今回は江戸時代の市民の暮らしとは? 江戸っ子について、日本の歴史を紹介します。
江戸時代の末頃江戸の人ロはおよそ百二、三十万人もありました。
その約半分か武士とその奉公人、残りの半分が町人でした。
江戸には地方から働きに来た人が多く生まれつきの江戸の人は案外、少なかったのです。
親子三代江戸生まれの人を江戸っ子と呼びましたが、これは江戸の人口の約三分の一だったと言われています。
江戸っ子と言えば落語で人気者の八っつあんや熊さんを思い浮かべます。
気前が良くて、そそっかしくて喧嘩早い、こんな江戸っ子らしさをよく備えていたのは神田などの下町あたりに多く住んでいた職人や芸人たちでした。
「宵越しの金を持たない」のが自慢で気前よく、お金を使うのも、この人たちです。
このような暮らし方が出来たのは江戸が武士を中心にした消費や遊びの町であり火事などが多く、職人の仕事がいつも切れずにあったからです。
江戸町人には三井呉服店のような大商人もいれば狭い長屋に住む貧しい人もいました。
しかし、江戸の人々は豊かな人も貧しい人もそれぞれに生活を楽しむことが上手でした。
借金の催促で苦しめられる年の暮れも過ぎ正月がやってきました。
烏帽子を被りつつみを持った三河万才が賑やかにはやすのを聞いて人々は初詣に出かけました。
神田明神・芝髪明社深川の富岡八幡宮などはたいへん賑わいました。
2日には商家では初荷を入れて一年の商売初めを祝いました。
16日は、やぶいりで丁稚や小僧たちが、一日の休みをもらい親元にかえったり遊んだりする日です。
春には、つれだって郊外の亀戸などへ行き梅を見ながら詩や俳句の会を開く人もいました。
二月末から日本橋のひな人形市が賑わい3月3日のひな祭りが、やってきます。
しかし、春の最大の楽しみはなんといっても桜の花見でした。
桜の名所は上野をはじめ飛鳥山・向島・小金井などがあり日酒を飲み、歌や踊りを楽しんで1日を過ごしました。
茶番といって芝居の仮装をして遊ぶことも流行しました。やがて夏がやってきます。
家の中は暑苦しいので外へ出ると夜見世がたち朝顔の鉢植えや金魚・松虫・鈴虫などの虫売りが店を広げています。
江戸の夏の見ものはやはり川開きの花火です。
隅田川では、5月28日に川開きが行われました。
この夜は、川べりを幾万もの涼み客がうめ川中には、何百という船が漕ぎ出しそれぞれきれいな仕掛花火に夜のふけるのも忘れるのでした。
秋には月見・虫聞き・紅葉狩りなどが行われました。