今の村長にあたる庄屋(名主)や、組頭・百姓代もいました。
庄屋は、村の年貢を集めたり村の中や、他の村との問題などにはいつも村の代表となりました。
庄屋には、主に地主や古い家柄の人が領主から言いつけられてなりました。
江戸時代も後になると村中の農民選挙で、決まるところもでてきました。
幕府や大名は、年貢をきちんととったり犯罪を防ぐために、全国の町や村に五人組をつくらせました。
大体、5件の家を一組にしてお互いに力を合わせたり見張りをさせたりしました。
もし、1件の家で、年貢を納めないと残りの4件が、代わって納めさせられ、また悪いことをした家があると5件の共同の責任とされました。
年貢と助郷とは?
家康は「村々の百姓どもが、死なないように、また生きないように考えて年貢を取立てるように」といいました。
農民たちに、やっと耕作ができるだけの暮らしをさせて、できるだけ、たくさんの年貢を取立てるように心がけろ、といったのです。
年貢は、主に米で納める税で五公五民(とれた米のうち半分を年貢に納め半分を自分のものにすること)
または、四公六民が普通でした。
しかし、中には八公二民という藩さえありました。
その上、よい米だけを納めさせたのです。
この他、山・野原・海・川などでとれたものにもいろいろな税がかかりました。
農民が副業でつくった品物にもかかりました。
農民たちは、年貢のほかいろいろな仕事を、言いつけられました。
道路や川の堤を直したり領主のための人足にだされたりしました。
これらの仕事は、だんだんお金を代わりに納めるようになりましたが助郷だけは、そういきませんでした。
街道の宿場では幕府や大名の荷物を運ぶために人足や馬を、いつも備えておきました。
ところが、だんだん荷物が増えてくると、それだけでは、とても運びきれないので近くの村から、助けの人足や馬をださせました。
これを助郷といいます。
しかし、賃銭が安いうえに忙しいときでも、構わず呼び出されたので農民は非常に苦しみました。
慶安のお触書幕府や大名は、農民から年貢をきちんと取り立てるためにいろいろな方法をとりました。
年貢を納める農民が耕地を離れて、隣りの村にいったりしては困るので、これを禁止しました。
また耕地を売ったり質にいれたりすることも禁止しました。
耕地の少ない農家が分家して土地をわけると本家も分家も、共倒れになるので一町(約1へクタール)以下の農家が分家することを禁止しました。
阿呆(馬鹿) のことを、たわけ(田わけ)というのはこのことを指したものだと言われます。
そのほか、農民の着るもの食べるもの・住むところをはじめ普段の生活にも、いろいろ細かい取り締まりを加えました。
これらをまとめて、1649年(慶安二年)三代将軍家光のときに幕府が出した法令が「慶安のお触書」として知られています。
これには、「百姓というものは、馬鹿で先のことを考えることができないものだ」といっていろいろ教えさとしています。
「百姓は、麦・粟・ひえ・菜・大根などを作って食べ、米はできるだけ食べないようにせよ」ということは米は年貢に取立てるものであるから百姓に節約させ、食べさせないようにするためです。
また「百姓の着物は、木綿にかぎる。酒・茶・煙草をのむな」とも、言いつけています。
さらに、「夫と妻は仲良くし、カを合わせて仕事に精ださなければならない。
どんなにきれいな妻でも夫を大切にしなかったり、遊び好きでお茶ばかりのんでいるような怠け者は、離婚してしまえ」などと言いつけています。