今回は民法の成立について、日本の歴史を紹介します。


憲法発布と国民

憲法ができたことによって、とにかく一部とはいえ国民が政治に加わることが出来るようになりました。
これは、自由民権を叫んで激しい運動をした人々の苦心の実りと言えます。

また憲法によって法律に背かない限り言論の自由も認められ、どんな宗教を信じても良いことになりました。

民法の成立

憲法は国の政治の大もとを定めるものですが、このほか、国民の、生活や商業・刑罰などのことを決めるいろいろな法律があります。

文明国では、全てのことをこのような法律で決めています。

明治のはじめから政府は日本を早く西洋に負けない国にするために、いそいそ西洋の法律の仕組みを
取り入れようとしました。

個人の生活について決めた民法は1870年(明治3年)ごろからフランスの民法を手本にしてつくられ、やがて、商業を定める商法刑罰な定める刑法も下書きがつくられました。

民法をつくるのに中心となったのはフランスの法学者ボアソナードです。

彼はパリ大学助教授をへて1873年(明治六年)に来日ニ、三の学校で法律を教えるかたわら内務省・外務省の顧問をしていました。

ボアソナードらのつくった民法は1893年(明治26年)から行われることになりました。

しかし、フランス民法の影響が強く夫婦をもととした家を考えていたので武家社会からの思想を受け継ぎ
父子をもととする家の考え方を持つ法学者たちから反対を受けました。

「君臣、父子の家族道徳を置き去りにしている」とか「天皇の国家を支える考え方が欠けている」という非難がでました。

こうして賛成派と反対派の激しい論争の結果、この民法(旧民法という)は施行が延期されました。
このとき旧商法もまた1890年(明治23年)に施行された一部を除いて延期されました。

そこで新しく民法をつくり治すことになり旧民法反対の代表者穂積陳重・富井政章と賛成派の梅謙次郎という三人の帝国大学教授による委員会に任されました。

彼らは、ドイツ民法にならって戸主の権力の強い、家の制度を中心にした民法に修正しました。
この新民法は1898年(明治31年)に公布されました。

商法も新しくつくられ1899年(明治32年)に公布されました。




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