今回は大日本帝国憲法とは?
議会政治の初まりについて、日本の歴史を紹介します。

憲法発布

1889年(明治22年)2月11目いよいよ憲法が発布されました。

新しく出来た皇居の広い部屋で憲法の発布式が行われ天皇から内閣総理大臣黒田清隆に憲法があたえられました。

これが大日本帝国憲法で今日では明治憲法とも呼んでいます。
このとき、はじめて国民は憲法の内容を知りました。

憲法発布の前から東京をはじめ各地で憲法がでるとは、めでたいことだとお祭りさわぎが演じられました。

その中で、あるドイツの学者は日記の中に「どういう憲法ができるかまだわからないのに喜ぶとは、おかしなことだ」と書きました。

中江兆民も、「我々に授けられた憲法がどんなものか、これから、その内容を伺うというのにもう大さわぎするとは愚かなことだ」と嘆きました。

明治憲法の特色

西洋の憲法には、いろいろの種類があります。
国王の定めたものや憲法を決める会議を開いたうえで定めたものがあります。

明治憲法は、天皇治が定めて国民に授けるという形をとりました。
これが明治憲法の特色の一つです。

明治憲法は7つの章にわかれ、76条からなっています。
第一章で天皇について次のように書かれてあります。

大日本帝国は、代々の天皇が治め、この天皇は神のように厳かなもので国民は天皇についてとやかくいうことは許されないというのです。

したがって天皇の力はたいへん大きく政治・裁判・外交などを指図し軍隊も天皇が率いることになっています。

議会で定めた法律も、天皇の許しによって世に出されることになりました。
このように、明治憲法では天皇の力が強く、大きく決められました。

ですから民主主義の憲法とは言えず今日の日本国憲法とは
その仕組みが、たいへん違っています。

議会政治とは?

明治憲法では国会のことを議会と呼び議会は貴族院と衆議院の28にわかれていました。
貴族院の議員は250名で皇族や華族のほか特別に天皇から命じられた人がなりました。

衆議院の議員は300人で国民が選挙して決めるものでした。
このように、国民が選んだ議員によって開かれる議会をもつ政治を議会政治といいます。

議会政治は、国民の考えを最もよく政治の上に現します。
議会の力が強い仕組みになれば民主主義に沿った政治となります。

ところが、明治憲法では政府の力を強くして、なるべく議会の力を弱くするようにつくられています。
しかし、議会が開かれたことは封建会の政治と比べると大きな進歩でありました。

ですから、日本の歴史は議会が開かれたことによって新しい時代を迎えることになったといえます。
議会は法律を定め、また政府の政治について調べる権限をもっています。

イギリスで、国王の力を抑えるために議会がつくられたのが世界の議会政治の初まりだと言われています。

議会には、上院(明治憲法では貴族院、日本国憲法では参議院がこれにあたる)と下院(明治憲法・日本国憲法ともに衆議院がこれにあたる)のニつからなる二院制と議会からなる一院制とがあります。

二院制のほうが、上手く政治が行われるので今日、世界の国々の議会はほとんど二院制をとっています。

選挙の権利

議員を選ぶことは、国民の大切な権利です。
この権利が大きく、また広くなればなるほど政治は民主化されてくるのです。

明治憲法が発布されたときには国へ15円以上の税金を納めている25才以上の男子に選挙権を与えると決められました。

また、議員に立候補できるのは、やはり、国へ15円以上の税金を納める30才以上の男子に限られました。

このように、選挙したり選挙されたりすることができる資格を税金などで制限する選挙を制限選挙と言います。

これでほ、政治に参加する国民の数がたいへん少なくなります。
また、選挙は男子だけで女子を加えないことも男女を区別することになり民主的ではありません。

そこで、全ての国民が政治に加わるようにする普通選挙にすすむ運動がおこるようになりました。

関連記事