今回は浮世絵とは? 喜多川歌麿・葛飾北斎・安藤広重について、日本の歴史を紹介します。
浮世絵とは?
一枚一枚、筆で描いていた浮世絵も18世紀の末頃になると、どんどん売れるようになり筆で描いていたのでは間に合わなくなりました。
そこで、版木に掘った絵をたくさん刷り安く売りだすようになりました。
版木で剃られた絵を版画といいます。
この頃の浮世絵の作者には鈴木春信・鳥居清長・喜多川歌麿・勝川春章・東洲斎写楽などがいました。
江戸時代の末になって葛飾北斎・安藤広重などが現れました。
喜多川歌麿
歌麿は、美人画を描いては並ぶもののない名人でした。
歌麿の出身地は明らかではありませんが若いときに江戸に出て浮世絵師鳥山石燕の門に入り浮世絵の勉強をはじめました。
そして、大首といわれる美人の半身像を描き始めるようになって人気がでてきました。
葛飾北斎
北斎は下総の葛飾領(千葉県)の農民の出で勝川春章に学び、さらに独自の画風を築き上げました。
北斎はまた、奇行の多いことで知られ生涯に号な30数回も住まいを90回以上も代えたと言われています。
風景画が最も得意で変わった構図や色彩で力強く描きました。
特に、富士山を様々な角度から捉えた「富獄三十六景」は有名です。
安藤広重
広重も花鳥・富画や風景画に優れていました。
広重は、自然の美しい姿を愛し、そこに住む人間の暮らしに興味を抱きました。
そして、年中旅から旅へと美しい自然を求めてさまよい歩き風景画を次々と書き上げました。
彼の代表作には「京都名所」「近江八景」「東海道五十三次」「名所江戸百景」などがあります。
その他の画家
江戸時代中期、池大雅・原謝蕪村らが出て盛んになった南画(文人画)には後期になると、浦上玉堂・青木木米らが現れてそれぞれ優れた絵を残しました。
また、キリスト教の禁止によって途絶えていた西洋画は蘭学が盛んになると共に息を吹き返し平賀源内や司馬江漢などが活躍しました。
とくに江漢は、オランダの本から学んで日本で初めて、銅版画を作ることに成功しました。